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つじこの

一応、本とかの批評のつもり。趣味的な備忘録

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SAZ『艶色豊満』 

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4月29日はCOMIC1☆8の日だった。
コミケ同様、これといって統一的な主題のない即売会なので、こうなるとどうしても艦隊これくしょんが多数派を占めることになるのは時勢というものだ。
サークル「夜★FUCKERS」(ミツギ)の『チン守府のナカ休み』は、拘束されて身動きの取れない提督を艦娘たちが入れ代わり立ち代わり延々と責め続けるという内容で、男が情けなくいじめられる姿を見るのが楽しいという人にはうってつけである。ここしばらく『境界線上のホライゾン』の同人誌で追究していた点蔵とメアリの純愛ものもよかったが、明瞭さを多少犠牲にしても体の一部を極端に拡大していやらしく強調する行き方―この人の漫画を読んでいると、「このコマは一体?…あ、わかった。舌と舌が絡み合ってるのね」という類の視覚的な戸惑いを感じることが少なくない―をそのまま持ち味として活かすには、こういう一見地味で陰湿な、いかにもという変態的な作風のほうが向いている気がする。
サークル「ありすの宝箱」(水龍敬)の『RAA―特殊慰安戦艦榛名―』は、日本の敗戦を機に、艤装を外されて国営慰安所(Recreation and Amusement Association)で働き始めた榛名が主人公であり、同胞女性の貞操を守るための最後の奉公と思えばこそ自ら盾となって進駐軍の兵士に身を任せようと決めたのに、世間からは感謝されるどころかあべこべに蔑視を浴びて悩む彼女の葛藤を通じて、日頃の「ヤリマンビッチ」的な作風の背後に身を隠してきた(そうでもないか…)知識人・水龍敬の素顔を垣間見ることができる。元来性行為は何も付け足さなくてもそれ自体が比類なく劇的な強度に満ちた体験でありうるのだから、したがって虚構作品においても何はさておきそのようなものとして表象されるべきだという信条を持つ私としては、こういう社会派のエロ漫画は必ずしも好みではないが、会場にひしめく艦これ系同人誌の中でも挑発的な問題提起でひときわ異彩を放つ力作だったのは間違いない。

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サークル「PKグリッスル」(井雲くす)の『空母ノ花嫁』は大変すばらしい。商業誌・同人誌の別を問わず、どこか山椒魚のような両生類のぬめっとした質感に通じる非人間的な人物のたたずまいや、いまにも崩れそうな柔らかい豆腐を思わせる簡潔な輪郭線の蠱惑的な風情が面白く、かねて私とは別様に世界を見る視線の実例としてこの人の漫画は珍重していたのだが、今回は細かい書き込みが増え、入念な陰影法で立体感を出したり、下着の湿り気を強調したり、はたまたえげつない構図で局部に肉迫したりと、比較的広く受け入れられやすそうな写実寄りの絵柄になっており、ほかにも瞳をハート型に描くなど、さまざまな工夫の跡がうかがえる。もっとも、なんと入江亜季の『乱と灰色の世界』の二次創作、しかも絵柄も雰囲気も異様に原作に近くて完成度の高いエロ同人誌(『珊瑚と桃色のせかい』)も以前出ていたので、もともとかなり器用というか、その気になれば何でも、どんな風にでも描ける人なのだろう(唐突に子供の落書きのような粗さに走っては読者の脱力と笑いを誘うという手法も、それを裏づけている)。この変化がはたして一過性のものか、それとも商業活動にまで及ぶ転機を画する性格のものかはわからないが、少なくとも提督とケッコンカッコカリした加賀の初夜という内容の真剣さには、このくらいの重厚さが似つかわしい。しかしいくら全体的な絵柄が正統派に近づいたといっても、冬(C85)に出た前作『感隊が出撃します♡』と比べると、加賀の顔立ちが変わってぐっと扁平になり、両目が細くなった上に目と目の間隔が開き、口も小さなおちょぼ口になるという具合に、いかにも大和撫子という趣を見せてくれるあたり、やはり一筋縄ではいかない(実は、本文を見ればそれほど大きく変化しているわけではないのだが、表紙を比較するかぎりでは結構な違いである。それに、肌の色も白さが増しているようだ)。もっと癖のない美人のほうが好きだという意見もありそうだが、こと言動にふさわしい容姿の加賀らしさという点では、目下これ以上の同人誌を私は知らない。取り澄ました日本人形のようなこの無表情があるからこそ、ひとたびそれが崩れた後で彼女が乱れに乱れる様子もいっそう映えるというものだ。

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※サークル「PKグリッスル」の『感隊が出撃します♡』(左)と『空母ノ花嫁』(右)

