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つじこの

一応、本とかの批評のつもり。趣味的な備忘録

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早坂吝『虹の歯ブラシ 上木らいち発散』2 

『虹の歯ブラシ 上木らいち発散』の結末について、哲学的にどのような概括が可能かということはこの前論じたばかりだ。
しかし、推理小説はあくまでも広義の小説の一種である。そうである以上、単に結末の仕掛けに注目するばかりで終わってはならず、いかなる要因がこの作品をまさしく一篇の小説として成り立たせているのかという問題についても、究明を試みるべきではないか。
ではさっそくそのつもりで、第一章「紫は移ろいゆくものの色」を読んでみよう。するとじきに気づかされるのは、これ見よがしで、ほとんど類型的と呼びたくなるような、俗悪すれすれの文体の"hardboiled"性であり、そして第二に、奇妙に間が抜けた、悪趣味な性的趣向がそれと同居していることである。特にそのことが如実にうかがえるのは、第3節に入り、いよいよ小説がミステリーらしくなり始めてからだ。

 まるでAV(アダルトビデオ)のような殺人現場だ。
 それが警視庁捜査一課殺人犯捜査第七係、藍川(あいかわ)警部補の抱いた第一印象だった。
 彼は他の刑事たちとともに、L商事本社ビル最上階三十階の社長秘書室にいた。
 彼らは一様に圧倒されていた。初動捜査を行った所轄署・機動捜査隊からの報告で心構えはしていたつもりだったが、実際の現場はそれを遥かに上回る衝撃だった。初めてミステリーサークルを目撃した人物はきっとこんな気持ちだっただろう。
 一体、誰が、何のために、こんなことを?
 殺害されたのは一人しかいない社長秘書の式部京子(しきぶきょうこ)、二十八歳。
 彼女の遺体は何とも珍妙なことになっていた。
 上半身は裸。下半身はグレーのタイトスカートに黒のストッキング、パンプス。首にはロープが巻き付けられている。他に致命傷は見当たらない。
 ここまではそう珍しくない。問題は遺体の置かれている場所だ。
 コピー機と机の上にあった。
 すなわち―。
 コピー機から蓋(ふた)が取り外され、その正面に事務机が一台ぴったりと寄せられている。遺体は上半身がコピー機に、下半身が机に載る形でうつ伏せになっていた。コピー機より机の方が低いが、未開封のコピー用紙の包みを遺体の下に敷き詰めることで、両者の高さを均等にしている。〔中略〕
 おかしなことはそれだけではなかった。
 コピー機横のホワイトボードにA3のコピー用紙がマグネット留めされていた。横長の状態で縦に三枚、横に四枚の計十二枚。
 それらは遺体のものと思われる女性の胸部のカラーコピーだった。(注1)

とはいえ、遺体の置かれた状況がどうしようもなく悪趣味であること自体はそつなく作中で指摘されているとおりであり(注2)、ゆえにとりたてて問題とするに足らない。第一、これは犯人が自分を容疑者から外すべく懸命に知恵を絞った結果の細工なのであり、決して変質者の単なる気紛れというわけではないのである。むしろ尋常でないのは、相も変わらず真面目くさったままの、何食わぬ顔つきで文体が以下のくだりに流れ込んでゆくことのほうだろう。

 藍川がAVを連想したのはこうした状況からだった。オフィスラブ物で、女優が乳房をコピーされながらバックから突かれるというシチュエーションがたまにあるが、今回の事件はそれに酷似(こくじ)している。推理小説で言うところの見立て殺人なのだろうか。
 ただし体位は異なる。女優は立ちバックのまま胸だけコピー機に乗せるが、この遺体は下半身も机の上に載せられている。一つには遺体が自力で姿勢を維持できないからだろう。だがもう一つ理由がありそうだ。
 藍川はホワイトボードに近づいて、十二枚のコピー用紙を観察した。右下の紙に行くにつれ、乳房に紫の斑点(はんてん)が増えている。〔中略〕
 単なるAVの見立てではない。死斑の推移を記録すること、それこそが犯人の主眼だろう。(注3)

