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つじこの

一応、本とかの批評のつもり。趣味的な備忘録

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SAZ『好色豊蘭』 

あまり気が進まないが、あくまでも個人的な心覚えの延長として筆を執る。
日本のエロ漫画が空前の最盛期を謳歌したのは、2008年から2012年にかけてだったのではないか。
試みに、いま私の手元にある単行本で掛け値なしにすごいと感じるものの発行年を列挙すると、DISTANCEの『美~ちく♥』と鳴子ハナハルの『少女マテリアル』といけださくらの『むにちち』が2008年、井ノ本リカ子の『SHY GIRL』とみやもとゆうの『えむ・かの』が2009年、高津の『それは歴史にカかないでっ!』と岡田コウの『チュー学生日記』と犬星の『おにいちゃんが、すき。』ととうろたんの『Newmanoid CAM Vol.2』と睦茸の『あまみドコロ』と佐々原憂樹の『おひさまの匂いのする少女。』とアシオミマサトの『DREAM CHANNEL』と鈴木狂太郎の『魔法教えました!!』と藤ますの『Sweet Lip』が2010年、いぬぶろの『はたらく! おねえさん』と赤月みゅうとの『少女×少女×少女』と稍日向の『ぬこ巫女タン』が2011年、エレクトさわるの『PANDRA―白き欲望 黒の希望―II』とDr.Pの『僕んちのミカゲさん』とらんちの『コイナカ―恋膣―』が2012年…という具合で、2010年を中心としてその前後の年に二、三冊ずつ傑作が分散している。
では、それ以降はどうなのかといえば、なかなか「これは」という作品に出会えないのだ。井ノ本リカ子、アシオミマサト、赤月みゅうとらは旺盛な活躍が続いているものの、絵柄に生じた平板化や簡略化の結果立体感や柔らかさが減ったような印象を受けるし、睦茸の絵も丁寧さの獲得と引き換えに大胆な様式化の魅力が薄れたように感じる。また藤ます、ましてやらんちは次の単行本が出るとしてもまだ先のことだろうし、犬星の『月見荘のあかり』(2012年)は個人的に苦手なトイレの場面があったのがつらい。
正直、自分は漫画家でも編集者でもない身でこんな厚かましい意見を吐くのは心苦しいものがあるし、HisasiやホムンクルスやHamaoやモチや滑空のようなもう少し新しい世代の人たちの作品もそれぞれ大変魅力的だとは思うのだけれど、2010年ころの状況と比べると、総じて昨年あたりから今年にかけて出たエロ漫画に対しては、エロ漫画の創作にとって基本中の基本であるはずの作画上の要諦、すなわち、全体を貫く自然な勢いから生じる流麗さと統一感があり、それでいてうんと煽情的な迫力に満ちた肢体・動作・表情の三位一体という点で、物足りなさを覚える機会が増えたように思えてならない。のみならず、そもそも性愛の体験を個人の心身に襲いかかる一種の無理難題として描き出すことを通じて、神経を焼き切らんばかりの快楽の禍々しい強度を実感させてくれる作品の割合にしてからが、次第に縮小しつつあるのではないか(むろん、強姦やSMをはじめとする客観的に見て過激な性行為の数々も、同時にいわば対旋律としてそれを体験する当事者の側の主観的な反応が十分繊細に描き尽くされるのでないかぎり、いくら沢山出てきたところで実存を揺るがす無理難題としては力不足なものにとどまるほかない)。
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こうした中にあって、みやもとゆうの『完全服従カノジョ。』(マックス)が単にこの作者の現時点での最高傑作であるばかりか、一見粗そうだがその実巧みに人体の構造の勘所を押えている上、恥じらいや陶酔の表情が生気に満ちていてすこぶるみごとな絵柄の間に適宜克明な写実的描写を混ぜつつ―特に男女の性器の卑猥さはすばらしく、道具に頼りがちだった前作『恋人調教計画進行中♥』とはだいぶ趣が異なる―、極上の甘味と対照的にえぐい行為の数々とを寸分の無駄もなく両立させた奇蹟の一冊として、棺桶の中にまで持って行きたいような高度の達成をみせていること、またDr.Pが初のライトエロ単行本(区分上は成年向けでない)となる『ももいろデイドリーム』(竹書房)で、再読・三読に堪える奥ゆかしくも小粋な誘惑の諸相の内にほどよく偏向した女の子たちの個性と隠微なフェティシズムとを破綻なく盛り込むのに成功していること(注1)、この二つは2013年の最も嬉しい収穫だった。とはいえ、遺憾ながらどちらの作品についても、それほど巷で話題になったという記憶はない。無望菜志の『コミックゼロス』連載作品(『NTR2』)がいわば触手なき触手ものとして思いがけぬほどの読み応えをもたらしてくれたり(注2)、高津や岡田コウやひげなむちやDISTANCEの安定した活躍に加えてこんちきが割と私好みの賑やかで溌剌とした漫画を描いてくれたりといったことはあるものの、エレクトさわるの『神曲のグリモワール』は『PANDRA』に比べれば若干おとなしめだし、いとうえいの『変質フェティシズム』は性器にかけられたモザイクがどうにもなじめず、また『断裁分離のクライムエッジ』のアニメ化はもちろんおめでたいとはいえ、その一方でエロ漫画家緋鍵龍彦の復活を鶴首する気持ちも感じなかったとは断定できないのである。それやこれやでやはり全体的な傾向としては、昨年から今年にかけてのエロ漫画界はもう少し積極的な意味での波乱が欲しかったという感が否めない。

