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つじこの

一応、本とかの批評のつもり。趣味的な備忘録

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二つの春画展 

銀座の永井画廊と目白台の永青文庫、都内二か所で競うように開催中の春画展を両方拝見してきた。

もっとも、永井画廊のほうは、春画研究者の石上阿希先生が作ったヴァーチャルミュージアムが発端のようで、展覧会としてはごく小規模であり、どちらかといえば美術的興味よりも学術的興味が先行している感じである。「銀座『春画』展」という正式名称からして、主催者側も、永青文庫での展覧会を補完するものという位置づけを意識しているのかもしれない。
個人宅を訪問していた貸本屋が春画の普及に与って力があったこと、いわゆる享保の改革の一環として享保七年(1722)の町触をきっかけに取り締まりが厳しくなったこと、その結果春画の地下出版化が進み、それまでは堂々と作品内に署名していた絵師が素性を隠すようになったことなど、基本的な知識が学べる。それでいてその後も柳沢淇園のような知識人が、「すべて此たぐひも文宝物也。書をよみ、手ならひなどして、気づきたらん時よむべし。心を養ふてよし」(『ひとりね』、享保十年)などという言葉を残しているのは面白い。それと、画中に書き込まれた台詞を読むと、江戸時代の男女も絶頂時には「いくいく」と叫んでいた―あるいは少なくとも、それが虚構作品における約束事だった―ことがわかり、微笑ましいと同時に妙な親近感がわく。
明治維新後も、明治五年の違式詿違条例(いしきかいいじょうれい)など、折に触れて春画への弾圧が見られるが、とりわけ日露戦争の最中から戦後にかけては、未曽有の国家的緊張とそれからの解放の中で風紀を正す必要がひとしお痛感されたためか、大規模な検挙があいついで実施されたという。だが、その一方で日清・日露の戦時には世相を反映した「看護婦と軍人」ものが数多く作られて人気を博したし、兵士に持たせるために軍が資金を提供していたこともあるというから驚きだ。このあたりの事情は、フーコーやカルチュラル・スタディーズの流儀にならった文化史研究にとっては、格好の題材だろう(権力と性表現の関係を考える場合、自由と抑圧の対立という単純な切り口では見えてこないものもある)。また、戦争の記念として絵葉書が流行したのに乗じて、光に当てると隠された図柄が浮かび上がる、「透かし絵春画」なる奇抜な代物も発明された。点数こそ少ないものの、こういったものの実物を見ることができたのは貴重な体験だった。
この展覧会の最大の呼び物は、やはり葛飾北斎の『萬福和合神』(1821)だろう。富家の娘おさねと貧家の娘おつび、ともに好色な両親からその性質を受け継いで生まれた二人の女性の対照的な人生を追った一種の小説で、絵はもちろん、本文も北斎自身が書いている。恵まれた境遇から転落を重ねてついには夜鷹になるおさねと、極貧の境遇から引き上げられてとうとう名家の奥方になりおおせるおつび、二人の運命を分けたのは親を敬う孝心の有無であったという説明を、作者その人がどこまで真面目に信じていたのかは定かでないが、確かなのは、駆け落ちなど何らかの転変が生じるたびに、そこには要因として愛欲の抗しがたい力が働いているということである。結局は、「和合生萬福妙触甘乾坤」という題辞のとおり、愛し合う男女が仲良く睦み合い、優しく触れ合えばこの世は甘く心地よいものとなる、そしてこれに比べれば、金持ちであろうと貧乏であろうと、そんなことは取るに足らない問題だという風に読んでおけば、それでよいのではないか。台詞もあえぎ声や息づかいをはじめ、やけに表現が凝っている。「ヒイヒイスウスウ」とか「フフウフフウ」くらいならまだしも、「ヘエエアア、本当にフウウフフウモウ、そのオオオオ、ハアア、ヅウウウで、ヘエエ、アアソレソレ、いくいくいくいくいく」とか、「ムム、いいぞいいぞ、けつまで蛸だ蛸だ」あたりになると、旺盛な生命力といっそすがすがしいほどの諧謔が横溢しているのが、いかにも北斎の藝風らしい。巻頭に描かれた性具の数々には現代とさほど違いのないものもあり、これも見ていて楽しい。
春画の実物を見るのは今回が(たぶん)初めてなのだけれど、あまり人体の細かい部分の再現には拘泥せず、ただ性器のみは写実と誇張を交えながら入念に描くという方針は、現代の漫画家ではみやもとゆうあたりに通じるものを感じる。基本的には暴力的な描写を避け、和気藹々とした雰囲気にまとめたがるのだが、それでいて恍惚たる忘我の境地の表現では手を抜かないところも共通点だろう。

