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一応、本とかの批評のつもり。趣味的な備忘録

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古井由吉『山躁賦』 

1982年に単行本として刊行をみた『山躁賦』は、それまでまがりなりにも物語的な枠組を保ってきた古井由吉の作風が、その枠組を徐々に解体しながらいっそう融通無碍な頽廃の相貌を色濃くしてゆく、まがまがしくも魅惑的な腐敗の過程を歩み始めたことを告げる転機の書である。
無理を承知で強引に要約してしまえば、一応、近畿や四国の山々を歩き回ってはしばしば霊場を訪ねもする「私」が、その途上で古典に思いを馳せながら空想上の人物と言葉を交わしたり、垣間見た幻視の光景をそぞろに書き綴ったりする連作短篇、ということになりそうだが、しかし話者がはっきり「私」と名指される頻度がみるみる低下するのと軌を一にして、現実と空想の境目はおろか時空間のけじめも徐々に失われてしまい、しかもそうかといって一挙に混沌が現出するというわけでもなく、ただひたすらにどこの誰のものともつかぬ一定の動作や感覚をなぞって微妙な陰影を刻み続ける言葉の群だけがあてどなく増殖してゆくこの小説にとって、そのような梗概はほとんど何の意味も持ちはしない。
わけても、都合12の短篇の中の第九番目に相当する「肱笠の 肱笠の」は、「男は傘を持たず、それほど濡れてもいなかった」(注1)という冒頭の一文からして、たとえそう明示されていなくとも「私」の体験や感慨を指しているとただちに推量できる他の作品の書き出しと比べて異彩を放っている。電車内で、本来なら座れたはずの空席を一足早く見知らぬ女性に占領されてしまったことに腹を立ててその場から立ち去ったこの男は、間もなく着いた駅で降りると「肱で頭の上をおおって、剽軽に首をすくめ」(注2)、そのままどこかに行ってしまったという。一見何の変哲もない情景だが、この場にそれと名指されることのない「私」が居合わせていることは、冒頭から数えて四段落目の「ひと声甲高く、鳥の空音(そらね)が耳の奥であがった」(注3)という一文に至ってようやく判明する。たしかに「肱笠の 肱笠の」は、「私」という一人称による名指しを終始避けているが、そのことは―必ずしも主語の明示化を要さないという日本語の特性ともあいまって―聞く者としての「私」がそれとなく(暗黙のうちに)召喚されることと矛盾しない。問題はしかし、聞くことから生成せしめられ、畢竟聞くことしかできないこの受動的な「私」が、はたして本当に現前の世界の住人なのかどうかだろう。少なくともこの時点で明らかなのは、「私」に聞こえたのは現実の鳥の鳴き声ではなくてたかだか「空音(そらね)」でしかないということ、そしてこの耳の錯覚とともに、いましがた目にした電車内の一幕の架空の帰結として、一歩間違えれば男が女を殺していたかもしれないという、理不尽なほど不吉な想像が呼び起こされることである。
どうやらこの想像は、一月ほど前に訪れた友人が携えてきた「鳥の音盤(レコード)」でほととぎすの声を聞き、そしてそれが、以前登山中に死にそうな苦労を味わっている最中に聞いた忌々しい鳴き声と同じであると気づいたことに端を発しているらしい。

 ところが音盤から響き出ると、ひと声で覚えが蘇った。どこの山、どこの谷ということもない。とにかく急な登りに死ぬ思いをしている。そして肉体苦のあまり、歯を喰いしばりながら、狂躁が起りかけている。その中へ、谷のむこうから、呼びかける声がある。みずから躁の色に染まり、苦痛をさらに搔き立てて甲高く叫びつのり、しかも狂ったように、長閑(のどか)なのだ。(注4)

以来、わけもなく耳を澄ます癖がついたというこの話者は、逆説的にもそのせいで自らの聴覚への確信を失い、「聞えているはずの声がどれも、ほんとうには聞えていない」という「聞えながらの聾啞の心地」へと追い込まれてゆく。むろん、この悩ましさの中心に位置するのは、実際の音として現前してはいないはずのほととぎすの鳴き声であり、その吸引力である。

