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カール・シュミット『大統領の独裁』 

ワイマール憲法第48条の第2項には以下のごとき二つの文章が書かれ、大統領への非常権限の付与について定めていた。

 もしも、ドイツ国家(ライヒ)において、公共の安全と秩序がいちじるしく攪乱されるかあるいは脅(おびや)かされたばあいは、ライヒ大統領は、公共の安全と秩序を回復するために必要な措置を講じ、必要とあれば武力を用いて干渉できる。この目的のために、ライヒ大統領は、第114条、第115条、第117条、第118条、第123条、第124条と第153条に定めた基本的人権の全部あるいは一部を、一時的に停止できる。(注1)

カール・シュミットが1924年に「大統領の独裁」を発表した際、最も一般的だった解釈によれば、第二文は第一文に限定を加えるという性格を有するもので、大統領が一時的に停止できる人権―具体的には、個人自由の不可侵権(第114条)、住居不可侵権(第115条)、通信の秘密(第117条)、表現の自由(第118条)、集会の自由(第123条)、結社の自由(第124条)、財産権の保障(第153条)―を列挙することにより、暗にそれ以外の諸権利については手出しできないことを意味しているのだという。
しかし、当時の実際の運用はこのとおりでなく、大統領は、単に七つの基本権の停止にとどまることなくそれを踏み越える措置、とりわけ執行権の譲渡による、各邦からライヒへの権力集中などを、必要に応じて実施してきた。
そのような現状に鑑みつつ、シュミットは通説に異を唱える。すなわち、第二文の「この目的のために」とは、「武力を用いて介入するために」でもなければ「必要な諸措置をとるために」でもなく、「公共の安全と秩序の回復のために」である。したがって、第二文は第一文に従属しつつ限定を加えているわけではない。もちろん、第一文における措置の中に、第二文が述べている諸基本権の停止を含めて考えることは可能だが、その場合も結局、第二文の意味するところは、「もしも大統領が諸基本権を停止させたいなら、その範囲はしかじかの基本権にのみ及び、それら以外には及ばない」ということに尽きており、そもそも基本権の停止という措置を選ぶことなく大統領にいかほどのことができるのかについては、何も限定してはいないことになる。
ここにおいてシュミットは、個々の憲法規定の効力を停止することなく、単に規範を逸脱することの可能性を提示する。

効力を停止するとは、棚上げし除去することである。ところでしかし、事実上の措置という形で、規範―憲法規定というのは規範である―を無視し、具体的な事例で規範を―効力を停止するのではなしに―逸脱する、ということが可能なのである。〔中略〕法的な規定に違反する者は、それを棚上げするのではなく、効力を停止するのでもない。犯罪人は、刑法の基礎になっている規範に違反し、それを逸脱し、それをふみ破るが、これらはいずれも、規範の効力を停止するわけではない。他方、同様に、権限によって例外を認められる者も、規範の効力を停止するわけではない。このことの法論理上の特殊性は、例外の典型的な事例である恩赦において、もっとも明確となる。すなわち、恩赦を行なう者は、刑法上および刑事訴訟法上の諸規範について例外を設けるわけであるが、これの効力を停止しようなどとは考えもしない。むしろ、例外は、規則のもつ力を保証すべきものなのである。それどころか、例外は、その逸脱する規範が、変わることなく通用し続けることを、前提としている。棚上げすることなく侵害し、効力を停止することなく逸脱するというのが、例外という概念の構成要素なのである。ところで、第四八条第二項にでてくるのは、例外であり、現行法を侵害する非常事態の諸措置、合法的に認められる例外なのである。(注2)

規範の効力を停止することなくしかもそれに逸脱する横紙破りの実例としてさりげなく挙げられた犯罪という不穏な語、またそれとは対照的な、神の奇蹟にも似た恩赦というもう一つの実例、そして例外こそが規範の威力を証明するという逆説的な主張―ここには、ナチスへの迎合によって悪名高いシュミットの民主主義嫌いやカトリック思想とともに、例外の理論家としての顔が露骨に現れている。
要するに、第48条第2項は、その第一文ではライヒ大統領にいかなる措置をもとりうる権限を付与し、加えてさらに第二文ではいくつかの(七つの)基本権を停止する権限を付与しているというだけであって、前者を後者が限定していると考える必要はない。いかにも、もし大統領が基本権を「停止」したいなら、その場合には第二文で挙げられたもの以外の基本権を停止できないことは確かだが、そもそも第一文によって、停止ではなく単に「侵害」する―つまり例外を設ける―という措置を選ぶ自由も、彼には認められているのである。

 それゆえに、第四八条第二項の正文からして、ライヒ大統領が、あらゆる必要な措置をとる一般的な権限と、そして、挙示されている特定の基本権の効力を停止する特別の権限をもつ、ということが明らかになる。限定が妥当するのは、特別権限にかんしてのみである。すなわち、ライヒ大統領が基本権の効力を停止させようとするばあいに、挙示による制約を受けるのである。ふつうに行なわれている解釈が、第一文全体に及ぼそうとしている限定に対しては、この線に沿って限定を加える必要がある。効力を停止することにかんしてだけでなく、憲法条項に触れるすべての処置にかんして、この挙示から法的制約を構成しようとする試みは、もっと厳密に考察した正文にてらし合わせていうなら、すべて詭弁なのである。(注3)

シュミットはついで自らの主張を裏づけるべくワイマール憲法の成立史をたどり、さらに国家緊急権、主権者たる君主の地位、国民議会の主権独裁等との区別を通じて、結局のところ第48条第2項にもとづく大統領への権限付与は、憲法制定後に発足した法治国家の内部で生じる非常事態に対応するための、委任独裁の一種であると定義する。といっても、第5項―「詳細は、ライヒ法律によって定める」―が約束する細目規定がいまだ実現しておらず、法の欠缺状態が続く間は、それに応じてこの独裁も全般的な、無制限なものであり続ける。


(1)田中浩「大統領の独裁とワイマール共和国の崩壊」、カール・シュミット『大統領の独裁』(田中浩・原田武雄訳、未來社、2002年第8刷)、236頁。
(2)同書30-31頁。
(3)同書34-35頁。
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