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つじこの

一応、本とかの批評のつもり。趣味的な備忘録

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志賀直哉『暗夜行路』 

『暗夜行路』の結末近く(後篇第四の十九)、鳥取県は大山(だいせん)の山腹から見た明け方の光景について。

筋書は丁寧に紹介するまでもないが、一応おさらいしておこう。
志賀の自画像と思しき作家の青年、時任謙作(ときとう・けんさく)はかねがね「誰からも本統に愛されていると云う信念を持てない」(注1)のを気に病んでおり、遠縁である愛子(祖父母の養子の娘)への求婚が実らなかった件を不可解に感じながらも、祖父の妾だったお栄への恋を募らせてゆく。しかし、自分が実は父の子でなく、祖父が母に生ませた子なのだと兄に教えられて、またもあきらめることを余儀なくされる。気を取り直して京都に滞在中、ふと見染めた直子という女性との縁談はうまくいき、幸福な家庭への意欲を新たにする謙作だったが、生まれて間もない長男が病死するに及んでその期待はもろくも崩れ去り、ついで留守中に妻が彼女の従兄と通じた事実を知って苦悩する。こうして「人と人と人との関係に疲れ切って了(しま)った」(注2)謙作は心機一転を求めて大山の霊場を訪ね、山中で自然界の清澄なたたずまいに融合することでとうとう精神的な再生を果たす。
この、大詰めの決定的な転機は文庫版でせいぜい3頁ほどの分量なのだが、そこから引用してみたい。

中の海の彼方(むこう)から海へ突出(つきだ)した連山の頂が色づくと、美保の関の白い燈台も陽(ひ)を受け、はっきりと浮び出した。間もなく、中の海の大根島(だいこんじま)にも陽が当り、それが赤鱏(あかえい)を伏せたように平たく、大きく見えた。村々の電燈は消え、その代りに白い烟(けむり)が所々に見え始めた。然し麓の村は未だ山の陰で、遠い所より却(かえ)って暗く、沈んでいた。謙作は不図、今見ている景色に、自分のいるこの大山(だいせん)がはっきりと影を映している事に気がついた。影の輪郭が中の海から陸へ上って来ると、米子の町が急に明るく見えだしたので初めて気付いたが、それは停止することなく、恰度(ちょうど)地引網(じびきあみ)のように手繰(たぐ)られて来た。地を嘗(な)めて過ぎる雲の影にも似ていた。中国一の高山で、輪郭に張切った強い線を持つこの山の影を、その儘、平地に眺められるのを稀有(けう)の事とし、それから謙作は或る感動を受けた。(注3)