 ほととぎすの声こそ、恣意のまた恣意だった。幻聴として驚かすのでもない。ただときたま夜中の雨やら、車の往来やら、ほろほろ鳥どもの寝惚けやら、さまざまの音をふくんでついと深くなる沈黙の、はるか遠くに、雲間のほの白さのような、けたたましい恣意をはらむ空虚の感触があって耳を惹き寄せる。その吸引力が声を思わせる。聞くのではない、狂ってはいない。しかしはるばると耳を澄ませて、山を浮べ、谷を浮べ、渡りを思い、濡れねずみのにおいを思い、むなしく張りつめた聴覚をたぐり返して近間にやると、窓の張出しに雨のあたる、水にタイヤの滑る、ほろほろどものたるんだ喉をふるわせる、あらゆる物音のうちに鋭い鳴き出しのけはいがひそんでいる。
 棟の上あたりをいつまでも去らない。近くまで探りあてていながら、まだ迷っている。あいまいに遠ざかってはまたもどってくる。(注5)

そうこうするうちに凄惨な殺人事件の報道に接し、再び電車内の男女と、放心の体でうなだれたそのときの女性のあくまでも控えめなしぐさとを思い浮かべた話者は、あたかもいまもまだ電車の中に身を置いて彼女に語りかけるかのように、それではかえって狂った男を誘い寄せることになると訳知り顔で諭すものの、やがてその語りかけはそれ自体が錯乱し始め、不吉な緊張感が高まったあげく―「そのままうつむきこんでいるが、生きた心地はあるのかないのか、あの惨事はどこへ呑みこまれた、殺された女はどこへ行った、遠くでやけに鳴いているじゃないか、おい、ひょっとしてあれは……」(注6)―、唐突にも、殺された者が鳴くのか、それとも殺した者が鳴くのかという奇怪な問答へとなだれ込む(これは一応自問自答なのではあろうが、片方だけが「です・ます」口調なのがなんとも面妖である)。
ここにおいて、話者あるいはそれと名指されぬ「私」の内部を領して響き渡る声、実体のないほととぎすの空音が、ただでさえ輪郭の薄れがちなこの人格に亀裂を走らせ、正気から狂気へのずれ込みを促す死の原理であることは明白である。しかし、それが「肱笠の 肱笠の」の結論というわけではない。思い余っていよいよ本物のほととぎすが鳴くのを聞いてやろうと決心した話者が友人に勧められるまま比叡山に赴く後半においては、この声に耳を傾けることが、ただちにまた文学の原理、書くことの原理でもあらねばならぬゆえんが確かめられることになるからだ。
注意したいのは、この話者が比叡山を訪れるのはこれが初めてではないということである。なるほど、『山躁賦』の第一作「無言のうちは」における、分譲団地を霊園と見誤った錯覚、および今回と同じ宿で起き抜けに予感した人格解体の危機については、「一年半前の冬にはとっさに山中の霊園と見て」および「とにかく魂がいささか、柄にもなく、身から離れかけた宿である」というくだりが示しているように、過去の自分が経験したこととして、まがりなりにも記憶の中に位置づけることができている(注8)。しかし、誤って傘で下級生を傷つけた小学生のとっさの嘘から生まれた幻の通り魔事件という、一見まるで無関係な話題への脱線を経て、あれほど気がかりだったはずのほととぎすの声を実はすでに聞いてしまったことを明かす話者は、正気の生者が住まう世界からはいよいよ決定的に離脱しつつあるようなのだ。すなわち、「山上に着いて早々に、あっさりと鳴いてくれた」(注9)という拍子抜けを誘う一文とそれに続く二つの段落は、ほととぎすの空音に対する話者と同様、我々読者をも、取り返しがたく起こってしまったこと―ということはつまり、書かれてしまったこと、でもあるわけだ―に対してただ事後的に反応することしかできない受動的な存在に変えてしまう。こうして、文章の魔力に対していわば武装解除されてなす術もない読者を巻き添えにした上で、話者はいまや公然と我が身の二重化ないし分裂に淫し始める。

眼下に今夜の宿が見えた。窓の内から男が山のほうへ耳を張りつめて、ほのかな声のけはいと空音との境目に苦しんでいる。それきり鳴かなくなった。しかし聞き耳はすでに空虚ではなかった。(注10)

