Admin New entry Up load All archives

つじこの

一応、本とかの批評のつもり。趣味的な備忘録

スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

category: スポンサー広告

CM: -- TB: --   

日日日『のばらセックス』8 

日日日の作品におけるキャラクター同士の相互理解の(不)可能性について考えてみましょう。

『のばらセックス』での人間関係、あるいはむしろ「加工種(エルフ)」をも含む個体間の関係は、つねに変装や演技や背信に満ちており、当然錯覚や勘違いや幻滅も途絶えることがない。
もっともこの作品が特にこの点で過剰なだけで、日日日の他の小説においても人間同士の相互理解というものは、しばしば原理的な次元で無効性を宣告されている観がある。
例えば、『ギロチンマシン中村奈々子』は、言語を介した交流というものについてとても懐疑的だ。この作品から読み取れるかぎりでの言語活動というものは、固有名詞すら欺瞞と無縁でなく(注1)、共感を正確に反映することができず(注2)、不便この上ないどころか人類の進化の阻害要因であり(注3)、結局その根底に横たわる大前提、つまり人間は人間と「絶対にわかりあえない」という前提をついに克服できない(注4)。かかる不完全性に思いを致すとき、主として藝術的な感興にもとづく言語活動であるはずの小説にも絶滅が待ちかまえているという暴論さえ、あながち一笑に付すわけにはいかないかもしれない(注5)。

そのような、根本的な相互理解の不可能性というものを、『ビスケット・フランケンシュタイン』(注6)についでうんと誇張してみせたのが『のばらセックス』の世界、ということになるのだろう。
しかし、ここでご注意願いたいのは、この不可能性はどうやらそれ自体としては日日日にとって全く自明の中立的な事実にすぎず、何ら絶望的な色調を帯びてはいないらしい、という点だ。
この点は『ギロチンマシン中村奈々子 大人社会編』から明瞭にうかがえる。中村奈々子は一方で「恋愛なんて宗教がいつまでも淘汰されない」のは「ほんとうに不思議」と言い、「人間なんて不安定な存在に神性を見出す感性がわからないよ」とも言いながら、他方ではしゃあしゃあとこんなことをのたまうからだ。
「あと僕だって恋愛はするよ、人間だからね。歪んでいても病んでいても、僕は人間っていう生き物だからね。それを否定するのは僕の魂が許さない」(注7)
ずっとあとの頁でより個人的な思い入れをこめて、かつ「個人的に」ということわりに最大限の重みを持たせつつ繰り返されるこの主張は(注8)、単にその内容だけではなく、何よりも矛盾を平気で犯すその形式上の理不尽さにおいて尊い。
つまりはそれほどまでに、日日日においては情動一般、なかんずく愛は、伝達上の都合に合わせた妥協などあずかり知らぬ経験であり、個々人の実存そのものに深く根ざす一方的な奔流なのだ。なんならこう言ってもよい。相互理解が不可能なのは、我々の本性の弱さではなくて逆に強さのゆえであると(注9)。

『のばらセックス』の「いつかは散る薔薇」の章で描かれる、おちば様とソプラノ君の信じがたいほど美しい交合の情景は、いまのところ、いかなる日日日の作品よりも雄弁にこの間の事情を教えてくれる。

ソプラノとのいやらしい行為は、気持ちいいというよりも、むしろ戦いだ。どう死なずに乗り越えるかが肝心だ。
 何でそんな酷い目にあってまでソプラノを選ぶのか。疑問に思われるかもしれない。でも、これがあたしの愛したひと。あたしの愛すべきすべて。
 ならば、痛みを堪え、あるいは慣れて、快楽さえ得て、あたしは自らを調教する。ひとりよがりじゃない、ソプラノも努力してあたしに歩み寄ってくれている。以前はよりあたしを苦しめるために眼球とかに射精したし。(303頁)