高名なこの一節が、それ自体として美しいという点でも、綿密な観察にもとづく実景の忠実な描写という点でも、「小説の神様」の名に恥じぬ逸品であるのは確かだろう。しかしながら、表題通り「暗い路(みち)をたどって来た自分から」脱して、「新しいもっと明るい生活に」(注4)赴こうとしてあがく主人公の精神的な転生にとって本当にこの場面が不可欠なのだとしたら、それは一体いかなる意味においてなのか。
まず、ここで解決をもたらすのは徹頭徹尾人為を離れた原理なのだということを確認しておこう。せっかく心の落ち着きを欲して霊場を訪れたのに、奥歯にものの挟まったような物言いでやんわりと部屋の明け渡しを要求する僧侶がいたり(小学教員向けの禅の講習に使いたいらしい)、屋根葺き職人の「竹さん」の妻の多情が原因で刃傷沙汰が発生したりと、謙作の身辺では人事にまつわる不快ないざこざが後を絶たない。高邁な宗教といえども人間の営みに違いない以上、人の世のしがらみが悩みの種である場合に個人を完全に解放することはできないのだ。
ゆえに「大きな自然の中に溶込(とけこ)んで行く」(注5)ことがどうしても必要になるわけであり、この点で非常に示唆的なのは、いざ登山という日になって謙作が腹を壊してしまい、結局山頂まで行き着くことなく、連れの人々(大阪の会社員たち)からも離脱し、山腹(どうやら五合目の少し下あたりらしい)で座り込んで夜明けを待つことになるという事態である。予定通りにいけば仲間と一緒に山頂を占拠するはずだった彼は、実際にはただ一人きりで山の懐に抱かれ、肉体的には衰弱しつつある、すなわち自立的な個として環境に対峙することが難しくなっている。人間関係からの離脱と自然との融合という状況は、謙作の自覚よりも先に運命の手によって着々と準備されつつあるのだ。
その融合がいよいよ最終的な達成をみるのが先の引用文においてである。これを読んで気になるのは、末尾で言及されている、大山が麓に落とす影である。それに気づいた瞬間、謙作は「中国一の高山で、輪郭に張切った強い線を持つこの山の影を、その儘、平地に眺められる」という理由で「感動」を覚えているが、これは正確には、一体いかなる感動なのか。
自分よりもはるかに巨大な対象をいわば手中に収めることによる征服の快感、という説明は成り立たない。志賀直哉の自我の強烈さは謙作の性格の中にも当然反映しているものの、むしろそのように肥大した自我への執着を何らかの仕方で捨て去ることこそが『暗夜行路』の目標であることは、直子の不貞を一時の過失として許せる境地に到達したいと思いながらもなかなか感情の整理がつかない彼の、「時が自然に僕の気持を其処まで持って行って呉(く)れる」(注6)のを待つほかないという発言からも明らかだからだ。
第一すでに書いたように、山頂ではなく中腹に、体調の悪化のせいでやむなくただ一人居残った病人の謙作は、位置関係からも健康状態からも、到底自然を征服する英雄的な立場にあるとは判定しがたい。彼はあくまでも、いまだけは好むと好まざるとにかかわらず山と一体であらざるをえないのである。しかしそうだとすれば、麓に落ちる大山の影は、即謙作その人の影でもあるのではないか。こう考えた場合いかにも興味深いのは、「謙作は不図、今見ている景色に、自分のいるこの大山(だいせん)がはっきりと影を映している事に気がついた」という文である。眼前の景色をすっかり覆い尽くすほどの法外な大きさのせいでそれまでは注意の的になりえなかった山の影が、日が昇るにつれて縮小してくることで初めて視界に入ってくる。これが同時に私(謙作自身)の影でもあるのだとすれば、例えば、思い悩む私の肥大した主観こそが、これまで私が見る世界に暗い陰りをもたらしていたのだという認識の到来とともに、ほかならぬその主観が急速に死に絶えてゆく過程をこのくだりから読み取ることも十分可能なのではないか。
志賀の自我と同様、「張切った強い線」を持つこの影は、しかしいまや「恰度(ちょうど)地引網(じびきあみ)のように」手前へ手前へと巻き取られつつある。ここに象徴的な自殺への暗示があると感じることにおそらく無理はなく、その感じには一面拒みがたい正しさが具わっている。しかしながら他面、己の従来の生き方に対する志賀(謙作)の底抜けに肯定的な自負は、ことさら「強い」と表現される影の輪郭からもうかがえるように消失のまぎわに至るまで健在であるし、のみならずある意味では、ついに直接的に描写されないままである消失の瞬間にあってすら損なわれることがない。周到なことに、少なくとも謙作自身は自然との融合が死に等しいとは考えていないし(注7)、あたかも身を以てそのことを立証するかのように、次の章(後篇第四の二十)に入るともう、一応無事に下山を遂げているからだ。
おそらく大山の影の最終的な消滅は、それが一面自我の死であることによって、必然的に自我の意識が届きえぬところに位置しているばかりでなく、他面それでいて謙作の存在を跡形もなくこの世から一掃する本当の死とは違い、あくまでも死の儀式的上演ないし象徴的な死にとどまるという、相反する二面性から発せられる二重の要求の結果として、決して描写されることがありえず、また描写されてはならないのであり、ゆえにこの章(後篇第四の十九)は慎み深くもその直前で歩みを止めるのである。私は私の死を描写できない、なぜならば私は非力すぎて私の死を自ら体験し抜くことができないからである。私に可能なのはせいぜい成就の見込みを欠いた無力な死、つまりまがいものの死に描写を通じて近づくことくらいだ。しかし見方を変えれば、私の死はさほど恐るべきものでない、なんとなればまがいものの死ですら最後まで描写されることがありえない間は、ましてや本格的な死そのものが私に到来するはずはないからだ。こうして暁の光とともに拡大してくる空白の中で、描写の不在は死を体験することの不可能性を、死が実現することの不可能性へと、ひいては死のやりすごし、死の脅威の除去へと転換する。この一連の過程において虚構がいわば梃子として、いかほど大きな役割を果たしているかは一目瞭然であるが、それどころかまがいものの死の無力さは、自然の無害さの源泉ですらあるようだ。考えてみれば、そもそも描写されてすらいないこの最終的な影の消滅は実際のところ少しも劇的な非常事態ではなく、有史以前から日の出のたびに毎朝繰り返されてきたありきたりの現象(まさしく自然現象)にすぎない。それゆえ山と一体化した謙作もまた、どこまでも無傷のままで、誰か他人に敗北を喫しているわけでも、屈伏しているわけでもないという理屈が成り立つ。
単に自我の消滅が望ましいというだけであれば、乱暴な仮定ではあるが気絶するまで誰かに殴られるとか、あるいは会社や軍隊に入ってひたすら他人の命令に従わされるという形でも結果は変わらないはずだ。『暗夜行路』はあえてそれを避け、自然との融合という解決を目指すことで実存の消滅から一切の人間的な混沌や衝突を排除し、結末において終始肯定的な調子を貫くことに成功した。だから下山後の謙作は急性腸カタルで危篤に陥りながらも、心の底から「私は今、実にいい気持なのだよ」(注8)と言うことができる。これが、自我の問題を自然へと転調したことの最大の成果であろう。幾分はぐらかしの気味がなくもないが、ともあれ自我の肥大は象徴的な自殺を経て、いまや世界大の客観的な視点―世界全体を曇りなくあるがままに見て受け入れることのできる視点―へと生まれ変わっている。限りなく一人称に近い三人称で進められてきた小説の締めくくりで、いささか唐突に直子の内心の思いが介入してくる(注9)ことはその証拠である。この移行は、純然たる一人称の採用が招いたはずのわざとらしい不自然さを未然に防ぎえているというまさにその点で、非常に巧みにできている(仮に一貫して謙作自身が話者であった場合、直子の決意が活字化されうるかどうかは、ひとえに両者いずれとも違う、超越的な監督者たる作者の手腕にかかっていたはずである)。