この「男」はどう考えても話者その人にしか思えないわけだが、しかしだとするとその男の姿をこうして遠くから眺めている者は一体誰なのか。いまや実際の鳴き声を存分に聞いた結果、「聞えもせぬのに耳に満足感を覚えて」(注11)いるという、この宿に帰りつつある話者の満足感とは、要するにそれまでは自分を脅かしていたほととぎすの声にすっかり感染され尽くしたあげく、自ら死者の側に身を置いてしまったがゆえの気楽さであり落ち着きであるのではないか。第二作「里見え初めて」の結末における雪中の遭難を回想しているはずの以下の段落が、それにもかかわらずやけに回想中の主人公(つまりは話者である「私」自身)に対してよそよそしく、ほとんど敵対的ですらある理由は、そのように考えてこそ説明がつくように思える。「無言のうちは」を回想する場合とは打って変わって、記憶が保証してくれるはずの人格の同一性は、もはや成り立たないのだ。

 車の客はあらかた引いて閑散とした、ところどころガードレールの上に猿の居並ぶ舗装道路を、ちょうど霧の中から薄日さえ差し、あなたまかせにくだっていくあいだ、谷の遠くからギャアギャアと長い陰気な声が立つたびに前後を見わたし、もっと尾根の迫っていたはずの雪の道をとろりとろりと、すでに熱を出して魂が離れかけ、よろぼいの舞いを舞って登っていく姿を、探すようにして時間がややおぼろになり、立ちどまりかけてまた惰性にまかせるとき、帰ってきやがった―雪の中へ消えた瘦男が初夏の山から太くなって、罪をまたつくって、ほととぎすを待つなどとほざいて帰ってきやがった、その不逞な面(つら)つきが見える気がした。(注12)

その夜話者が見た夢の情景については、「待機」や「殺人」、あるいは雨に誘発された虚実定かならぬ暴力沙汰(幻の通り魔事件)など、ここまでの作中に登場したいくつかの要素をいったんばらばらにした上で再構成した観があり、それだけに一貫した説明がしづらいものの、「肱笠の 肱笠の 雨もや降らなむ 郭公(しでたをさ)/雨やどり 笠やどり やどりてまからむ 郭公(しでたをさ)」なる催馬楽(注13)を、わざわざ「降らなむ(降ってほしいものだ)」という願望表現を「降らむ(降ることだろう)」という単なる推量表現に変えて引用した上で(注14)、核として活用していることは少なくとも間違いない。元来、「肱を笠代わりにせざるをえないような急な雨が降ってくれれば、雨宿りを口実にして好きな女の家に立ち寄れるのに……」という歌だったものがこうして色恋沙汰の文脈から切り離されるとともに、重点は繰り返される「しでたをさ」、すなわちほととぎすに移ってしまうが、もちろんそうかといって「たをさ(田長)」が体現する田植え歌としての性格が目立つようになるわけでもなく、むしろ「しで」から「死出」への不吉な連想に後押しされるかのように、またしても電車内の男女の姿が再現され、そして鬼気迫る変身譚へと変奏されていくのである。

 近づきかけると、女はいかにもひとりきりの、なにやら凄惨な笑みをひろげて、迫りかかる気をふと逸らして遠くへ聞き耳を促す、そんな手つきを見せたかと思うと、男はすでに車中になくて、降りしきる雨の中を宙に浮んで、肱を頭にかぶり女の膝もとへころがりこむ腰つきのまま、うしろざまに吸いあげられ、山の上に吊りさげられ、肩の上へ短い翼をちょこんと張って喘ぐと、女は顔をあげ、深く蒼ざめていて、細く澄んでよく通る声でまわりに触れた。
―さあ、皆の衆、いま山を出ました。ほら、耳を澄まして。
 言われるままに喉をしぼり、睡気の薄膜のかかるまで目を剥いて、嘴を赤く裂いたが、あがるのは頓狂な叫びばかりで、ただ女がいつのまにか地に倒れて悶えている、声のあがるたびに苦悶の色が濃くなるのが、いとも長閑に眺められた。(注15)