永青文庫の「春画展」のほうは、国内外から多くの名作を集めた日本初の試みとして大々的に宣伝されただけあってさすがに盛況で、平日の夕方4時頃行ったのだが、列を作って20分ほど待った。まず4階に上り、そこで「肉筆の名品」を堪能してから、ついで3階の「版画の傑作」、2階の「豆判の世界」に進むという順路である。
面白いことに、展示自体もいきなり本番というわけではなく、「プロローグ」として、事に及ぶ直前の男女の戯れる様子を描いた作品群から始まる。こういう奥床しい作品もありますよというわけで、贅沢な話というか、春画を楽しむ文化がいかに成熟した感性に支えられていたかを早くも感じさせられる。
それが終わると、まずは「稚児之草紙」、「小柴垣草紙」、「袋法師絵詞」など、有名な巻物形式の作品が展示されている。それにしても、寺院には古くから美童を愛でる伝統があった以上「稚児之草紙」はまだわかるが、伝住吉具慶の「小柴垣草紙」(中世春画の江戸初期模本)は寛和二年(986)の済子女王の醜聞にもとづくということで、そんなものを絵に描いても大丈夫だったのか、と余計な心配をしてしまう(と思ったら、どうも後白河法皇の意向で制作されたという説があるらしい。それならば納得がいく)。いかつく盛り上がった肩や太腿の筋肉を誇示するかのような横向きの蹲踞の姿勢から前のめりになり、床に手をついて体重を支えながら女体にのしかかる男性と、両手をまわしてその背中にしがみつき、足も彼の腕に絡ませながら、胎児のように丸まってすっかり身を委ねている女性との対照の妙、二人が一体となって―たぶん、屈曲位ということになるのだろう―作り出す楕円形、しっかりと見える結合部など、こと構図の工夫に関しては春画の歴史全体を通じて屈指の完成度であろう(おまけに、男性の顔は目障りにならぬよう、女性の頭部の背後に隠れている)。また、「袋法師絵詞」は、その名のとおり袋詰めにされた法師がさんざん女たちに奉仕させられてくたくたになるという内容で、日本の好色文化が―少なくとも、絵画や小説などの藝術作品の中では―概して女の性に対して肯定的であるという、その後の伝統につながっていくものかもしれない。
4階に展示されていた作品の中で特に気に入ったのは、鳥文斎栄之の「四季競艶図」と月岡雪鼎の「春宵秘戯図巻」、この二作である。
「四季競艶図」は寛政年間(1789-1801)の作品で、肉感性はさほどでもないが、軸物だからか不思議と気品がある。栄之は本名を細田時富という500石取りの旗本だったというから、そのせいかもしれない。丁寧に描かれた四季折々の風物が美しいし、恥じらって視線を逸らしたり、仲睦まじく唇を重ねたりと、顔の表現はなかなか豊かである。
「春宵秘戯図巻」は制作時期が明和四‐九年(1767-1772)で、作者の雪鼎は大坂で活躍し、春画の名手として知られていたという。この作品は本当にすごい。画面をめいっぱい使い、おそらく今回の展示品の中では人体を最も大きく描いている。ふっくらした体つき、紅潮した肌(女性のほうが桃色が濃い)、絡み合う脚や手の指先、力強く開いて地面を踏みしめる男の足指と何かにすがるように折り曲げられた女の足指との差、生々しい性器、そしてそこからあふれ出てくる白い精液と、どこをとっても実に見応えがある。何より、うっとりと閉じられた目と、いまにも感極まった声が聞こえてきそうな半開きの口の表現がすばらしく、極上の陶酔感をみごとに可視化している。
このほか、幽霊物(勝川春英「春画幽霊図」)やパロディ(鳥文斎栄之「源氏物語春画巻」、作者不詳「陽物涅槃図」)など、実験的な作風の実例もあれば、栄之の師である狩野典信が、それにもかかわらず室町時代の狩野元信を手本としたからか、男は目鼻立ちがくっきりしすぎで女はうりざね顔ならぬおたふく顔という、古風な絵柄の「春画巻」を残しているという具合で、いろいろと興味深い。また、歌川国貞の「金瓶梅」はそういう扱いではなかったが、一見して日本が舞台なので、これもパロディの一種だろう。

