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つじこの

一応、本とかの批評のつもり。趣味的な備忘録

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金子光晴『マレー蘭印紀行』 

金子光晴の『マレー蘭印紀行』は、昭和3年から同7年にかけて―彼にとっては二度目の欧州滞在を間に挟みながら―、妻森三千代を伴ってシンガポール、マレー半島、ジャワ、スマトラを旅したときの見聞を書き綴った紀行文であり、昭和15年に上梓された。当時金子以外の男性に心を惹かれていた三千代との夫婦仲はこじれており、加えて金銭的にも不如意に悩まされ通しの旅は、必ずしも愉快なことばかりではなかったようだが、それでも旺盛な活力に満ちた東南アジアのみずみずしい自然と、そこに住む人々の飾り気のないその日暮らしの生活ぶりはよほど金子の性に合っていたのか、結果的には単に紀行文の傑作であるというだけにとどまらず、例えば国木田独歩の『武蔵野』や夏目漱石の『永日小品』や萩原朔太郎の『猫町』や梶井基次郎の『檸檬』や保田與重郎の『日本の橋』とも優に肩を並べるような、近代日本文学史上屈指のみごとな詩的散文ができた。
特に、全篇も終わりに近い「爪哇」(ジャワ)の章の中の、「珊瑚島」をめぐる一連の文章は、啞然とするほかない絶唱である。

 うつくしいなどという言葉では云足りない。悲しいといえばよいのだろうか。
 あんまりきよらかすぎるので、非人情の世界にみえる。
 赤道から南へ十五度、東経一〇五度ぐらいの海洋のたゞなかに、その周囲一マイルにたりるか、足りないかの、地図にも載っていない無人島が、かぎりなく散らかっている。
 それは、晴天下で、あやしくも人の目をいつわって咲いている。たぶらかしているのだ。或いは、くもり空のなかに怨じているのだ。驟雨(スコール)に、半分消えかけて、咽(むせ)んだり、しくしく歔欷(しゃくりなき)をしているのだ。
 胸のそこをむしばまれている少女たちのように、そこからはなんの肉情の圧迫を受けることができない。はげしい愛恋もない。熱の息吹もない。……うつくしい、けれどもそのこゝろのそこは、痴呆のようになんにもない。夜のようにまっくらである。いや、陰影すら印すことのないあかるさばかりの世界である。それだから人は、ひさしいあいだ、ここに止まっていることができないのである。
 美貌の島。……
 人生にむかってすこしの効用のない、大自然のなかの一部分のこうした現実はいったい、詩と名付くべきものか。夢と称ぶべきであるか。あるいは、永恒とか、無窮とかいう言葉で示すべきか。

 ながい年月にさらされ、波浪に洗われた珊瑚虫のからだが積みかさなって、波打ち際をつくっていた。
 軽くて、まっしろで、かる石のように無数の小孔のあいた、細ながい舎利骨片が、なみうちぎわをつくっているばかりではなく、小島全体をもりあげているのであった。小島を形成しているだけには止まらず、小島に近いまわりの海底までを、その珊瑚屑でぎっしりとうずめているのであった。
 裸足のまゝで、海の浅瀬に立つことはできない。波打ち際をひろい歩きすることもできない。舎利のとがりが足のうらを刺し、いるにいられないからだ。
 小舟にゆられて、ふなばたから島のまわりの海のそこをながめていると、ところどころに大きな菊目石が、花甘藍のように蟠踞するのがみえ、そのうえを、孔雀の尾のような青波がかぶる。その波の一かぶりには、木の葉のような、木の花のような、いく百いく千がかたまって、揺られ、散る。羽太である。拇指ほどの小さな縞鯛である。もっとうつくしい魚族である。虹のようなものである。(注1)