ここで用いられている言葉たちは、「肱を頭にかぶり」が「肱で頭の上をおおって」(注16)に、「うしろざまに吸いあげられ、山の上に吊りさげられ」が「いきなりふわりと、見えぬ力に掬(すく)いあげられたふうに」(注17)に、「睡気の薄膜」が「睡気を思わせる薄膜」(注18)に対応するという具合に、実はその多くが「肱笠の 肱笠の」の冒頭の情景に起源を有しているし、「長閑」も友人が持ってきたレコードを聞いた話者の感想の中に先例があった。この一連の二重化は、作為の所産、話者による組織化の成果なのだろうか。そうではない。逆に、この事実は、言語の自律的な運動について証言していると考えなくてはならない。なぜなら、話者はもはや言語の主ではありえないからである。第二作(「里見え初めて」)を回想するくだりに「瘦男」とあったように、話者自身が(作者の古井と同じく)男性であることとも無関係ではなかろうが、ここではどうやら、冒頭の「近づきかけると」、および「言われるままに……眺められた」という末尾の一文から察するに、話者は変身を遂げる男の側、つまり先頃検討した箇所と同じく鳴き声をあげるほととぎすの側に、それとなく、半ば身を置いているようだ。肝心なのは、その同一化があくまでも「それとなく、半ば」でしかないということだろう。つまり、話者が遂げる「男性=ほととぎす」という等式への同一化は、文面上は決して明示されることのない、したがって暗黙裡の不完全なものにとどまるのであり、だからこそその等式の単なる拡張(「男性=ほととぎす=『私』」)には終わらず、むしろ反対に、能動的な行為者の身元を保証してくれるはずの同一性の原理を引き裂いてしまう、誰のものとも知れぬ「頓狂な叫び」の垂直的な突発を解き放つことになるのである。聞き耳を立てる女性に誘われるまま、言葉がそれ自体の上に折り重なる二重化の帰結として絞り出されるその致死性の叫びが、結局のところ小説を書くという営為そのものであらねばならないことは、一篇の結びに近い以下のくだりで、目が覚め、それと同時に再び聞く者の立場に戻った話者が、とうとう吃音気味の、言葉以前の「言葉」なるものにはっきりと言及し、いまにも途絶えそうな頼りなさで必死に生れ出ようとするその「言葉」の誘引に身を任せるという「門出」の体験の晴朗さにおいて、もはや何ら異論の余地がない。まるで憑き物が落ちたかのようなこの晴朗さは、その実あくまでも高熱にうなされる病人の見る悪夢にも似たここまでのいきさつと不可分なのであり、それの帰結であるのみならず同時に前提でもあるものとして、さりげなく(そして容赦なく)、束の間の平穏に浸る話者に言葉の再開を予告するはずなのだ。

 おい、起きろ、何を寝てるんだ、来たぞやって来たぞ、おびただしゅう鳴いているぞ、と友人の声に呼ばれて目をひらくと、窓から霧が吹きこんで、相変らず硬く横たわる身体の、額も襟も手足もしっとりと冷たく、樋の水がごぼごぼと陰気な笑いを立てて、雨の音があまねくおおいかぶさり、身も消えそうな聾啞感の中から、おもての闇に目をこらすと東の空がほのかな蒼みをふくんで、はるか谷のほうでたった一羽、やはりたどたどしく、いまにも言葉になりかけてはひしゃげて吃りながら、それでも山をおおう雨の中にそのつど声の領分をくっきりと張りひろげて、一心不乱に命(いのち)を鳴きつのっていた。
 ひと声ごとに夜が白み、耳が静かさへほぐれ、やがて、門出だ、門出だ、と聞えてきた。(注19)

「やはりたどたどしく」の「やはり」にはおそらく、ほんのいましがたまで(夢の中で)自身も「頓狂な」調子でしか鳴けないほととぎすであった者としての、「よくやるよ」という呆れ半分の共感が響いているのであろう。もしかすると実際友人の言うとおり、この場ではおびただしい数のほととぎすが盛んに鳴いているのかもしれないが、だとしてもこの話者が耳を澄ませば、ただそれだけで自ずと聞くべき鳴き声の数は限られてくるのだ。書くことは、このようにうやうやしく注意深く聴くことから生まれる。マンデリシュタームを読むドゥルーズも、ハイデガーを読むブランショも、そう教えてはいなかったか。