3階の展示では、室町時代後期に中国から伝わった春宮図の影響で、絵巻物から詞書のない12図一組の作品へと春画の主流が移り変わったが、葛飾北斎の『萬福和合神』以降、特に歌川派が物語性の強い作品を描くようになった、という説明があり、銀座の展覧会に続いてまたしても北斎の偉大さを再認識させられる。また、例えば菱川師宣の『若衆遊伽羅之枕』(1675)が、画面上部四分の一に文を、残りに絵を配するという形式を示したことで絵本の誕生につながったように、一応は表の文化と地続きの関係にあった春画だが、享保の改革がきっかけとなって地下出版化した、という説明は共通しているものの、その一方でいわば建前上はないものとみなされて具体的な制限を受けずに済んだ分、かえって贅を凝らした版画が作られるようになったという逆説的な展開にも触れられており、この着眼点には意表を突かれた。
奥村政信の『伊勢物語俳諧まめ男夢想頭巾』と鈴木春信の『風流艶色真似ゑもん』はともに、小さくなった主人公があちこち遍歴しながら他人の色事を覗き見るという趣向である。この主人公は必要なのかどうか疑問にも思うが、多種多様な情事の場面を単なる羅列に終わらせずに一つの作品へとつなぎ合わせる最小限の筋書を確保しつつ、覗き見という特殊な趣向を付け加えていると考えれば、あながち無意味でもないのだろう(特に春信の作品のほうは、吉原案内という側面もあるらしい)。ここから思い切って主人公の存在を引き算するとともに、その位置、つまり巨人の交合をその足元から見上げるような位置を我々自身が占めるなら、それがつまり現代のエロ漫画ということになるのではないか。両人の作品は、江戸時代の感性と現代のそれとの間に存する連続と断絶(要するに距離)を教えてくれる。男一人に対して女六人という、まるで赤月みゅうとのような勝川春潮の「色部類十二好」も、やや離れたところから七人の全身を平等に描いているので、当事者になったつもりで画中に没入するという鑑賞態度を要求してくる感じはあまりしない(もっとも、その点はかえって最近の赤月みゅうとと重なる)。その分男女の扱いが公平であるという評価もできなくはない。
この階の展示作品で特に心に残ったのは、鳥居清長の「袖の巻」、および喜多川歌麿の「ねがひの糸ぐち」である。
「袖の巻」は天明5年(1785)頃の作品で、月岡雪鼎の影響が考えられるという。それも納得の出来栄えであり、感極まった男女が二人とも目をつぶって相好を崩す様子といい、見交わす視線を通して感じられるこまやかな感情のやりとりといい、実にすばらしい。特徴的なのは、極端に横長であることだろう。当然折り重なった二人の全身像は収まりきらないわけで、これが結果として拡大と同様の効果を発揮し、臨場感を出しているようだ。
「ねがひの糸ぐち」は寛政十一年(1799)の作品で、歌麿らしく、躍動感や派手さはないものの全体のまとまりがよく、色彩もきれいに調和している。女性器から垂れ落ちる体液に肛門の描写など、細部にも手を抜かず、丁寧に仕上げている。
こういった正統派の作品以外にも、「蛸と海女」で知られる北斎の『喜能会之故真通(きのえのこまつ)』を見ると、粗野な風体の醜い男の局部がことさら包茎に描かれていたり、歌麿の『歌まくら』には西洋人(オランダ人か)が登場したり、勝川春英の『御覧男女姿(おみなめし)』では漁師がエイを犯していたりと、興味は尽きない。どれも有名ではあるが、こうして一堂に会すること自体、意義深いことだろう。
それから、画中に書き込まれた文章は、基本的には添え物のはずなのだが、中にはかなり笑えるものや、考えさせられるものもある。例えば大和郡山藩主の柳沢信鴻(のぶとき)も所蔵していたという勝川春章の『会本拝開夜婦子取(えほんはいかいよぶこどり)』では、「こたつであたゝまつて、此よふにふつくりとしたまんぢうを、くハずにゐられるものか」、また北斎の『富久寿楚宇(ふくじゅそう)』では、「なに、きたねヱことがあるものか。うまれるところだものを。しかし、ちつと、しをツぺいにハおそれる」といった調子だ。
上の階に続き、ここでも多くのパロディ作品が目をひく。牛若丸伝説に題材を求めた奥村政信の『艶好 虎之巻』、家庭用の医学書として名高い『医道日用重宝記』にちなんだ月岡雪鼎の『艶道日夜女宝記(びどうにちやじょほうき)』、『近江八景』をもじった歌川国芳の『逢見八景』、『春色梅児誉美』にもとづく歌川国貞の『春色初音之六女(しゅんしょくはつねのうめ)』などを眺めていると、くだらなさに失笑させられるが、そのうち現代人もこれと大差ないことを嬉々としてやっているのにふと思い当たって二度目の苦笑を誘われる。
あとは、大坂の挿花師亀齢軒の発案で作られた、影絵ばかりの春画帖『華月帖』という珍奇なものもあった。