この「刀の鍔迫り合い」にも似た戦闘的なまぐわいにおいては、「人類は肉でできてる」(注10)という真理すら突き破る親密さが骨と骨との衝突として実現するのだが、これほどの親密さの最中でも決して二人の相互理解は、少なくとも同時的には生じることがない。それどころか「暗闇で、お互いを探すみたいに」相手の名前を呼び続けること、そして相手の「存在を魂の奥底まで刻みつけられる」ことこそが「この世の幸福」である以上、安直なポルノグラフィならうっかり使いかねない融合ないし合一に関する修辞も、天上的な超越性に訴える修辞も到底出番はなさそうである。あくまでも、人間と人間が完全に分かり合い、あらゆる意味で一体化するという神秘的な状況は慎重に避けられているのだ。
そしてまさにこのことのゆえに、『のばらセックス』は最高に優れた倫理の書たりえているのではないか。我々が完全には理解しあえない誰かが、すなわち他者というものが頑として実存しており、しかもそのような他者を我々はどういうわけか遮二無二求めずにはいられないということ、および我々が我々自身の生を濃く生きるとは、実はそのような狂おしい愛の情動の奔流に抗いがたく貫かれるという経験以外ではありえないということ。このような教えを無理なく、美しく人々に納得させることは、卓越した文学作品だけが果たせる倫理的責務のうちでも、疑いなく最も高貴なものに属するからである。いや、美しいばかりではない。「あいちゃん」こと坂本逢に化けたおちば様の祖父の救いがたく滑稽で醜悪な死に様からは、この抗いがたさが、ときとして我々に悲惨な破滅をもたらすという教訓すら引き出せるのだ(注11)。
だからこそ、作品が最後の頁へと近づくにつれて相互理解の不可能性が徐々に明るい性質のものへと転じ、ほかならぬ意外さそのものが、あるときは「セノンとシオンの情報コーナー」(注12)の場合のごとく朗らかな笑いを、またあるときは恋人の勇姿に対する「男の子は、何でいつの間にか、こんなに強くなっちゃうんだろう」(注13)という感嘆の念を呼び起こすのを見るとき、我々読者はひとしお大きな幸福を覚えることになるのである。


(1)『ギロチンマシン中村奈々子 義務教育編』(徳間デュアル文庫、2006年)259頁。
(2)『ギロチンマシン中村奈々子 学級崩壊篇』(徳間デュアル文庫、2007年)207頁。
(3)『ギロチンマシン中村奈々子 高等教育編』(徳間デュアル文庫、2007年)207頁。
(4)『ギロチンマシン中村奈々子 大人社会編』(徳間デュアル文庫、2008年)42頁。
(5)『ギロチンマシン中村奈々子 輪廻転生編』(徳間デュアル文庫、2009年)5-8頁。
(6)『ビスケット・フランケンシュタイン』(学習研究社、メガミ文庫、2009年)169頁。
(7)『ギロチンマシン中村奈々子 大人社会編』(前掲書)26-27頁。
(8)同書211-212頁、「『僕はね、たぶん昔ね、空海さんのことを愛していた。まだ人類に未来があったころ。僕の髪が長かったころ。十五歳だったころ。小娘だったから、ふつうにひとを愛した』/奈々子の人間の片目から、温かな液体が零れた。/『だから僕は、君たちのしたことを個人的に許さない。人間の言う『個人的に』っていうのは、君たちにとっての総体すべての意思と同じ重さだよ。僕は命に代えても君たちを許さないって言ったんだ。僕の好きなひとにあんな真似をした、君たちを許さないって言ったんだよ!』/奈々子は立ちあがった。/怒れる女の双眸は、燃えるようだった。/『僕は人間だよ。歪んでいても間違っても、それが人間だ。僕は人間だから愛した。その愛を否定しない。僕の魂は否定しない。それが僕の自我だ!』」(『個人的に』の二重鍵括弧は原文のまま)
なおこの引用文の冒頭の台詞は、大出長介のすこぶる魅力的な口絵とともに文庫本そのものの巻頭を飾っている(大出さんの東方系同人誌は絵が素敵すぎて正直物語が記憶に残らない…のだがたぶん私はあまり上質な読者じゃないですごめんなさい)。
(9)『ギロチンマシン中村奈々子 義務教育編』(前掲書)128頁、「自分のために行動するのが人間で、他人のために行動するのがロボットだ」(原文では傍点つき)。この定義にしたがえば、人間は人間であるかぎり究極的には自分のために生きるほかない、あるいはある個体は自分のために生きている間にかぎり人間の名に値する、ということになる。
(10)『のばらセックス』(講談社BOX、2011年)36頁。
(11)同書227-228頁、「実の娘を犯したいと思う親がいるわけがなかった。/生物学的にも不合理で、他人と交わる遺伝的多様性を獲得することが生殖の最大の目的ならば、性交をしようとした瞬間、彼はあたしを『他人』と見たということ。/縁を切ったのは、選んだのはそっちだ」。このそれ自体としてはしごく当たり前な、けれども場合が場合だけに戦慄すべき冷徹な洞察をも(なにしろおちば様は目前の「あいちゃん」を誘惑し、返答次第では殺害するつもりでいるのだ)、337-340頁で笑い飛ばし、茶化すことができているのは『のばらセックス』の破天荒な活力の証であって、単に不注意から生じた矛盾ではないと信じたい。なんならこれを、前回の記事(日日日『のばらセックス』7)で論及した「反転」の一例に数えてもよいかもしれない。
(12)同書349頁。
(13)同書372頁。
スポンサーサイト

category: 『のばらセックス』

CM: 0 TB: 0   

コメント

コメントの投稿

Secret

トラックバック

トラックバックURL
→http://tsujiko692.blog.fc2.com/tb.php/11-7e9257c1
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。