マンデリシュタームは、「時のざわめき」を聴く。

 わたしの願いは、自分のことを語るのではなく、時代のあとを辿り、時のざわめきとその芽ぶきを辿ることだ。わたしの記憶は、あらゆる個人的なものを憎む。〔中略〕繰りかえそう―わたしの記憶は、愛情ではなく、憎しみにみちており、過去を甦らすためではなく、過去を遠ざけるために働くのだ。〔中略〕そしてわたしと時代とのあいだには、時のざわめきに充たされた深淵、深い裂け目が口を開けている。それは、家族と、家庭的な古文書にあてがわれた場所だ。だがわたしの家族が、何を言いたいと願っただろう? わたしは知らない。それは生れつき舌たらずだった。だが実際には、彼らには言うべきことがあったのだ。わたしとわたしの同時代人たちの多くが、生れながらの舌たらずに苛まれている。われわれは、話すことではなく、囀ることを教わった。そして、しだいに高まりゆく時のざわめきに耳をかたむけ、その波頭の泡に白く洗われて、やっとわれわれは言葉を手にいれたのだ。(注20)

かつて評釈するドゥルーズを感嘆させ、「まことにそれは、あらゆる芸術の責務である」(注21)とまで断定せしめたこのくだりを読んでいると、そういえばほととぎすは漢字で書くと「時鳥」だったのをいまさらながら思い起こすとともに、「肱笠の 肱笠の」の中には実在する催馬楽の引用にとどまらず、作者によるそれの替え歌として、「くれなゐの くれなゐの 雨もや降らむ 郭公(しでたをさ)/笠暮れて 喉白う 膝白う 白う眠むらむ 郭公(しでたをさ)」(注22)なる、得体の知れない催馬楽もどきも出てくるという事実がつい気になってくるのだが、さすがに「時のざわめき」の白い波頭とやらをこれに引き寄せるのは牽強付会というものだろう。
一方、ブランショの『文学空間』には、こうある。

 詩は―文学は―或る言葉(パロール)に結ばれているようだ。この言葉は、中断され得ない、なぜなら、それは語ってはおらず、存在しているからだ。詩がこの言葉なのではない、詩はひとつの始まりであり、この言葉そのものは、決して始まらず、常にあらためて語り、常にくりかえし始まっている。ところで、詩人とは、この言葉を了解(entendre)した人間、その了解者、媒介者となった人間、この言葉を発言することによって、それに沈黙を課した人間だ。この言葉のうちにある時、詩は、根源に近づいている、なぜなら、すべて本源的なものは、くりかえしのあの全くの無力性、あの何ひとつ生み出すことのない長々しさ、などに耐えているのだ。そしてこの何ひとつなし得ず決して作品ではないものの過剰が、作品を破壊し、作品の中に終ることなき無為(désœuvrement)を恢復している。おそらくこの言葉は、源泉(スルス)だろう、だが、それは、手段(ルスルス)となるためには何らかの方法で涸らさねばならぬ源泉だ。詩人は、書く人間は、「創造者」は、本質的な無為から作品を表現することは出来まい。また、本源に存在するものから、己れひとりで、あの純粋な始まりの言葉を迸らせることは出来まい。だから、作品とは、それが、それを書く人と読む人との、開かれた親密性となる時、言う力と聞く力との相互否認によって激烈に拡げられた空間となるとき、はじめて作品なのである。書く人とは、終りなきもの絶えざるものを「了解(アンタンドル)」した人間だ。それを言葉として聞き(アンタンドル)、それを了解するに至り、その要請のなかに己れを保ち、そのなかに姿を消した人間だ。だがまた、この言葉をあるべきかたちで保持したためにそれを途絶えさせ、そのような休止によって、その言葉を、とらえ得るものとした人間だ、その言葉を、このような境界にしっかりと関係づけることによってそれを発言し、それに節度を課すことによって支配した人間だ。(注23)

誰によって語られたわけでもなくただただ存在するというこの「言葉」、作者というものが、まずはそれに耳を傾けることからのみ始まる執筆の営為において、結局は一つの作品という限界の中に閉じ込めざるをえず、したがって必然的に裏切らざるをえず、そしておそらく以後はそれだけになおさら忠誠を尽くすという義務が逃れがたくのしかかってくることになるはずの、この法外な無為、源泉としての「終りなきもの絶えざるもの」、ブランショはそれを、例えば自殺において、すなわち意図され、当人の手で実行されたはずの死において、にもかかわらずその意図を裏切りながら露呈せずにいない死の半面、私が決して自分に固有の体験として完了させることも、自らが責任を負うべき行為として遂行することもできない、「誰かが死ぬ(on meurt)」という事態―現働的ならざる、潜在的な、端的な「出来事」(注24)―に重ね合わせようとする(注25)。