艦これではないが、サークル「SAZ」のsobaさんによる『艶色豊満』が私にとっては今回の真打ちである。『とある科学の超電磁砲』の食蜂操祈本として、冬(C85)の『好色豊蘭』に続く二冊目であり、それだけに彼女の描き方がいっそう確信に満ちているのは明らかで、この人にしては大掛かりで息の長い倒叙法の使用ともあいまって、ある種の余裕さえ感じさせるのが頼もしい。これを見るかぎり、昨年の『柳生振感』(COMIC1☆7)あたりから始まったと思しい絵柄の模索は一段落を迎えたようだ。明暗法や線の強弱のつけ方は堂に入ったものだし、細部の精緻さは決して全体の統一を乱すことがない。例えば、開巻早々読者を不意打ちする下の頁を見るがよい。なるほど、このくらい克明に、しかも美しく写実的な乳首を描ける人は他にもいるかもしれない。だが、それが頁全体の中で然るべき地位に然るべく落ち着いていて、女性の全身の見え方がみじんもそのために破綻や動揺をきたす気配がないのはこれこそ特筆に値することで、その点を考慮に入れさえすれば、他の同人誌の中からこれに匹敵する候補を挙げるのはとたんに難しくなってくるはずなのだ。

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また、幸いにしておっぱいへの本格的な関心も復活しつつあるようである。というよりも、あとの楽しみとばかりに慎重を期して、絵柄が安定するまで自主的に延期していただけなのかもしれないが、その辺は憶測しても仕方のないことだ。それに合わせてか、前作(『好色豊蘭』)と比べるとちゃっかり食蜂が大人のお姉さん化しているのには思わず笑ってしまう。基本的な描き方に大きな変化はなさそうなのだが、骨盤や腹筋の強調に伴って心もち胴体のくびれが目立つのと、睫毛が長く、濃くなったことに加えて、それ自体としては丸っこい作りの目を頻繁に細めたりつぶったりする仕草にも原因があるらしい。胴体に関しては、あまり細長くしすぎると中学生らしさが失われそうだが、そもそも設定上は当麻と同じくらいの身長があるはずだから、これはこれでよい。考えてみれば、前作において胴体が寸詰まり気味に見えたのも、多分に遠近法の効果に由来する印象だったようだ。また、睫毛と目に関する新たな試みも、ともすれば不真面目に見えかねない彼女にどう自然な表情を持たせるかという、およそ食蜂の同人誌を作ろうとする者であれば誰しも避けて通ることができない問題と真摯に向き合った結果として、高く評価せざるをえない。それが、揉むとこれまた中学生らしからぬ極上の柔らかさで指に応えてくる乳房と一体になると―ついでながら、この乳房も、ちゃんと胴体からじかに生えているように見えるのが実によい。文字通りとってつけたような不自然さが欠片もなく、胸を大きく描きたがる漫画家にありがちな陥穽を免れているのだ―、100点満点中41081(ヨイオッパイ)点くらいはつけないと申し訳ないような、トロトロのふわふわになる。ぐうの音も出ない。

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もっと凶悪で、下品な作風のほうが興奮するという意見もありうるかと思うが、この甘さや優美さは決して生半可な腕で作り出せるものではない。仮にどこかの美大かデザイン学校でエロ漫画の創作講座を開くとすれば、まっさきにsobaさんを講師として招くべきだと思わされる、そういう性質の模範的な安定感があるのは否定しがたいからだ。そのつもりで、『艶色豊満』をいわば教科書として読もうとすれば、一体いくつの教訓を引き出してくることが可能なのか―それは例えば、コマの進行につれて女性の表情の推移を追うことで快感の昂進を表現する場合は、単調さを避けるとともに因果関係を一目瞭然にするために、体(首から下)に何が起きているのかがわかる描写を間に適宜挟みながら段階的に顔を拡大していくべし、というものかもしれないし、あるいはまた、余白を利用して膣内の男性器の運動を描く際には、持ち主の動作と方向を一致させるべし、というものでもありうる―、到底私には見当もつかない。
もちろん講座などという語は冗談のつもりなのだが、それらの教訓が言語化を許すということ、つまり現にこうしていちいち命題の形で抽出することができるという驚くべき事実がなければ、そんな冗談はそもそも思いつきさえしなかったはずだ。当然ながら、言語における知識の伝達可能性という条件が満たされないかぎり、一般的な教育は成立しえない(藝術教育の不可能性とはいかないまでも、困難さと特殊性はここに起因する)。この自明の理を逆転して、およそ言語において伝達可能なものは知識をおいてほかにない、と考えてみよう。そうすれば、いわゆる主知主義とはおよそかけ離れた『艶色豊満』の一見能天気そうな頁の背後に、いかに豊かな知性の鉱脈が控えているか、察しがつこうというものだ。

