Admin New entry Up load All archives

つじこの

一応、本とかの批評のつもり。趣味的な備忘録

スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

category: スポンサー広告

CM: -- TB: --   

日日日『ささみさん@がんばらない7』 

『ささみさん@がんばらない』(小学館、ガガガ文庫)はまだ完結していない作品であるから、あまり軽はずみな断定は書くべきでない。だが、「平成」に次ぐ元号であるという「平安」時代(当然ながら今上天皇の崩御後である)を描くディストピア小説である『平安残酷物語』と並んで、天皇家のことを考える上で興味深い小説たりえているような気がするので、他日参考にするための覚書みたいなものを残しておくことにした。

とりわけ初期の『ささみさん@がんばらない』は、「好むと好まざるとに関わらず他者の自由意志を侵害してしまう己の全能性を自覚して悩む、全能者の孤独」と「祭司職の重荷を単一の家系に押しつけ、背負わせることの道徳的な是非」をいやでも読者に考えさせるような仕組みになっており、暗に天皇家のことが意識されていると考えて差し支えない内容だった(ような気がする)。しかしその後徐々に作品の主題は膨れ上がってゆき、ギリシャ神話やインド神話の換骨奪胎を経て、この第7巻ではラヴクラフトに淵源するクトゥルー神話が料理される。といってもそれはあくまでも枠組にすぎず、内実は以前から何かと主人公たちとの間で揉めていた悪徳オカルト結社「アラハバキ」の首領が企んだ陰謀である。幸い簡にして要を得た説明があるので引用しよう。

たしかに、こうして見ると単純明快だ。
邪神(やがみ)たま=『氾卵の邪神シュブ=ニグラス』が膨大な『霊力』を集め↓
弥火(みか)ちゃん&淡島(あわしま)さま=『魔海の邪神クトゥルー』がそれを強奪し↓
情雨ちゃん=『大抗の邪神ハスター』が最終的に、そのすべてを捕食し、得る。
膨大な『霊力』を集めて、そして首領が何を目論んでるのかわからないが―情雨ちゃんの『まつろわぬものアラハバキ』はあらゆる神仏を吸収し、強くなる。(注1)

あいにく固有名詞が氾濫していてあまり引用の意味がないことに気づいたが、その点はご容赦いただくとして…とにかく、登場人物が正面からぶつかりあい、白黒をはっきりさせるために腕っぷしの強さを競うような物語とは違い、資源(霊力)を「集め」、「強奪」し、「捕食」し、「アラハバキ」なる霊的存在(これが組織名の由来)の神格を強化するという陰謀が本巻の中心にあることは難なくご理解いただけるものと思う。そしてこの筋書はクトゥルー神話の借景によって成り立っているのみならず、ギリシャ神話にもとづく以前の事件の「醜悪なパロディ」(注2)でもある。
カントは、『実践理性批判』の第一部第一篇第3章「純粋実践理性の動機について」で、人間は理性的存在者である以上「決して単に手段としてのみ使用せられるものではなく、同時にそれ自身目的として使用せられねばならない」と説いた(注3)。知らぬ間に悪巧みの要の位置に据えられていたことに良心のためらいを覚え、尻込みする娘の蝦怒川情雨(えどがわ・じょう)に向かって、「あんたが、失敗してきた―これまでの『陰謀』を、忠実になぞったのよ。正しいやりかたを教えてあげるために」と言い放ち、なおも抗弁する彼女の肉体を平然とえぐって「アラハバキ」を回収する首領の姿は、肉親を含む他人を全員手段としてのみ扱う点で、非常にわかりやすくカント的な悪の原理を体現している。
一神教を奉じる「アラハバキ」の連中は、月読鎖々美(つくよみ・ささみ)たち主人公が代表する日本神話の正統派とは対立関係にある。「悪の行きつく果ては、独りぼっちの頂点」(注4)と言ってはばからない首領は、ことによると一神教の負の側面を凝縮しているのかもしれない。しかしそのような明快すぎる整理は、たとえできるとしても少々危険だろう(もっとも私自身は、「宗教」ではなく「神話」を扱う本作が、高度な政治性を帯びそうで帯びず、結局その周りをめぐるにとどまっていることに個人的には煮え切らなさを覚えることもあるのだが、これはまた別の問題である)。他者をもっぱら自己の目的のための手段として使役することがそれ自体罪悪であるという事情は、情雨やアポロンの挫折に終わった陰謀と同種の陰謀が、今回はクトゥルー神話という器を借りて限りなく成就に近づく中で(注5)、何重もの模倣や相継ぐ重複によっていわば濾過され、あるいは煮つめられ純化されているのだ。この濾過の過程を見落としてはならない。そしてすでに挙げた二つの問題、すなわち「好むと好まざるとに関わらず他者の自由意志を侵害してしまう己の全能性を自覚して悩む、全能者の孤独」と「祭司職の重荷を単一の家系に押しつけ、背負わせることの道徳的な是非」は、どちらもこの第三の問題のもとに、下位区分として自然に収めることが可能なはずだ。
つまり、『ささみさん@がんばらない7』が読者に迫る選択というものがもしあるとすれば、それは「一神教か多神教か」である以前に、「他者を人格として尊重するか、単なる手段へと貶めるか」といういっそう根源的な選択なのではないか。最終的に首領を破滅させたものは、外敵の攻撃を無限に先延ばしすることで彼の身を守ってきた「這いよる混沌アバオ・アクー」に対してヴィシュヌ神が元の上司として離脱を命じた後、「死の神」イザナミが千回分の死を叩きこんだことだった。つまり、少なくともこの巻においては、勝利は日本神話の現役世代である鎖々美たちだけの手柄ではないし(彼女らにできたのは、たかだか首領が作り出した異界に裂け目を入れ、外界への通路を切り開くことくらいのものだ)、かつ、高位の神々はそれぞれ己の管轄内では絶対的な権限を誇るために単純な腕力の強弱は問題にならず、然るべき機会さえ与えられればあっという間に、いわば論理的に決着がついてしまう。したがって、「アラハバキ」流の―唯我独尊的な―一神教にまずいところがあるとすれば、それはなにも価値や戦力の点で多神教に劣るからではなく、単に対処すべき不測の事態が生じた場合に人脈の豊富さで引けを取ってしまうという、もっとずっと即物的で実際的な理由によるのだ。仮にこの首領に家族愛があったとしても、それは敵意を一身に集めて殺されることで結果的に妻子の立場を自由にしてやる、という、余裕のない、どうしようもなく屈折した形の善意でしかありえない(注6)。
このようないっそう広い視野の中に日本神話を置いて眺めることができるのが、『ささみさん@がんばらない』の読者の醍醐味の一つだろう。世論に加えて憲法の規定がある以上、皇室を今日明日中に解体するなどという乱暴な措置は無理難題に決まっているが、華族(貴族)制度の廃止後もなお象徴として国民の注視を浴びながら、生涯にわたって黙々と公務をこなし続けるというのはなかなか神経の疲れる生活ではないかと拝察する。その種の重荷をたった一つの家系(の、たった一人の家長)に負わせることが、果たして多神教的な意味で真の敬意の表現でありうるか、他の方途はありえないのかという疑問は、たとえ直接的にではないにせよ、この小説からさしたる困難なしに導き出すことができるはずだ。一見すると先立つ巻の焼き直しのように思えなくもない第7巻は、この問いに原理的な背景を付与するものとして、独特の存在意義を有している。