 いわば、二重の死が、つまり、ひとつは好んで本来的と呼ばれもうひとつは非本来的と呼ばれている、死に対する二つの関連があるというリルケの主張は、哲学のなかにも反響して来たが、それは、もっぱら、死という出来事が、その秘密の空虚性を守るためにその内部に引きこもっている二重性を、言いあらわしているのだ。それは、不可避だが近づき得ず、確かだがとらえ得ぬものだ、意味を与えるものであり、否定する能力としての虚無であり、否定の力であり、それから後は人間が、存在することなく存在する決意となり、存在を投げすてる冒険となり、歴史となり、真理となる終末だ、能力の極限としての、私のもっとも本来的な可能性としての―死だ。―だがまた、それは、決して私に生ずることなき死、私がそれに対して決して然りを言い得ず、それに対して可能的な本来的関連のない死、私がある決意的受納を通してそれを支配していると思いこんでいるまさしくその時に私が逃れ去っているような死だ。なぜなら、私は、その時、死を、本質的に非本来的なもの、本質的に非本質的なものに化するものから、眼をそむけているのだ。このような観点から見ると、死は、「死に対して存在する」ことを許さない、このような関連を保ち得るような堅固さを持たぬ。それは、何者にも生じないものであり、決して生ずることなきもの、私が真面目に考え得ぬもの、の不確かさと非決定性だ、なぜなら、死は真面目なものではなく、それ自身のごまかしであり、疲弊であり、空虚な焼尽なのだ、―終りではなく、終り得ぬものであり、固有の(プロプル)死ではなく、どれでもいいような死だ、真の死ではなく、カフカが言うように「その根本的な彷徨(エルール)の嘲笑だ。」(注26)

こうして、文学とは、「終りなきもの絶えざるもの」としての死、果てしない不真面目な彷徨としての死によって、私の権能が脅かされ、危機に瀕するという、特異な聴取の過程であることになる(そして、死は完全には私の所有物でありえず、私は死に対して存在することができない、というこの主張において、ブランショはハイデガーとたもとを分かつ)。
あたかもブランショのこの洞察と共振を起こしたかのように、客観的な配置の上では間違いなく連作短篇としての『山躁賦』を終わらせているはずの作品「帰る小坂の」は、「賀名生(あのう)の谷から吉野川の岸の、五条あたりに出てきたところだ」(注27)という書き出しの時点ではさも北上の気配を漂わせておきながら、そのくせそれに続くくだりでは、ずっと北に位置する宝山寺から南下してきた山歩きの軌跡を、何のことわりもなくなぜかさかさまに―生駒山から金剛山へ、ではなく、金剛山から生駒山へ、という順序で―叙述し続けたあげく、すっかり困惑させられた読者にとどめを刺すつもりか、「生駒、葛城、金剛」の山々を後にしてきた(注28)という話者に、今度は一足飛びに、吉野山の西行庵から金峰神社、水分神社を経て北進し、吉野の麓に下るという路程、すなわちどう考えても五条(五條)の町(金剛山の南麓にある)から賀名生の谷への南下―ついで、谷から見て東にある西行庵への登り―を暗黙の前提とするはずの路程をたどらせるという離れ業を素知らぬ顔でやってのけ、このようにして時系列はおろか、本来ならさして広くもない範囲の中を歩き回る話者がそのつど身を寄せる地点の間の空間的な相互関係すらも狂わせているのだった。
その上、例のほととぎすの不吉な鳴き声、「肱笠の 肱笠の」の直後に位置する「鯖穢れる道に」では、いったんは滞在を終えたはずなのに立ち去りかねて比叡山に戻ろうとする話者を、執拗な「叫びのけはい」ないし「鳴き出しの予感」で悩ましたあげく、「これでは身がもたないぞ、耳から気が狂う、助けてくれ、幻聴でもよいから、呼んでくれないか」という悲鳴にも似た懇願に追いやり(注29)、また続く「まなく ときなく」でも、せっかく葛城山からロープウェイで麓に下りてきたばかりの話者を、立ち込める霧という環境の共通性を利用した唐突な介入によってたちまち回想の中の山頂へと連れ戻し―「葛城から同じ道をロープウェイで引き返してきたところだ。〔中略〕霧の中からも、ひときわけたたましく叫んだ。/山頂は樹林を抜けて、丸い芝山となっていた」(注30)―、しかもこの言及を転機として、前者の場合には一斉に叫喚する大勢の者のどよめき―「鯨波」(注31)―を伴う凄惨な負け戦の情景を、また後者の場合にはそれに加えて、峰々に待機する多数の分身が行者の自己同一性を攪乱するという不気味な幻想(注32)を召喚していたあの鳴き声も、とうとうこの「帰る小坂の」においては、「年寄りの寝息のかすれに似た、かぼそい喉鳴り」となって話者自身の声を知らぬ間に横領してしまうのである。