おおむねここ以外の頁では、帝国主義・植民地主義への反感を背景に―ただし、当初の予定と比べると、時局柄かなりの軌道修正を余儀なくされたらしい―、活気に富んだ熱帯の動植物の生態を限りなく慈しむとともに猥雑な人間臭さを愛してやまない作者の筆が、ちょうど巻頭に現われるセンブロン河、「ふかい森のおごそかなゆるぎなき秩序でながれうごいている」というあの「森の尿(いばり)」(注2)のごとく、いわば清濁併せ呑むという風情で、次々とあらゆる観察対象を取り上げては、精細かつ的確な描写を通じて、ほとんど眩惑的なほどの生々しさで読む者の神経に突き刺さってくる感覚的な散文詩へとそれを彫琢しているのが認められるのであるが、対してこの「珊瑚島」だけは例外的に、詩人が手を加えるまでもなくそれ自体がすでに、いかなる現世的なものに対しても拒絶を突きつけるかのような、不気味なまでの冷ややかな美しさの中に自足している。ここでは、精巧な宝飾品を思わせる対象自体―無数の珊瑚屑の堆積―の極度の繊細さこそが文の姿態を規定しているのであって、その逆ではない。しかしあまりの清らかさ、純粋さは、人間の身にとっては、かえって居心地の悪さに通じる。実際、ときたま島を訪れる漁夫たちの滞在も、二時間を超えることはないという。

 生活のむずかしさ、辛さを身に応えながらも、あまりかけはなれた、あまりに心と心の遠いこの小島に、永居をすると不安になるのである。なぜならば、こゝには毒虫もいない。蚊もいない。蛇の類もいない。むろん人生もなければその追憶もない。それゆえ、止まっていることが、だんだん無気味になってくるのである。
 たとうべきもののない寿命のながさと、その閑寂さがある。倦怠―褪せることをしらない色彩の不老がある。海は、くさ色である。空はますます鮮麗なふじむらさきである。風景は、硝子画の額のように、きよくて、あかるくて、すゞやかで、しかも、人間のこころではない無情さに、澄み透っている。(注3)

この非人間的な島々には、けれども、決して生命が不足しているわけではない。日の出から夜の訪れまでの一日を過ごしてみるだけで、そのことはよくわかる。

 夜あけ前、まだくらやみのうちにタンジョンを出て、小舟に、ふろしきほどの帆を張って、爪哇人の舟子に漕がせて沖に出る。まだあらわれぬ陽の光が、水平線の段階の下方からさして、瑠璃のようなあおい色が海のうえに漾(ただよ)い、私たちの島も、顔も、あたりいちめんをおなじ色で染めた。ガラス張りのなかを篝火がてらすように、水の大きなあつみの奥が、とゞくかぎりの底までありありとうつし出される。つぎの瞬間、くらい波のかどかどのあいだに、金粉にまみれた王冠のような島々が現われ、みるまにそれが、緋染めになる。それから水は、そのあらゆる筋肉の堆積を、むくむくと起上らせ、海が、青銅で作られた一つの逞ましい肉体であることを示す。小島は、その腕のなかで歓呼をあげる。そして、一日じゅう、彼らは唄う。かれらは、からだをゆすり、魂をゆさぶる。
 小島のしげみの奥から、影の一滴が無限の闇をひろげて、夜がはじまる。
 大小の珊瑚屑は、波といっしょにくずれる。しゃらしゃらと、たよりない音をたてゝ鳴る南方十字星(サウザン・クロス)が、こわれおちそうになって、燦めいている。海と、陸とで、生命がうちあったり、こわれたり、心を痛めたり、愛撫したり、合図をしたり、減ったり、ふえたり、又、始まったり、終ったりしている。(注4)

このように、珊瑚島が日々謳歌しているのは、燦爛たる金属的な輝きを放つ鉱物質の生命である。もともとボードレール、ヴェルハーレン、ランボー、ヴェルレーヌら、フランス(とベルギー)の象徴派詩人の作品から養分を摂取しながら詩人としての自己形成を果たした金子は、舶来の概念を借りて、それを「イデア」とも、「ユートピア」とも呼ぶ。

 諸君。人人は、人間の生活のそとにあるこんな存在をなんと考えるか。
 大汽船は、浅瀬と、物産と交易のないこの島にきて、停泊しようとしない。小さな舟は、波が荒いので、よりつくことが滅多にできない。人間生活や、意識になんのかゝわりもないこんな島が、ひとりで明けはなれてゆくことを、暮れてゆくことを。人類生活の現実から、はるかかなたにある島々を、人人は、意想(イデア)とよび、無何有郷(ユートピア)となづけているのではあるまいか。(注5)

