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つじこの

一応、本とかの批評のつもり。趣味的な備忘録

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四ツ星レストランおかん『むかしんちといつつの短編』 

今回は、同人誌を取り上げてみたい。
東方Project(同人シューティングゲーム)の二次創作の集いである、第9回博麗神社例大祭(2012年5月27日)でサークル「四ツ星レストランおかん」が発行した、『むかしんちといつつの短編』である。
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サークルの作品としては通算47冊め、東方ものの総集編としては3冊めにあたるようで、一見した感じではあまり量産のきく絵柄とは思えないのに、なんとも旺盛な創作意欲には恐れ入るほかない。表題どおり、「むかしんち」をはじめ6つの既刊作品が収録されていて、とても読み応えがある。
どれも面白いのだが、ここでは「あめのひ」と「やくもしんぶん」の二篇を紹介したい。

第2作「あめのひ」は、急な雨のために外で遊べなくなった橙がてるてる坊主を作っていると、藍さまに髪が伸びているのを注意されてしぶしぶ散髪してもらうというお話で、橙の腕白ぶりが実にほほえましい。
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「どさどさ」「ちょきちょき」「くしゃくしゃ」「きゅっ☆」
(橙)「『てるてるぼうず』/っていうんだよ!!」「これを/つるすとあめが/やむんだって!!」(右の図より)
(藍)「橙、/てるてる坊主かい」「それにしても/ずいぶんたくさん/作ったね」(左の図より)

ここで気になるのは、なぜ散髪なのか、ということだろう。単に切る必要があったから、雨のせいで屋内に閉じ込められているから、とのみ説明して済ませるのは、いくらもっともらしくてもいささか物足りない。というのも、それはあくまで登場人物たちの側の都合であって、作品の外にいる作者や読者の立場から見れば、何か別の理由があってもよいはずだからだ。考えうる候補としては、一体どんなものがありそうだろうか。KC460036_convert_20120707165632.jpg
「ほらごらん、/こんなに伸びてる/じゃないの」(右頁、藍さま)
「とこやさん/ちくちくするから/きらい....」(左頁、橙)

私は、この見開き頁で散髪を受けている橙の恰好に注目すべきだと思う。そう、床屋に行って理容椅子に座ると否応なしにかぶせられる、あの袖なしのポンチョというかマントである(「散髪マント」もしくは「散髪ケープ」という名称らしい)。無地の、足元まで届く末広がりの布きれで全身をすっぽりと覆い尽くされ、首根っこを結び目で絞めつけられる橙の姿は、てるてる坊主そっくりではないか。しかもこのときの「きゅっ☆」という擬態語は、先に掲げた図(二つ並んだうちの右側の図)を見返せば明らかなように、てるてる坊主の首根っこで結んだ紐を橙が引っ張るときの擬態語と全く同じだ。この一致が単なる偶然でないことは、やはり橙が布をはさみで切っていたときの「ちょきちょき」という擬音語が、彼女の髪を藍さまがはさみで切り落とす音として再生することからわかる(橙の作ったてるてる坊主は詰め物こそ新聞紙だが、外側は断定が難しいもののどうやら白布のように見える。仮に完全に紙製だった場合、「髪」は同音異義語だから頭部に限って語呂合わせの面白さが出てくる可能性はあるが、大まかな形態の類似が基盤である以上、やはり布製と考えておくほうが、頭部以外の全身に広がる材質の共通性を確保できるので無難であろう)。
そしてもちろん、散髪が終われば下の図のとおり―さすがに丸坊主とまではいかないが―、確実にやる前よりも橙の髪は短くなるのである。しかも藍さまによれば、ふだんの散髪よりも今回のほうが一段と短い(ということは坊主頭に近い)仕上げらしい。
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「いつもよりも/短めに切ってみたけど...」「ほらごらん、/さっぱりして 前より/かわいくなったじゃない」

要するに、この作品で橙が髪を切られることには、彼女が作ったてるてる坊主に外見を似せてもらうという意味があるのではないか。当事者たちの意識が届く範囲を超えるこんな大仰な事情を理由として持ち出すのは、因果関係の説明としては少々型破りかもしれない。だが、例えばジャン‐ピエール・リシャール的な「テーマ批評」を参照するまでもなく、このように先立つ場面を手本として新たに同型の場面が生じてきては、部分と部分の間に共鳴を形成していくのは、藝術作品の自律的な展開を貫く論理のあり方としてはむしろ自然だろう。
それがはっきりするのは、雨に濡れたせいで落ちかけた藍さまの式を紫さまが直そうとする、結末の場面である。散髪を嫌がる橙と同様、藍さまが「ちくちくするから」いやだと言って駄々をこねると、橙をたしなめたときの「そんな事言ってるとみんなに笑われちゃうよ」という台詞をそっくりそのまま彼女から投げ返されてしまう(もっとも橙が口にするときはひらがなだけで、漢字が混じっていないという細かい違いはある)。この、発言者の交替を伴う同一の台詞の忠実な反復からは、散髪時に見られた「橙:八雲藍」の関係が「八雲藍:八雲紫」の関係に等しいことが、如実にうかがえるのだ。橙の場合はてるてる坊主を作るという能動的な行為が、髪を切られるという不本意な受動的経験に通じているように、藍さまの場合は橙の髪を切るという能動的な行為が、式を貼り直されるという不本意な受動的経験に通じている。加算から減算に転じるか、減算から加算に転じるかという対照的な違いこそ認められるものの、いずれの場合にあっても、行為そのものが行為者の身の上にはね返ってきて、いわば作品が作者を呑み込んでしまう点は同じである。つまりは作品が、作者の境遇もしくは運命を予告していたことになるのだ。