一体、我々はどんな顔をしてこれらの文章を読めばよいのだろうか。おそらく大半の読者は、「オフィスラブ物で…ただし体位は異なる」云々と書いてあるのに接して、不謹慎とは思いつつも引きつったような苦笑を誘われたのち、ついで「死斑の推移を記録すること、それこそが犯人の主眼だろう」に至って、どちらの箇所でも文体の調子が一定であることにふと気づき、気づくと同時にある戸惑いを覚えずにいられないはずである。
先には「これ見よがしで、ほとんど類型的と呼びたくなるような、俗悪すれすれの文体の"hardboiled"性」と書いたけれども、こうなると、この類型性は侮るべからざるもの、何かしら不気味なものにさえ思えてくる。これは、一見昭和の刑事ドラマのような、ある種の警察小説の典型的な様式を模倣し、その忠実な継承者を装いつつも背後にひそかな裏切りの企図を隠し持った、偽物であり見せかけ(シミュラークル)なのだ。
実際、このあざとい類型性が計算の産物であることは、見るからにそれとは対照的な、会話の場面の並々ならぬ精妙さを介して間接的に確かめられる。「解剖してみないと詳しいことは言えませんが、今のところ、個人的な見解としては」などと、不必要にくどい前置きを重ねる紺野警部補の「慎重派らしい物言い」(注4)、早く尋問を終わらせて安心したいらしい容疑者村崎が発した「ご託はいいからさっさと聞けアリバイを」(注5)という台詞における、倒置法(「アリバイを聞け」ではない)と読点(、)の排除の併用がもたらす性急さと苛立ちの表現、小松凪巡査部長と親しくなりたい一心で彼女の苗字を勝手にばらして「凪ちゃん」にしてしまう花田警部補の「独自の呼び方」(注6)、さては藍川と小松凪がどちらも我先に相手に謝ろうとした結果として生じる発話の衝突―「『あのっ』/『えーと』/二人の言葉がぶつかった。譲り合いの結果、藍川からしゃべることになった」(注7)―等々は、いずれも驚異的な迫真性を誇る工夫として、特筆に値する。躊躇と加速の使い分けがそのつど理にかなっていて、それゆえの生々しくも自然な息づかいがあるのだ。その点は、結果的には事件の真相を解明する上で大した意味を持たなかった、さる容疑者の弁解においてこそ、あるいは他のどこよりも顕著かもしれない。鍵括弧を使わずに自由間接話法で示される、「なお被害者に遺体の画像を見せた理由については、純粋に会心の出来のホラー映画が撮れたから彼女に見せたいと思っただけであり、驚かせるつもりは―なかったとは言わない。言わないが、ホラー映画は驚かせてナンボである。決して悪意はなかった」というその弁解の要は、もちろん「驚かせるつもりは―なかったとは言わない。言わないが」に存する。ここでは、聞き手(花田)の疑いを予想し、予想した上で自ら先んじて自分の非を認めることでその疑いをかわそうと努める話し手の必死な思惑を、口調そのものが克明に反映している様が手に取るようにわかる。
検討の順序が逆になってしまったが、村崎と上木らいちの馴れ初めを紹介するのに費やされた序盤の二節も、基本的にはこれと同様、一方では先行する既存の小説の類型を丁寧になぞりつつ、しかも他方ではそれの裏をかくような底意地の悪さを随所で発揮している。違いがあるとすれば、序盤の雰囲気が、内容を考えれば当然とはいえ、どちらかといえば恋愛小説―それも、もちろん至って通俗的な―を思わせることであろう。もっとも、いついかなる瞬間にあっても生真面目で硬派ぶった外観を崩そうとはせぬ、そしてまさにその点において俗悪の一歩手前という印象を抱かせる文体の特徴は、早くも全開になっている。

 村崎は出世の軌跡を脳内でなぞり、しばし悦に入る。
 何も持っていないところから叩き上げですべてを手に入れてきた。今や押しも押されぬL商事の社長だ。来春からは経済団体の会長に就任することも内定している。
 だが―。
 その割に、ショーウィンドウに映る横顔がどことなく寂(さび)しげなのはなぜだろうか。
 富、権力、名声。およそ人が欲しがりそうなものは持っている。それなのに、この言い知れぬ欠落感は何なのだ。これ以上何が足りないというのか。〔中略〕
 その間、ふと顔を上げて向かいのホームを見た。