この解決の選択が藝術的に正解だったか否かは、その後の志賀が随筆風の掌編しか書けなくなったという事実が端的に示していると思うのだが、そもそも父との不和が代表するような家庭的葛藤を最大の原動力にするという、彼の執筆方針自体にいっそう根本的なまずさがあったのかもしれない。しかし「方針」というのは傍から見るとそう思えるというだけのことで、志賀が自分の人生にとって一番気がかりな問題を生業の中心に据えて検討し続けずにはいられなかったことも、とうとう畢生の大作(唯一の長編小説)の中で大掛かりな虚構による誇張を駆使してまで―もとより出生の秘密にせよ妻の不貞にせよ、志賀自身とは無縁の悩みである―円満な象徴的解決を強引に実現してのけたことも、本来は他人からとやかく論評されるべき筋合いのものではなく、やむにやまれぬ自然の成行としてきれいに自己完結しているのかもしれない。
上記の「家庭的葛藤」を自我と周囲との衝突という風に一般化して考えてみれば、藝術作品すらも究極的には人生上の問題を解消するための一手段以上のものではないという点で、やはり、つくづく志賀直哉の自我は怪物的なのである。


(1)志賀直哉『暗夜行路』(新潮文庫、2004年第32刷)57頁。
(2)同書471頁。
(3)同書505頁。もちろんここの「中国一」とは、「中国地方一」という意味である。
(4)同書393頁。
(5)同書503頁。
(6)同書433頁。
(7)同書504頁、「彼は少しも死の恐怖を感じなかった。然(しか)し、若し死ぬならこの儘(まま)死んでも少しも憾(うら)むところはないと思った。然し永遠に通ずるとは死ぬ事だという風にも考えていなかった」。
(8)同書513頁。
(9)同書513-514頁。
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まとめteみた.【志賀直哉『暗夜行路』】

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まとめwoネタ速suru | 2012/04/22 16:56

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