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となれば、いきおいどうしてもエロ同人誌を手に取る機会が多くなるというものだ。2013年の同人誌事情を振り返って印象に残る作品は多々あれど、強引に絞るなら、サークル「ドウガネブイブイ」(あぶりだしざくろ)の『祈りの虹』(第十回博麗神社例大祭)、サークル「L.L.MILK」(すめらぎ琥珀)の『いただきます、あずささん。』(C84)、サークル「Ash wing」(まくろ)の『BF III』(C85)が特に忘れがたい。「ドウガネブイブイ」の同人誌はいつもながら題名と内容の関係が定かでないのが妙だが、怪しさ満点の表紙を見ただけで尋常ならざる凄味が伝わってくる。こんなに力のこもった淫靡な絵を描いてしまって寿命が縮まないかどうか、他人事ながら心配になるほどだ。強弱のあまりない極細の線で輪郭が几帳面に縁どられているゆえ躍動感は少ないが、その点を自覚してかどうか、毎回練りに練った構図で緊縛かそれに近い状況を設け、あえて女性の動きに不自然でない制限を課するあたり、作者の知性はあなどりがたい。また、肥満気味の男性たちが女体を蹂躙する存在感を発揮しつつも必要以上に出しゃばらず、どうしても顔を省略できない場合は無個性な美青年として描かれているのもありがたい(注3)。対して『いただきます、あずささん。』は明るい雰囲気で、あどけなくて可愛い旦那(Pさん)を目一杯甘やかしつつもへとへとになるまでしつこく責められてしまうという成行きがたまらない。同じサークルの同人誌に出てくる美希のように終始好戦的に男性を翻弄するわけではないのが、二人の性格が違う以上当然といえば当然なのだがよくできている。サークル「Ash wing」の『BF III』は男娼館が舞台であり、夏(C84)の本よりも登場人物の体型が大人びている分、すらりとした上半身の曲線美が堪能できる。やはり美少年の魅力はお尻もさることながら胴体の色気が要であると認識させてくれる秀作で、もともと達者なサークルだったのが最近ではこの点でますます前人未踏の領域に入り込みつつあるようだ。欲望のままに激しくお互いの身体を貪りあう好色な美少年たちは、人類の至宝である(本音)。このほか、「伊東ライフ」(中の人も同名)、「嘘つき屋」(大嘘)、「Candy Pop」(いとうえい)、「不可不可」(関谷あさみ)、「せみもぐら」(由家)、「絶対少女」(RAITA)、「乙女気分」(三色網戸。)などのサークルも大変よかった。
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そしてもう一点、どうしても逸するわけにいかないのが、サークル「SAZ」のsobaさんによる『好色豊蘭』である。『とある科学の超電磁砲』の食蜂操祈本ということで、アニメの放送に合わせて夏(C84)に出てもおかしくなかったはずのところ冬(C85)の発行となったこの一冊、いわば満を持して意図的にそうしたのかどうかはいざ知らず、思わずそう評したくなるほどの充実を誇っているのは事実だ。以前、『天草模様なEX%』の巻頭を飾る書き下ろし漫画に出てきた「押しつけ」の試みを彩りも鮮やかに発展させたかのような表紙の強烈さからも明らかなように、もとより絵に関しては手抜かりがあろうはずもない。実は、夏に出た『奇蹟の跡に薫る』(C84)については、画面から新旧の絵柄が混在しているような印象を受け、従来『天草模様な…』で積み重ねてきた上条当麻とねーちんこと神裂火織との関係を一度白紙に戻してしまおうという意図がうかがえる内容ともあいまって対応に戸惑ったのだが、この『好色豊蘭』ではその種の当惑を呼ぶような要素は見当たらず、絵柄は原典(小説の挿絵、公式漫画版、アニメ等)への忠実性・写実性・漫画らしい様式性・猥褻性・美を五つともことごとく兼ね備えながら、しかも他の誰でもないsobaさんの絵として完成されている。どの頁のどのコマも、丁寧に見ていけばきりがないが、とりわけ驚かされたのは、例の瞳の中の星のせいでどんな表情をしても不真面目に見えかねない食蜂に、人間的な親しみやすさを持たせるべく目を細めて微笑ませるという手法であり―これに関しては公式漫画版『とある科学の超電磁砲』に先例があるのでsobaさんの独創ではなさそうだが(『月刊コミック電撃大王』2013年10月号)、目ざとくそこに着目して自作の同人誌の中で再現してしまう才気はやはり只者ではない―、そしてもう一つは、単に胸とお尻が大きいだけではなくて全身にまんべんなく肉がついた、いかにも健康な中学生らしい彼女の体型である。小学生や高校生、あるいはそれ以上の年齢の女性の裸体をそれらしく描くのが上手な人なら少なくないが、肉感的な中学生を中学生らしく描くためにはもう少し繊細な感覚が必要になってくるはずだ。世の中に食蜂操祈の登場する同人誌は数あれど、体型に関して心底納得がいくものとなると、やはりこの『好色豊蘭』にまず指を屈する。
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※不意打ちの笑顔(左図)と、肉付きがよすぎて心もち寸詰まり気味の胴体(右図)