以下は少しだけ関係のある余談。
同人シューティングゲームの東方Projectは能楽(夢幻能)の延長線上で考えるべきではないかと私は思う。抽象的な舞台装置(限られた空間)が設けられ、何かしら古典に由緒のある身の上話を語る登場人物がそこに敵方として現れて、音楽につれて舞、というほどでもないが象徴的な仕草を繰り広げるとともに華麗な弾幕がプレイヤーの目を魅了する。往々にして亡霊や神々である彼女らがプレイヤー側の美的な関心を引き寄せる「シテ」に相当するとすれば、いわばその引き立て役であり、相対的に普通の人間に近い主人公たちは「ワキ」に相当する。特に『東方永夜抄』や『東方星蓮船』では、平安時代が主たる参照先となっていることを思えば、なおさら能楽との親近性は否定しがたい。ところが『東方神霊廟』(2011年発表)はさらに時代をさかのぼって飛鳥時代に典拠を求め、いささか入り組んだ手法でついに皇族を登場させるに至った(全く初めてというわけではないが、知名度とゲーム内での地位を考慮すると、やはり「ついに」だろう)。
『東方神霊廟』の6thステージのボスである豊聡耳神子(とよさとみみのみこ)―明らかに聖徳太子を連想させるが、ひそかに道教に帰依して仙人となり、仮死状態(?)から復活を遂げている―の弾幕は、露骨な攻撃性が乏しく、プレイヤー側を不手際・不注意ゆえの事故死に追いこむ型のものが多い。最後のスペルカード(必殺技に相当するもの)である「生まれたばかりの神霊」(注7)などはその最たるもので、光り輝く球形の霊たちが次々と降ってきて画面を埋め尽くす光景は殺傷力どころか、反対に生命の豊穣さすら感じさせるほどだ。誰しも気づくことではあろうが、神子自身が「矢」や「刀」を武器として用いるのはスペルカードを使わぬ通常攻撃のときだけで、「豪族乱舞」(第三のスペルカードである)ではわざわざ5thステージに登場した部下たちを召喚して射手を務めさせている。天皇(皇族)が伝統的に、自身は武力を振るうことなく武力の上に立ち、生きとし生けるものを慈しむ威徳ある仁君として表象されてきた―実態はどうであれ―経緯を思えば、まことに的確な設定であろう。そもそも彼女が東方Projectの舞台である幻想郷にいるのは、歴史学の進展につれて聖徳太子にまつわる言い伝えの信憑性が低下し、その実在に疑問符が付けられるようになったためだ(幻想郷は現世で顧みられなくなったものが流れ着く世界だという)。「人間が私の存在を否定し、/伝説となる時を待っていたわ!」・「さあ私を倒して見せよ/そして私は生ける伝説となる!」と言いながら挑んでくるその姿は、不在と境を接する己の虚構性・非現実性に寄せる奇妙な自負をうかがわせるとともに、ある意味では彼女が従来の6thステージのボスたちと比べて格段に弱いという事実を合理化するものである。一頭地を抜く充実した現前性ではなく、逆に実質的な権力の中枢から遠ざけられたがゆえの一種のか弱さ・奥ゆかしさこそが、天皇家をときには風前の灯に近づけながらも今日まで長続きさせてきた要因の一つであることは、良し悪しの評価とは別に多くの人が認めざるをえまい。豊聡耳神子は、いわば我々プレイヤーが気づかわざるをえない相手(目上の弱者)なのであり、彼女の弾幕にぶつかって死ぬのは我々(臣民)の側の配慮が足らなかったことの報いなのだ。天皇的なるものに対する作者(ZUN)の洞察の深さを、推して知るべしである。
福嶋亮大は一方で東方Projectを民俗学的な文脈の中に位置づけつつ、他方で作り手による意図的な無意味化の操作を特徴として挙げているが(注8)、『東方神霊廟』を遊ぶことができる現在、この見立ては必ずしも十分ではないように思える。先に能楽になぞらえた高度の様式化はもとより本作でも健在な上、東方Projectの典拠が狭義の民俗学的な「コモンセンス(常識=共通の意味)」(この用語は福嶋氏による)を超えて、いっそう広範囲に拡大しうることが―平安時代への暗示によって従来から片鱗はあったものの―ほとんど記紀神話の世界と地続きになった上古の時代を参照先とする本作に至ってはっきり確認できたこと、また豊聡耳神子の存在そのものが、あたかも「橋掛かり」や「作り物」を出入りする能役者のごとく、端的な現前(出ずっぱり)とは違って不在の混入による律動を伴っており、その結果一種の価値もしくは事件性を現前に付与しえていること(したがって無意味化の契機は作者やプレイヤーの主観的意図を離れてもなお、作品の構造それ自体によって登場人物の身柄の中に脈々と働いており、そのかぎりむしろ同時に意味の発生に寄与してもいること)、この二点はとりあえず指摘しておきたい。