 山道でも仏像の前でも、あたりが静まると、かすかに聞えていた。
 街の中では或る晩、理由(わけ)もない、習い性みたいな焦りに取り憑かれていたとき、電車の中で長いこと、悪い息をする人間がいるものだ、とひそかに気の毒がって来たところが、会った女性にだしぬけに、風邪ですか、と顔を見られて、つかのま耳をしいんと、遠くへ澄ましたものだ。(注33)

実際には自分の喉から出ているにもかかわらずとてもそうとは思えず、他人に指摘されてようやくそのことがわかるこの声は、「肱笠の 肱笠の」の終わり近くの夢の情景における「頓狂な叫び」を引き継ぐものと考えてよい。聞くことの先行性、ひいては「私」の中に同一性を引き裂いて響き渡る「私」ならざるものの存在こそが、言葉を発するという営みにとって不可欠な条件であることは、ここに至って最終的に確認される。
なるほど、「帰る小坂の」の最後の頁、ということはつまり『山躁賦』全篇にとっての最後の頁を読めば、以下の引用文のとおり一応みごとな着地を見せているのが認められるけれども、ここで一足早く無事に下山を遂げている「男」がまたしても話者の分身であるらしいことを思うなら、その姿を山上から眺めている(そもそも人間の視力で見えるものなのか……)何者とも知れぬ話者が、いまやあからさまに「静かに狂って」とさえ書かれてしまうこの分身の発する狂気からついに自由の身となり、そして書くという行為を付き従えながらそれを果てしなき彷徨へと突き動かしてやまないあの脅迫的な声、あの「終りなきもの絶えざるもの」の誘惑に今後とも屈しないでいられるかどうかは、少しも定かでないのである。

 そのまま坂をまっすぐ駆け降り、躁ぎまくったあげくに静かに狂って、日の暮れた畑の道をどこまでもどこまでも大股の歩みで急ぐ、ぼってりと闇を吸って膨れた影をまだ慕いながら駅の構内の雑踏の中で、ふっと電話をかけるようなつもりで立ち止まり、首をことさらにかしげ、眉間に皺を寄せ、用もないふところの小銭をもそもそと探っている、男の姿がありありと山上から眺められた。(注34)

たしかに読み方によっては、「躁ぎまくったあげくに静かに狂って」から「ぼってりと闇を吸って膨れた影」までをひとまとまりと考えて「男」の身から切り離すこともできそうだし、だとすればいかにも小説の締めくくりにふさわしく、この男はそのような「影」、つまり彼にとっての分身に、名残惜しげに―「まだ慕いながら」―別れを告げるとともに、日常の世界、正気の世界への生還を企てているようでもある。しかし、「駆け降り」と同様、「静かに狂って」も「大股の歩みで急ぐ」も主語は男自身であると考えたところで一向にさしつかえないはずだし、どのみち彼が話者の分身であるらしいことを思えば、ここに引用した長い一文はむしろ、誰が狂うのか、狂う者とは誰かを確定することを不可能にし、あえて曖昧さを作り出そうと狙っているような風情さえ帯びてくる(狂気とは元来そうしたもの、つまり主語の不確定性、ないし少なくとも可変性のことではなかろうか)。特に、結局のところこの話者は単に見るだけの存在ではないことに気づくと、なおさらそう感じられる。というのも、到底現実の下山者の歩みに忠実であるとは思えぬ、すなわちそれ自体が虚構的な性格の「駆け降り」というそっけない動詞は、本来それなりに時間を要するはずの行程を強引にただ一息の内に圧縮しているというのに、「ふっと電話をかけるようなつもりで立ち止まり」以下における話者は、今度は全く対照的にも、不敵なほどにのんびりと落ち着いた動作の細部の描写にかまけてみせ、そのようにしてただ言葉にのみ可能な、緩急自在の「叙述」の呼吸で読者の感覚をいたぶる術を知っているからである。この、文字通り疾駆するかのような急激な加速と、それに続くやはり唐突な減速との狭間から、日暮れ時の畑の道を「どこまでもどこまでも大股の歩みで急ぐ」あてどない彷徨が生じてくる。そのことを念頭に置きつつ、男自身はとにもかくにも駅に到着しおおせているのだからという理由で、この彷徨の主語は、実はやはり彼の影である―と考えてみれば、一体どうなってしまうのだろう。本体から解き放たれて自由になったこの影(話者から見れば、分身の分身か)の歩みにとって、果たして終わりとか目的の名に値するものがありうるかどうか。そんなことは、問うも愚かであろう。