「珊瑚島」をめぐる以上の断章は、まさしく無人島を思わせるたたずまいで、「イデア」のように「ユートピア」のように、ぽつんと前後の脈絡から孤立している。どういうつもりでこんな配置にしたのか、作者の思惑はもちろん余人には知るべくもない。推察するに、シンガポールから出発した短い船旅の終わりに、ジャワへの上陸を間近に控えながら抱いた不吉な予感―「だが、あそこにはもう、陸があるのだ。陸、そこには中心があるのだ。固定がある。うごくものに委せている不動のかわりに、うごかぬ土の上をはいまわるあくせくの生活がある。その生活のかゝわりが、一歩足をふんだときから、癌のようにその蟹足を八方にひろげる。なにごとかが、そこで始まらないではおかないのだ。/なにごとか。―私の、まったくのぞみもしないことまでが」(注6)―の正しさを裏づけるかのように、それに続くバタビアの街での暮らしを通じて、三千代との間になかなか埋めがたい溝のあることを痛感させられたからかもしれない(実際、「珊瑚島」に先立つ断章「蝙蝠」は、この溝に焦点を合わせつつ、小心な蝙蝠のちょっとしたいたずらがきっかけで二人の間に束の間の心の通い合いが回復するに至った顛末を描いている)。
だが、いかなる動機があろうとも、人の世の煩わしさを離れた珊瑚島の凄絶な美への憧れは、日毎新たに誕生をやり直しては誰にはばかることもなく存分に自らを享受する島々の鉱物質の生命が、むしろそのような個人的問題とはてんから無縁な、一切の憂いを知らぬ清澄な境地を一種の慰めとして啓示してくれるからこそ必然的なのである。

ジル・ドゥルーズは、哲学者としての経歴の出発点を飾る奇妙な論稿「無人島の原因と理由」の中で、絶対的な分離における絶対的な創造性を体現するものとしての無人島の形象を祝福し、たとえ人間が住みつこうと、その者が依然として分離され、かつ創造的でありさえすれば島は無人であることをやめないとすら書いていた。

人が島を夢想するとは、その人が分離すること、すでに分離されてあること、大陸から遠ざかり、一人ぼっちで寄る辺もないこと、を夢想することにほかならない。あるいは、それはゼロからの再出発を、再創造を、再開を夢想することである。〔中略〕分離と再創造とは、たぶん相容れないものではなかろう。分離されれば、せっせと働かなくてはならない。再創造したいなら、分離されている方がよい。〔中略〕
 ひとつの島が無人島でなくなるためには、なるほど、単に人が住むだけでは足りない。島にかかわる人間の運動は、人間以前の島の運動をやり直す。もしそれが本当だとしたら、人々は島に居着くことができるが、そこはなお無人であり、なおいっそう無人になる。ただ彼らが、充分に、つまり絶対的に分離され、充分に、つまり絶対的に創造的であるとするなら。漂流者がこうした状況に近づくとしても、たぶん実際には決してこんなふうではない。しかし、こうであるためには、人が島にもたらす運動を想像力の方へと押してやるだけでよいのだ。そのような運動が、島から無人を断ち切るのは、見かけに過ぎない。本当は、この運動は、島を無人島として生み出していた飛躍をやり直し、延長する。飛躍を損なうどころか、それを完成し、頂点にもたらす。この飛躍を事物の運動そのものに結び付けるようなある諸条件のなかで、人間は無人を断ち切らない、それを神聖化するのである。島にやって来る人間たちは、現実に島に居着き、そこで住民を増やす。しかし、本当は、もし彼らが充分に分離され、充分に創造的であるのなら、彼らは、ただ島に、島自身についてのひとつの動的なイマージュを与えるだけだろう。島を生み出した運動についてひとつの意識を与えるだけだろう。その結果、島は人間を通して、ついに無人の、人家のない島としての自意識を持つに至るだろう。島とは、単に人間の夢想であり、人間とは、島が持つ純粋な意識であろう。そのためには、もう一度言うが、次のたったひとつの条件が要る。すなわち、人間は、自分を島に導く運動に帰着するのでなくてはならない。この運動が、島を生み出してきた飛躍を延長し、やり直すのである。それなら、もはや地理学は想像的なものと一体でしかあるまい。したがって、昔の探検家たちに親しいあの問題、「無人島にはどんな生き物が棲んでいるのか」には、ひとつの回答しかないことになる。そこに棲むものは、すでに人間である。が、並みの人間ではない。絶対的に分離され、絶対的に創造的な人間だ。〔中略〕島は、海が取り囲むものであり、人がそこを廻(めぐ)り歩くものである。それは一個の卵に似ている。(注7)