(1)日日日『ささみさん@がんばらない7』(小学館、ガガガ文庫、2011年)262頁。なお、2行目と3行目の末尾の矢印は原文通りである(ただし左向きだったのを引用に際して下向きに改めた)。
(2)同書264-265頁。
(3)カント『実践理性批判』(波多野精一・宮本和吉・篠田英雄訳、岩波文庫、2003年第29刷)181頁。
(4)日日日『ささみさん@がんばらない7』(前掲書)272頁。
(5)同書259頁、「『異界』を、クトゥルー神話に基づいた世界観に構築させたのは、便利だったから。人工の、新しい神話―余計な歴史がないぶん、アタシの思惑どおりに歪めやすい」。
(6)同書301-302頁。
(7)ただしこれはハードモードおよびその上のルナティックモードでの名称であり、イージーモードおよびノーマルモードでは、「星降る神霊廟」という名でより難易度の低い同種のスペルカードが出てくる。
(8)福嶋亮大『神話が考える』(青土社、2010年)246-253頁。なお、福嶋氏は「無意味化」の実例として『東方地霊殿』の6thステージの「人工太陽」を挙げ、「地下深くまで潜り込んでいくことは、そのまま天空に垂直的に上昇していくことと一致していたのである」と述べているが、主人公(プレイヤー)が続くExtraステージでは、事件の元凶を求めて山上の神社に挑まなくてはならないという事実をなぜか黙殺している。下降と上昇の連続性は、福嶋氏が事新しく指摘するまでもなくゲーム内ですでに可視化されているのだ。第一、三本足の八咫烏(やたがらす)と太陽との関連自体は既存の伝承を『東方地霊殿』が借用した結果にすぎず、新発明からは程遠い。
もとより藝術作品の秘訣が容易に単一の意味に回収されえない「ノンセンス」性にこそあるという説それ自体には、私とて別に異存はない。だが、氏が援用しているフロイトの機知論に依拠するかぎり、そのような説は結局ありとあらゆる藝術作品に妥当してしまうのであって、東方Projectを東方Projectたらしめているもの、いわば「東方らしさ」の核心には届かないのではないか。何が「東方らしさ」か、という積極的な問いの立て方につきまといがちな数々の陥穽は重々承知した上で、それでもあまりに一般的・図式的な規定以上の何かがやはり欲しいと願うのは、果たしてわがままだろうか。
スポンサーサイト

category: 『ささみさん@がんばらない』

CM: 0 TB: 0   

コメント

コメントの投稿

Secret

トラックバック

トラックバックURL
→http://tsujiko692.blog.fc2.com/tb.php/26-b11c2a46
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。