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一方で「メンデルスゾーンはもっとも悲劇から遠い作曲家だろう」(注1)と書き、そしてその点に恋愛における自らの理想に共通する一種の弱々しさの気質をほのかに感じとっていたらしい哲学者ウィトゲンシュタインは、他方でこの作曲家に特有の晴朗さと裏腹の、到底孤高とは評しがたい表現の不徹底性に対して物足りなさをも覚えていたらしく―彼によれば、「メンデルスゾーンは峰ではなく、高原である」。そして「メンデルスゾーンは、周囲のすべてが陽気なときにだけ、陽気である人間に似ている」という(注2)―、それゆえ彼の目には同じ路線を歩みながらもいっそう妥協を知らず、「欠点のないメンデルスゾーン」として映ったブラームスのことを、ことさら敬愛していた節がある。

ブラームスは、メンデルスゾーンが中途半端な厳しさでやったことを、手抜きしないで厳しくやっている。あるいは、しばしばブラームスは、欠点のないメンデルスゾーンになる。(注3)

今日、時代の近い独墺系の作曲家ではブルックナーやマーラーの人気がブラームスを凌駕している観があるのは、彼らの強烈に偏った個性ゆえであり、より正確には両者とも巨大な管弦楽の迫力を存分に活用しながら、一方(ブルックナー)は文明以前の荒々しくも荘厳な大宇宙の律動を鳴り響かせ、他方(マーラー)は逆に私小説的な七転八倒の中で極度に個人的な情念の世界を赤裸々に表出し続けたことが主たる原因だろうと思えるが、双方の音楽にあまり共感できなかったらしいウィトゲンシュタインが(注4)、あくまでも古典的な絶対音楽の理念に忠実たらんと志し、伝統的な形式を自覚的に踏襲しつつ煮えたぎる激情をその枠内に封じこめようと努めたブラームスには、「ブラームスの音楽における思想のつよさ」・「ブラームスの圧倒的な能力」(注5)等々の、おそらく最大級の賛辞を寄せていることは興味深い。思うに、この「能力」という語からは、いわゆる有能さという意味に加えて、ブラームスの悠揚迫らぬ作品が「ここぞ」という大詰めの一瞬を除けば曲中のどの瞬間においても聴く者に感じさせる貫禄の印象、つまり、一度に全てをやろうとする性急さへの用心深い警戒と表裏一体の自己抑制の態度に由来する、作曲家はまだ十分な余力を残しているという印象を説明しようとする意図を読みとってもよいのではないか。
私自身はこの三者の中でブルックナーを一番好むが、それはそれとして同様の賛辞は、『艶色豊満』におけるsobaさんにもあるいは妥当するのではないかと感じる。中庸ではあっても凡庸ではなく、重厚にして鈍重ならず、柔和にして柔弱ならず、ましてや弛緩や投げやりとは最も縁遠いところが、いかにもブラームス的だからだ。ここには、自然界に横溢する非人間的な力の数々に突き動かされるまま、盲目的にそれを作品へといわば翻訳する以外になす術を知らぬ原始的な自我のあり方を克服するところにのみ自ずから生じる無私の気品があるが、しかもそれはいまだ、なりふりかまわぬ露悪趣味に走ってでも自我の存在を声高に訴えたいという気取りには達していない。というよりも、そのはるか手前で行く手に待ちかまえるものを悟って故意に踏みとどまっているのだろう(先には「幸いにしておっぱいへの本格的な関心も復活しつつあるようである」などとしたり顔で書いたが、こうなると前作における胸の存在感の稀薄さについても、むしろ胸が膣に劣らぬ第二の目標でありうるような親密さの諸段階というものを想定した上で、それから出発して理解すべきだったのかもしれない。乳房は、その価値が粗略に考えられているからではなくて逆にこの上なく尊重されているからこそ、知り合ってまだ間もない男女の情交においては、大きな比重を占めるべきではない、というわけだ。この慎重さが、これまたいかにもブラームスらしい)。
まるで、藝術は定義上それ自体としてひたすら保存を行うものであり、それは作品が、例えば肖像画が、制作の時点で参照された実在の人物からはもちろん、観衆や聴衆、さらには創作者その人からすらも独立している「諸感覚のブロック(un bloc de sensations)」として、つまりは知覚(perception)をはみ出す被知覚態(percept)と、変様(affection)をはみ出す変様態(affect)との合成態として、元来あらゆる個人的な体験を超出しているからにほかならないと考えるドゥルーズの信念の立証を目の当たりにしているかのようだ(注6)。むろん、ドゥルーズの美学は堅固な形態の秩序を決して安住の地とはみなさず、むしろ最終的にはそれを突き抜けて主体に先行する非人称的な諸々の力の流動を解放しようとするところにその真骨頂がある以上、エロ同人誌はおろか漫画全般と必ずしも相性が抜群とはいきそうにないのだが、とはいえさながら透明なガラス板に食蜂がお尻を押しつけているかのような『艶色豊満』の表紙の充実しきった自律性には、見る者をして、思わずこれこそ最近のエロ同人誌の中では最もドゥルーズ的な藝術の哲学に間近く迫りえた実例ではないかと自問せしめるだけのものがある。少なくとも、視覚的な平面性と触覚的な立体性との両立という課題については、これを上回る解決策が容易に案出できるとは信じがたいし、ドゥルーズも二つの別々の感覚の密着ないし接し合いを、感覚合成態としての藝術にとって不可欠ないくつかの特徴の中に数え入れているのだ(注7)。極度の近さの中で形態の解体と引き換えに素材ないし生地のきめを露呈させようとする、ドゥルーズの美学に独特の「触感的(haptique)」視線とはあくまでも似て非なるものとはいえ、目が手のように振る舞う必要があるという点は共通なのだから、エロ漫画の読者に要求される視線の使い方は、意外とこの比較を正当化してくれるものかもしれない。