 そして上木らいちと出逢ったのだ。

 まず目に飛び込んできたのは、新鮮な血液のように赤いウェーブロングの髪。
 次に顔を見て、村崎は今の自分に何が足りないかを知った。
 愛だ。
 実は村崎は今までの人生で一度も本気の恋愛というものをしたことがない。妻とは見合い結婚だ。それも、いつまでも独身だと人格に問題があると思われて出世できないという噂(うわさ)を聞き、やむなく結婚したという始末。
 女遊びも人並みにはしてきた。今現在も愛人がいる。だが彼女を抱いている時も、村崎は心のどこかで冷めていた。
 そんな村崎が人生で初めて恋をした。それも、親子くらい歳の離れたらいちに。
 村崎はらいちを食い入るように見つめた。
 すると向こうも気付いたらしく、目が合った。
 村崎は慌(あわ)てて目を逸(そ)らそうとした。
 ところが、らいちは何と微笑(ほほえ)んだ。村崎に向かって微笑んだのだ。
 鼓動がさらに速くなった。
 次の瞬間、村崎は声を聞いたような気がした。らいちが向かいのホームから声を張り上げたのか? いや、違う。らいちの口は動いていない。依然、微笑んでいるだけだ。
 その声は村崎の脳内に直接響き渡ったのだ。まるでテレパシーのように。
(何のご用かしら)
 答えなければと思った。だがどうやって? 村崎は不思議とその方法に確信があった。強く念じることだ。そうすれば想いは必ず伝わるはずだ。
(私は……私は君のことが好きだ。どうやら一目惚れしてしまったようだ)
 日頃の演説と違って、衒(てら)わない素直な言葉が出てきた。
 らいちは頷(うなず)いてみせると、やはり声を発さず言った。
(そう……嬉しいわ)
 その時、電車が向かいのホームに滑り込んできて、二人の間を遮(さえぎ)った。
 村崎は慌てた。
(待ってくれ、行かないでくれ! もっと話していたいんだ!)
 階段を駆け下り、向かいのホームに続く階段を駆け上がった。贅沢(ぜいたく)な食生活で肥えた腹が邪魔をする。息も絶え絶えにホームに上がった時には、電車は行ってしまった後だった。
 だが、らいちは残っていた。
「ど、どうして―」
 喘(あえ)ぎながら問いかけると、らいちは包み込むような笑顔でこう言った。
「だってあなた、待ってほしそうだったもの」
 その言葉を聞いて、村崎の目から自然と涙が溢れて出てきた。辺りを憚(はばか)らず抱き付いた。二人は百年来の恋人のように抱き合った。(注8)

おそらく、ここで用いられている言葉たちで、何らかの先例に依拠していないもの、まがりなりにも独創と呼んでよさそうなものはほとんどない。まったく、書き写しているだけでうんざりしてくるような通俗ぶりである。ただし、勘違いしてはならない。この通俗性は、あくまでも計算されたものであり、村崎という男の俗物ぶり、その人間性の月並みさに、正確に呼応しているのだ。大体、既存の小説の使い古された修辞(紋切型)を、何も考えずただ無自覚に真似ているにすぎないのだとしたら、どこかに中途半端な独創性の芽生えがあって然るべきだろう。しかるにそれがどこにもない、もののみごとに一つもないということは、かえって、ありふれた恋愛小説の様式をこれ見よがしに装い、それどころか自ら手を貸してさらなる様式化へと押しやることで、そのいかがわしさを、あるいは通俗性を露呈させようとする計画の伏在を、否応なしに推定させる(それだから、先にも私はこの作品の文体を評して「俗悪すれすれ」・「俗悪の一歩手前」と書いたのであり、俗悪そのものと断じるのはあえて避けたのだ)。
実際、初恋を知ったばかりの思春期の少年さながら年甲斐もなくときめく村崎の胸の内を描いて過不足のない以上のくだりが、仮に例えばフローベールの『感情教育』を読むときの喜びに似たものを読者に感じさせるとしても、他方でせっかく覚えたその感動を冷まし、相対化してしまいそうな無粋な要素を見つけることは決して難しくない。すなわち、「そんな村崎が人生で初めて恋をした」に続く「それも、親子くらい歳の離れたらいちに」という一文は、直前の頁で紹介されたばかりの彼の日頃の信条―「村崎は援助交際をするような女は元より、それを買う男が何より嫌いだった。自分の娘と同じくらいの年齢の女を抱ける心理が分からなかった」(注9)―との対立、いやあからさまな矛盾を通じて、この劇的な一目惚れのいきさつを、いかにも現金な、道化じみた変節として嘲っているようだし、第4節に入ってようやく始まる、社長としての村崎の外貌の客観的な描写についても事情は同様であろう。刑事として彼に対峙する藍川の視点を介したこの描写は、単にそれ自体として人柄の浅薄さを暗示する不快な傲慢さに満ちているというだけでなく、我々読者がすでに知っている、らいちを見初めるときのまるで少年のように初々しい感激に震えていた彼の内面を、それとのはなはだしい落差ゆえにどこか滑稽なものに思わせてしまうのだ。

 村崎はまだ藍川を見ない。尊大な奴だと思ったが、あくまで丁重な態度で続けた。
「警視庁捜査一課の藍川と申します。少々お話を伺いたいのですが、今お時間よろしいでしょうか」
「お話だと?」
 そこで初めて村崎は椅子を回転させ、藍川たちを見た。脂肪の中に埋まった目が、まるで虫けらでも見るかのように細められた。
「お話はさっき来た連中にした。貴様ら公僕は横の連絡も取れてないのか?」(注10)




(1)早坂吝『虹の歯ブラシ 上木らいち発散』(講談社、2015年)20頁。
(2)同書39頁。
(3)同書20-21頁。
(4)同書23頁。
(5)同書33頁。
(6)同書36頁。
(7)同書37頁。
(8)同書13-15頁。
(9)同書13頁。
(10)同書27頁。
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