(1)古井由吉『山躁賦』(講談社文芸文庫、2006年)144頁。
(2)同書145頁。
(3)同上。
(4)同書147頁。
(5)同書149頁。
(6)同書151頁。
(7)同書152頁。
(8)同書152-153頁。
(9)同書154頁。
(10)同書156頁。
(11)同上。
(12)同上。
(13)これは「妹之門(いもがかど)」なる催馬楽の後半で、『新編日本古典文学全集 42 神楽歌 催馬楽 梁塵秘抄 閑吟集』(臼田甚五郎・新間進一・外村南都子・徳江元正校注・訳、小学館、2000年)155頁に載っている。
(14)もちろん、「なむ」が願望を意味する終助詞であるのに対して、「む」は推量を意味する助動詞である。なお、これが単なる不注意の結果ではなくて意図的な改変であることの証拠は、講談社文庫版『山躁賦』の巻末にある「著者から読者へ」(文庫化に際して書き下ろされたあとがきで、これ自体は「遅れて来た巡礼者」と題されている)の中に見出せる。すなわちそこでの引用を見ると、正しく「降らなむ」と書いてあるのである。
(15)古井由吉『山躁賦』(前掲書)159-160頁。
(16)同書145頁。
(17)同書144頁。
(18)同書145頁。
(19)同書160頁。
(20)マンデリシュターム『時のざわめき』(安井侑子訳、中央公論社、1976年)96-97頁。
(21)ジル・ドゥルーズ+フェリックス・ガタリ『哲学とは何か』(財津理訳、河出文庫、2012年)297頁。
(22)古井由吉『山躁賦』(前掲書)159頁。
(23)モーリス・ブランショ『文学空間』(粟津則雄・出口裕弘訳、現代思潮社、1996年第16刷)33-34頁。周知のとおり、フランス語の「アンタンドル〔entendre〕」という動詞には「聞くこと」と「了解すること」という二つの意味がある。なお、原文では「迸」のしんにょうの点が一つだったが、表示できないので二つに改めた。
(24)ジル・ドゥルーズ『意味の論理学 上』(小泉義之訳、河出文庫、2007年)263-264頁。なお、ジル・ドゥルーズ+フェリックス・ガタリ『哲学とは何か』(前掲書)263-265頁も参照のこと。
(25)モーリス・ブランショ『文学空間』(前掲書)137-140、215頁。
(26)同書216頁。引用に際して、原文中の傍点が付してある個所を太字の表記に改めた。
(27)古井由吉『山躁賦』(前掲書)197頁。
(28)同書210頁。
(29)同書174-175頁。
(30)同書192-194頁。
(31)同書176頁。
(32)同書195頁。
(33)同書206頁。ただし、「習い性みたいな」という表現には問題がある。こう書くとあたかも「習い性」という語(複合名詞)が存在するかのようだが、本来は「習い性となる」、つまり「習慣が天性同然になる」という意味の慣用句であり、したがって「習い、性となる」と区切って読むべきものである(「習い」と「性」が結合して「習い性」という概念を作っているわけではない)。「い」一文字を省き、単に「習性みたいな」と書けばよかったのではないか。
(34)同書215頁。
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