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実際、連鎖する各場景の継ぎ目になおうかがえる若干の冗長さやもたつきから『艶色豊満』という作品を救っているのは、というよりもこれはこれで愛欲まみれの平和な雰囲気が出ていてよいとすら思い直したくなる主たる理由は、いまにも手で触れることのできそうな三次元的な形態が、それ自体を唯一の源泉として汲み上げる自足的な緊密性と統一性なのだ。たぶん、こんなに肉の詰まった弾力的な肢体を震わせて身悶えする食蜂の姿を思い描いた人は―上の図を見ればわかるように、完全に水平な仰向けの姿勢ではなくて左半身の側に傾いているせいで、右の乳房が左の乳房の上に隙間なくかぶさっている―、sobaさん以前に誰一人としていないはずである。となれば、絵柄がある程度安定したいまこそ、むしろ話の流れの滑らかさについてはあまり気にせず、多少の不自然さは覚悟の上で、『すきとおるそら』(COMIC☆6)くらい大量に乳関係の甘やかしを再び投入すべき時機が来ているのではあるまいか。純粋に乳房の描写だけでは手詰まりだというのであれば―この人に限ってそんなことはないと思うが―、男性の登場人物の存在感を過度に節約してしまわずに、快感と羞恥に身の置き所をなくす様子を入念に描けばよいと思う。こういう節約には、男性の読者の想像力を助けて作中に自己を移入しやすくしてくれるという利点があるはずだが、『立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は18禁』(COMIC1☆5)や『すきとおるそら』などから察するに、むしろそうしすぎないほうが表現の幅が広がりそうだからだ。『艶色豊満』に限らずsobaさんの同人誌に登場する上条当麻を、際限なく女性との交友関係が膨張していく一方でどう収拾をつけるかのめどが一向に立たない(というよりも、実はいまだ人間関係そのものに由来する深刻な感情の動揺を経験したことがなく、その方面ではおよそ葛藤らしい葛藤も、真にその名に値する苦悩や挫折も知らない)原作の小説における彼自身と比べると、特定の誰かによって代替不可能な個人として熱烈に愛され、欲望されるに値するばかりか自らも旺盛な愛と欲望でそれに応じうる血の通った一個の人格として、前者が後者を、人間的な親しみやすさの魅力という側面から―しのぐかどうかはいざ知らず―補完する役割を果たしているように思えてならない(注8)。基本的には性行為に耽っているだけなのに、それでいて限られた頁数を通じて人柄の良さやあどけなさがありありと伝わってくるというのも、考えてみればすごいことではないか。


(1)ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン『反哲学的断章』(丘沢静也訳、青土社、1999年)25頁。
(2)同書26、27頁。
(3)同書57頁。
(4)同書81、102、186頁。
(5)同書75、80頁。
(6)ジル・ドゥルーズ+フェリックス・ガタリ『哲学とは何か』(財津理訳、河出文庫、2012年)274-275頁。
(7)同書283頁。
(8)もともと『とある魔術の禁書目録』はそういう小説ではないからと割り切ってしまえばそれまでだが、誰に対しても分け隔てなく親切に接し、人助けのためには手間を惜しまないせいでかえって自分自身が厄介な事件の火種と化してしまう、一種の倫理的な怪物に属する型の主人公としては、明らかに例えば西尾維新の阿良々木暦のほうが上条当麻よりもよくできているというか、よい意味で問題含みな存在である。

(7月7日の追記)なぜか点蔵のつもりが「半蔵」と書いていたので訂正した。どうしてこんな馬鹿な書き損じをしたものか、我ながらさっぱりわからない。やっぱり公表する前にちゃんと見直さないとだめねー…点蔵ごめんな、でももげろ。
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