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つじこの

一応、本とかの批評のつもり。趣味的な備忘録

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日日日『のばらセックス』5 

今回は日日日『のばらセックス』にいちゃもんをつけようと思う。
以下六点。

(1)おちば様の所属する組織の名は「S・A・S」(21頁)で、「セックス・アンダー・ソサエティ」というルビが振ってあるのだが、「アンダー」が前置詞の"under"のつもりなら、言うまでもなく略称は「S・U・S」でないといけない。

(2)「あたしの縮尺七割の、文弱な身体」(38頁)は、「文弱な」という形容詞が引っかかる。加工種(エルフ)の知能は本来ならば人間に引けを取らぬとはいえ、ソプラノ個人はおよそ文化的なものとは無縁な環境で育ち、まともな教育を受けてこなかったからだ。「繊弱な」とか「華奢な」のほうが適切だろう。実際には人間以上の身体能力を有することまで考慮すれば、「繊弱そうな」とか「一見華奢な」とでもすべきか。

(3)「じゃあ、丁重に扱いなさいよ―崇めたてまつりなさい、皮下脂肪をたくわえなさい、虫んこども!何百回も子供生むなんて、健康で図太いのばら様ぐらいじゃないと堪えらんないんだから!」という台詞(54頁)は、ちょっと不可解だ。
ここの「皮下脂肪」云々は一体誰の身体に言及しているのだろうか。先行する「崇めたてまつりなさい」からの続き具合を考慮するなら、喋っているおちば様自身の身体と判断すべきかもしれず、だとすれば「たくわえなさい」を「たくわえさせなさい」に改める必要がありそうだが、「虫ん子ども」以下に続く部分を読むとやはり聞き手の、ということはつまり加工種(エルフ)の身体のような気がする。しかしそれではまるで、犯されるおちば様ではなく、彼女を犯す加工種(エルフ)たち自身が腹を痛めて子供を生むかのようではないか。十分な説明のない加工種(エルフ)の繁殖事情が人間に準じると仮定しての話ではあるが、男性でも出産ができるようにする技術自体はこの小説内で確立されているとはいえ、奴隷同然で文明の恩恵に与れない加工種(エルフ)がそんなものを反政府的な目的のために私用することが可能なのか。大体、この台詞を向けられた加工種(エルフ)のアルト自身が、数行先では「それこそ女の子を産ませたあと」と言っているのだ。
結局、おちば様のこの台詞は、ろくなものを食ってなさそうな種族としての加工種(エルフ)全体に対する罵倒であり、「あたしを監禁して何度も出産させるつもりか。それなら、まずあんたらの暮らしぶりを種族単位で向上させて、皮下脂肪がたくわえやすい環境を整えてみせろ。でないとあたしの貧弱な身体はそんな重労働にすぐ音を上げてしまうぞ」という脅しではないか。こう考えれば一応理屈は通るようだが、それにしてもまわりくどい。

(4)セノン(妹音)ははっきり「隻腕」と書いてあるのだから、挿絵が彼の左手を義手として描いているのはおかしい。長めの袖で隠せばよかったろう。

(5)「先端の乳首は薔薇のようだ」(333頁)はいただけない。「薔薇のように鮮やかなピンク色だ」ないし単に「薔薇色だ」とでもするか、せめて「薔薇の蕾のようだ」と書くべきだろう。

(6)以前の記事でもおちば様が無力さゆえに何度か「子犬」になぞらえられるという事実に注目したが(日日日『のばらセックス』(続き))、この比喩を終わり近くまで使い倒しつつその価値を負から正へと転換する処置があると、たぶんなおよい。それにはどうするか。
終章「いつかは散る薔薇」では開始早々に後背位、いわゆる「ドッグスタイル」の幸福そうなまぐわいが出てくる。
これの位置をもっと後にまわすのだ。
具体的には、自らの出生の秘密に関わる綿志の記憶をおちば様が追体験する場面の直後、すなわち大詰めの敵地潜入の直前に。
要するに、「ソプラノの男性器は、見慣れないうちは異様だった」というきわめて魅力的な(したがって変更しがたい)書き出しから敵地潜入の直前まで現在時制では一貫して性交が続いているということにして、その途中に上記追体験についての回想を丸ごと押し込んでしまってから(これは回想の二重化という、それ自体として面白い結果につながる。どうせこの章は一人称なんだから、時制が少々ごちゃついても問題ない)ドッグスタイルでの挿入に移るか、または時間の流れはとどこおりなく通常通りということにしつつ、章の冒頭での性交の体位は変更して敵地潜入の直前にいま一度ドッグスタイルでのまぐわいを設けるか、すべきなのである。
いずれの処置を選ぶにしても、「犬」の比喩の価値転換によって伏線のこぎれいな回収が実現するし、加えて「ペニスからヴァギナへ」という作品全体の主題も明瞭になることが期待できる。
現行の叙述の順序だと敵地潜入の直前に上記の追体験がくるわけだから、作中最後のおちば様の性的経験は結局綿志の感覚を介した疑似射精ということになってしまう。たしかに、ファロセントリズム(男根中心主義)の相対化(なにしろ対象に言及しないと相対化はできないのだ)、および動機から行動への滑らかな連続という点でこの順序にも長所があることは否定できないし、なによりも二人目以降の女性の出現に先立って一人目(しかもそれは話者自身である!)が生まれるに至ったいきさつが回顧されるのは合理的だ。だが、恋人同士の性器結合に比べると明らかに不完全燃焼気味なプレイ内容のもたらす少々散漫な印象が、あとに続く戦闘の場面にまで波及してしまうのは惜しい。
再版というか書き直しの機会があれば、そのあたりの事情は再考を願いたいところである。

まあ、以上はしょせん難癖の類で、脳内補正すればよい程度の事柄ではあるのだが。
これも作品分析のいちぶ(あっ、日日日の書き癖が移った)ということで勘弁してくだされ。
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category: 『のばらセックス』

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