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つじこの

一応、本とかの批評のつもり。趣味的な備忘録

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ジャン・ジュネ『判決』 

「それを別の語で、あるいは同じ語でも別の文で繰り返さなければならない」(注1)。―« Cela doit être répété au d’autres mots, ou les mêmes dans d’autres phrases ».

それ自体が同じものの繰り返しを告げる、どうしようもなく意味の稀薄なこの文を思い出したように繰り返しながら、『判決』の頁はぶつぶつと呟かれる繰り言のようにあてどなく続いていく。本文の傍らに印刷された注釈のような、しかし注釈のようにはたやすく意図が読めない、世界史を縦横に貫く無数の反抗的な形象について説く活字たちの存在にもまして不可解なのは、言うまでもなく本文そのものだ。
牢獄や囚人を彩る華麗な修辞の数々、それはジュネらしさという型に押し込んで安易に理解した気になる読者への誘惑のようでありながら、この本においては、司法官と犯罪者との間のひそかな共謀、馴れ合いを通じて懲罰の意味が無化されるという、法秩序へのまじめな皮肉につながっていく。判決は言い渡されてそれで終わりというわけにはいかず、刑に服する犯罪者の身体によって書かれる必要がある。ということはまた、そこには変奏や歪曲の必然性、不可避性もあるということだ。いくら読み進めても一向に方向性の見えてこない、純粋に修辞だけでできているのではないかと思わされるほど徹底的に意味を削ぎ落とされて薄片のように軽くなった文たちは、この洞察のまさに身体であり、いかなる内容豊かな雄弁にもまして雄弁に、この洞察の真理を上演している。
そして、法秩序の空洞化を背景に浮上してくる新たな事態とは、「私」の存在の無意味さであり、あるいはむしろ、出生以前から潜在的なものとして存在していたという「私」の、徹底的な運命愛である。

以前には―知らない女の陰部から出てくる以前にと言っているのではなく、ずっと以前にということだが、―以前に私はいったいどこにいたのか。形なく、存在しないも同然の私が存在していた。それにしても、どのようにして、どこに? ふたりの迷える人物の性交を待ちながら、私は日の目を見るのを待った、それにしてもその前は? 私はずっとむかしから存在したのか。永遠そのものに属したのか。私はいた、そして私はいなかった。無から生まれた。私は魂ではなかった。私の不在が存在したのか。おそらく! 飛ぶことも、ひらひら舞い上がることもなかった。かといって動かぬものでもなかった。そして私は私自身を―いや私自身をではなく―すでにジャンと呼んでいた。昼夜があり明暗があった。私は待ち、何も待ってはいなかった。なぜなら……ある不在から、太古からの私の空しい待機から出てきたものにすぎなかったから。どんな言葉を書いてもいいが、もはやどの言葉もけっして疑いの影さえ投げかけはしないだろう。(注2)




(1)ジャン・ジュネ『判決』(宇野邦一訳、みすず書房、2012年)25頁以下。
(2)同書37-38頁。
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