なるほど、ここに示された一連のいささか荒削りな考察の中でも、とりわけ「地理学は想像的なものと一体でしかあるまい」という見解については、想像界とは現実の対象に結びつき、無意識の結晶を作る潜在的対象のことであると定義しつつ、生成変化を準備するさまざまな道のりの集積、すなわち数々の潜在性からなる地図としての藝術作品のおかげで、想像の旅が現実の旅に重なり、両者の構成する回路の中で前者が後者を変容させる過程が感受しうるようになると説く、後年のいっそう洗練された考えを参照することによって修正を図るべきかもしれない(注8)。想像的なものと現実的なものとの結合を可感的にしてくれる原理であるかぎりで、藝術とは、何よりもまず地図作成法なのだ。
しかしながら、主著『差異と反復』の第四章(「差異の理念的総合」)におけるドゥルーズは、発生的諸要素の間の差異的・微分的な諸関係(比)の体系としての理念(イデア)、ないし多様体について、それは未だ現働化していない、すなわち種別化(質の付与)と部分の組織化という異化・分化を遂げてはおらず、時空的な二重の力動を知らない潜在的なものだが、とはいえすでに構造としてのある現実性を申し分なく具えていると述べながら、そのような理念(イデア)はもっぱら胚の状態にある幼生の主体によって、身に余る役割として耐え忍ばれるほかないと主張し、ちょうどかつて無人島を「卵」になぞらえたのと同じような調子で、こう書くのである。

世界は卵(らん)である、がしかし、卵それ自身はひとつの劇場である。すなわち、そこでは役割が役者に優越し、空間が役割に優越し、《理念(イデア)》が空間に優越するような上演の劇場である。(注9)

もちろん、劇場とは、何はさておきまずは劇が上演される場である。種と部分の二元性へと帰結する、質的にして量的、時間的にして空間的な二重の力動としての異化・分化の過程―これをドゥルーズは「ドラマ化」と名づける。そして、その例としてまっさきに持ち出されるものこそ、無人の島の理念(イデア)にほかならない。

 どの《理念(イデア)》も、複数の水準でドラマ化され、またそればかりでなく、異なったレヴェルにあるドラマ化が、たがいに反響しあい、それらの水準を貫通するのである。たとえば島の《理念(イデア)》を考えてみよう。地理的なドラマ化は、島の《理念(イデア)》を異化=分化する。あるいは、島の概念を、つぎのような二つの類型に即して分割する―まず、水面上への噴出、隆起を示す根源的な海洋類型、つぎに離断とか断裂を指し示す派生的な大陸類型。ところが、島の夢を見る人は、あの二重の力動を再発見する。なぜなら、彼は、一方で長い漂流の後で、自分が無限に隔てられているという夢を見、他方で、根本的な土台において、断固としてやりなおすという夢を見るからである。〔中略〕諸領域、諸レヴェル、そして諸水準を横断するのは、まさに想像力であり、この想像力こそが、いくつもの隔壁を打ち倒し、世界と同じ広がりを持ち、わたしたちの身体を導いてわたしたちの心に霊感を与え、自然と精神の統一を了解するものなのである。想像力とは、絶えず学から夢へと、また逆に夢から学へと移りゆく幼生の意識である。(注10)

想像力によって夢見る人が自らそれを生きなくてはならぬような、島の理念(イデア)、あるいは理念(イデア)としての島へのこのあられもない偏愛は、開始よりも再開を、起源よりも反復を重んじるという姿勢に根ざしている。というのも、すでに「無人島の原因と理由」は、「無人島をひとつのモデルとし、集合的魂の原型とするような想像力の運動」への復帰を目指して、この上ない明快さで次のように力説していたからだ。