ある意味でこれとよく似たことが、第5作「やくもしんぶん」でも成り立つ。
八雲一家に「文々。新聞」の契約延長を迫り、必死で藍さまの説得に努める鴉天狗の射命丸文をよそに、橙が黙々と何か書いている。
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(文)「という訳で/いかがでしょう/引き続き/契約を...」
(藍)「それなんだけど/ちょっと迷って/いるんだよ」「貴女の新聞、/内容が少々ゴシップに/寄りすぎな気がして/今後どうしようかと...」
(文)「な、な、/何を仰いますか」
「皆様が知りたがっている/情報を、より早く/正確にお伝えするのが/当新聞の...」
(藍)「私はもっと/生活に即した情報が/載っていると/嬉しいのです」
(文)「そこを何とか/半年だけでも...!/汚れのよく落ちる/天狗の洗剤をお付け/しますから...!!」
(字が細かくて見づらいと思うので、上半分を占める大ゴマの中の台詞を書き出してみました)

…やがて思わぬ伏兵が射命丸を脅かす。橙は射命丸の真似をして、自分でも手書きの新聞を作っていたのだ。
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「だいして/『やくもしんぶん』/です!!」
「ありのままの/らんさまのすごいところ/いっぱいかいたよ!」

いかにも子供が書いたという印象の稚拙な手作り新聞で、受け取った藍さまも苦笑い気味だ。親子(親子同然の関係にある両名)の仲睦まじさを確認する役には立つとしても、客観的な情報源としての価値はどう考えても高くない。
ところが「やくもしんぶん」を読んだ藍さまは、親ばかが発動したのか、にわかに射命丸の嘆願に対してつれない態度をとりはじめる。
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(文)「ときに/お二人さん...」「私の新聞の/話の方は....」
(藍)「ん?」「んー...」
 「そうだねー」「悪いけど/やっぱり...」
 「『やくもしんぶん』もあるし、/『文々。新聞』は、しばらく/止(と)めてもらうことにするよ」
(文)「えぇえー!!」

先に分析した「あめのひ」では、行為そのものが行為者の身の上にはね返り、作品が作者を呑み込んでしまうという構図をうかがうことができたわけだが、今度もそれに劣らず深刻な事態が生じている。「やくもしんぶん」が「文々。新聞」を、贋物が本物を駆逐してしまうのだ。相異は、前者が能動と受動の反転をめぐる力関係の劇だったのに対して、後者は真偽の次元で起きる逆転の劇であるということだろう。もっとも、驚愕する射命丸が手に持っている洗剤の箱に、「天狗も驚く/白さと香りの!/天狗/洗濯用洗剤」と書いてあることからすれば、またしても、作品が作者の境遇ないし運命そのものの予言と化していることは明らかだ(この洗剤は彼女自身ではないにしても、いずれ天狗族の誰かの手で作られた製品であるに違いない)。そもそも前述のとおり、橙が新聞を作ろうと思い立ったこと自体が、射命丸の真似なのである。してみれば、本作(「やくもしんぶん」)の筋書は先の作品(「あめのひ」)の構図をさらに深化させたところに成り立つものであって、必ずしも両者は対等な関係にないのかもしれない(ただし実際の執筆順序は収録順とは逆で、「やくもしんぶん」が先、「あめのひ」が後である)。
いずれにせよ双方の作品に共通する原理を求めるとすれば、それはたぶん、何らかの形で虚構が現実に対して優位に立ち、現実を侵蝕するという点、あるいはむしろ自らの色で現実を染め上げるという点に落ち着くのではなかろうか。
もとより私は以上のような見方が絶対に正しいと主張するつもりはないし、また仮に正しいとしても作者の意図的な計算が働いているのかどうかも、サークル「四ツ星レストランおかん」の作風としてこれが通例なのかどうかも判定できる立場にない。ただ、この『むかしんちといつつの短編』が、虚構の権利の称揚として、まことに水際立った模範的な一例たりえていると思えたので、やむにやまれぬ個人的な讃嘆の念に押されて、忘れないうちにそのことを書き留めておきたかったのである。

(付記)引用した画像は全て手元の携帯電話で私が撮影したものです。少々見苦しいかもしれませんが、なにとぞご容赦ください。
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