2階の主要な展示物は9cm×13cm弱の豆判春画で、文政期(1818-1830)以降に広まったという。新年には、登城した大名同士が暦つきのものを交換していたというから面白い。銀座の春画展でも説明があったとおり、この手のものは日清・日露戦争の頃まで兵士が持たされていたというだけあって、数が多くて全容はまだ把握しきれないのだという。もちろん迫力はさほどでもないが、福禄寿と弁財天の組合せだとか、交合図を茶道具に見立てる、芝居を題材としてそれを春画化するなど、遊び心があって見飽きない。時代が下っているからか、空摺(からずり)による立体感の表現も巧みで感心させられる。
それ以外だと、歌川国貞の手になり、「国貞三源氏」とも称される『艶紫娯拾餘帖(えんしごじゅうよじょう)』(1835)、『花鳥余情 吾妻源氏』(1837)、『正写相生源氏(しょううつしあいおいげんじ)』(1851)の三作が、形骸化というか惰性化というか、絵師自身が自分の描いているものをあまり信じていないような感じも受けるものの、超絶技巧を駆使した版画としての高い完成度と並外れた華麗さゆえに忘れがたいし、同じく『絵本 開談夜之殿』の仕掛絵(しかけえ)は、折り畳まれた頁を開くと夢中で交わっている相手の女が実は狐であったことが判明するなど、怪談仕立ての内容と相性がよく、抜群の効果を発揮している(だから表題も、「怪談」と同音の「開談」という語呂合わせになっているのだろう)。暴力的で陰惨な作風で新境地を開いたという歌川豊国の『絵本 開中鏡』における、床に散乱した沢山のちり紙、また鈴木春信の「綿摘女」における、母乳が出るとも思えないのにあやされながら乳房に吸いつく若者、これらの表現には現代に通じる感性があると思った。

結局、1時間半程度で切り上げるつもりが3時間ほども長居をしてしまったのだが、それだけ充実した展覧会だったと感じている。それにつけても感嘆措く能わざる傑作と思うのは、月岡雪鼎の「春宵秘戯図巻」である。なにしろ何度目を凝らして見ても一向にこの絵の本質を汲み尽くしたという感じがしないので、最後の十数分などは絵の前から立ち去りかけてはまた戻るという未練がましい行動を繰り返し、とうとう眼鏡を外して強制的に鑑賞を打ち切らなくてはならなかったほどだ。本作が見られただけでも、来た甲斐があったというものである。
会場には若者たちに加えて中高年の紳士淑女の姿も多く、皆が思い思いの言葉で自由に作品を論評していた。数えたわけではないが、男女比はおよそ半々か、やや女性が上回っていたかもしれない。もちろん小中学生にふさわしい催しではないのだけれど、大人の楽しみとして、こうして春画を見るために老若男女が集まってきたというのは、実に平和な光景であり、結構なことだと思う。そのつもりでお金を払って入場したのだから当たり前といえば当たり前だが、猥褻でけしからんとか、断固規制しろとかの声は聞こえてこなかった。日本文化の海外発信が論じられることの多い昨今、「世界が、先に驚いた。」なる謳い文句とともに、かの大英博物館で好評を博した実績を強調するというのは、なかなか巧妙な戦略である。銀座の展覧会で見かけた歌川派の欠題艶本にも「よしやよしなき世のならひ、なげきてもなほあまりあり」と書いてあったように、それでなくても浮世とは本来憂き世であり、生は慰めを必要とするのだから、どうかこういう味わい深い文化がその直系の子孫ともども根絶されるような日が来ないことを祈るばかりだ。
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