まず、確かに、無人島から創造が為されるということはない、が、再‐創造ならばある。そこに開始はない、が、再‐開ならばある。無人島は、ひとつの起源である、しかしそれは第二の起源なのだ。そこから発して、すべてが再開される。島は、この再開に必要な最小物、第一起源の存続質料、一切を再‐生産するのに充分なる核、あるいは放射する卵である。こうしたことすべては、明らかに次のことを前提としている。世界の形成は、誕生と再生という二つの時、二つの段階においてある。第二のものは、第一のものと同じくらい必要かつ本質的である。したがって、第一のものは必然的にやり直しへと巻き込まれ、それに向かって生まれ、破局のなかですでに再‐否定される。破局が一回あったから、第二の誕生があると言うのではない。だが、逆なら言える。第二の誕生が、すでに起源からなければならないが故に、起源の後には破局がある。このような主題の源泉を、私たちは自分自身のなかに見出すことができる。生命を判断するのに、私たちはそれをその生産においてではなく、再生産において待ち受けている。いかに再生産されるか不明の動物は、まだ生き物の列には置かれない。一切が開始される、というだけでは充分ではない。可能な結合の循環がいったん完成されれば、一切は反復されるのでなくてはならない。第二の瞬間は、第一の瞬間の後に続くものではない。第二の瞬間は、他の諸瞬間がみずからの循環を完成させた時にやって来る第一の瞬間の再出現なのだ。第二の起源は、第一の起源より本質的なものになる。なぜなら、第二の起源は、私たちに系の法則を与え、第一の起源がただ与えるだけの諸瞬間について、反復の法則を与えるから。〔中略〕第二の起源は、第一の起源より重要であり、それは神聖な島である。多くの神話が私たちに語ることは、そこには卵が、宇宙の卵が見つかるということだ。卵は、第二の起源であるから、それは人に託され、神々には託されない。それは分離されている。洪水がもたらすあらゆる厚みを通して分離されている。なるほど、大洋と水とは、隔離の原理である。だから、聖なる島では、キルケやカリュプソが住む島のように、女だけの共同体が形成されもする。結局、開始は神と一対の男女とから発していたが、再開はそうではない。それはひとつの卵から発する。神話的母性は、しばしば単為発生である。第二の起源という観念は、その意味のすべてを無人島に与えている、再開に手間取る世界のなかの聖なる島の残滓に与えているのである。再開の理想のうちには、開始そのものに先立つ何かがある。開始を深くするために、開始をやり直し、それを時間のなかへと押しやる何かがある。無人島とは、この太古からのもの、あるいはこの最も深いものの質料である。(注11)


たぶん、『マレー蘭印紀行』の「珊瑚島」の断章があれほど美しいのは、「イデア」としてのあの島々が毎朝夜明けの訪れと同時に遂げる復活の光景を祈りにも似た渾身の筆致で描きながら、ドゥルーズと同じく金子もまた、開始以上に深いという再開の夢をそこに託さずにいられなかったからではなかろうか。実際、神話的な「女だけの共同体」というドゥルーズの何気ない思いつきは、さながら「胸のそこをむしばまれている少女たち」のようだった無数の清らかな小島が、朝焼けの中で海の腕に抱かれて高らかにおのが生命を歌い上げる、という金子の奔放な想像力から生まれた形象においてこそ、まことに力強く具現化されているように思えてならない。


(1)金子光晴『マレー蘭印紀行』(中公文庫、2001年第12刷)139-141頁。
(2)同書12頁。
(3)同書141-142頁。
(4)同書143-144頁。引用文中の「私たちの島も、顔も」は、あるいは「私たちの顔も、島も」に改めるべきかと思うが、一応原文を尊重しておく。なお、「タンジョン」という語は、日本語の「何々ヶ崎」という地名における「崎」(岬)に相当するらしい(117頁)。
(5)同書144頁。
(6)同書132頁。引用に際して、原文中の傍点を省いた。
(7)ジル・ドゥルーズ「無人島の原因と理由」(前田英樹訳)、『無人島 1953-1968』(河出書房新社、2003年)14-16頁。
(8)ジル・ドゥルーズ「子供たちが語っていること」、『批評と臨床』(守中高明・谷昌親訳、河出文庫、2010年)132-145頁。
(9)ジル・ドゥルーズ『差異と反復 下』(財津理訳、河出文庫、2007年)132頁。
(10)同書139-140頁。
(11)ジル・ドゥルーズ「無人島の原因と理由」(前田英樹訳)、『無人島 1953-1968』(前掲書)20-22頁。
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