他方で、これほど絵の完成度が傑出していれば、相対的にそれ以外の要素はともすれば置いてけぼりを食うような形になる。筋書の組立てにしてもギャグにしても、決してそれ自体としてずさんなわけではないのだが、絵柄との関係の中ではどうしても軽すぎて均衡を失しているように思えてくるのだ。もちろん、エロ同人誌の山場は性交の場面に決まっているのだし、そもそも性交の描写という修行こそがこれほど高度な絵の完成を促した一番の原因にほかならぬ以上、この場合はこういう不均衡も何ら問題として難詰したくなるような性質のものではない。天下の奇観としてひたすら感心するというのが、たぶん正しい読者の態度であろう。思うにそれは、鍛え抜いた自作を手にした刀鍛冶が、さてこの名刀で一体どんな恐ろしいことをするつもりなのかと固唾を呑んで見守る人々の緊張を後目に、あに図らんや手作りのケーキを嬉々として切り分け、気前よく振る舞ってくれる場に居合わせたときの気分にも近いのではないか(もちろん、私自身はそんなおかしな情景を目撃したためしはないが)。
何より、私見では余人をもって代えがたい持ち味をsobaさんの漫画にもたらしている最大の要因にほかならぬ、全篇にくまなく行き渡ったヒューモア(諧謔)の雰囲気が貴重である。これあればこそ、筋書やギャグに少々不十分なところがあっても我々は大して気にならないのだ。たとえ『柳生振感』(COMIC1☆7)のように陰惨なはずの内容であっても、この人の漫画には必ずよい意味で読者の脱力を誘うような、どこかとぼけた味がある。さすが個人サイトに"Laugh Maker"と名づけているだけのことはあるというべきか、こんなにニコニコと笑いながら幸福な気持ちで読めるエロ同人誌などそうそうあるものではない。大体、性行為というものには、当事者たちがいくら真剣に熱中していようとも、いやそうであればあるほどなおさら、客観的に見れば何ほどかの滑稽さがつきものだ。この二重性に気づかせてくれる虚構作品の数は決して多くないし、エロ同人誌ともなればなおさら稀である。私がsobaさんのことを、人性の真理に我々の目を開かせてくれるエロ同人界屈指の知性派と呼びたくなるのは、それが理由だ。
このたび『好色豊蘭』を読み返している最中、だしぬけに、まるでどの登場人物も狸が化けているかのような錯覚が私を襲った。たしか『たぬみみ・もざいく』という題の作品(『魔法少女リリカルなのは』の八神はやて本)も以前出ていたはずだから、それを思えばこの連想はあながち突飛でもあるまい。というよりも、設定上は明らかに狐であるはずのユキカゼ・パネトーネ(『DOG DAYS』)のような人物ですら、sobaさんの手にかかるとやはり狸に見えて仕方がないのだ。食蜂操祈にしても、金髪や狡猾な性格からして動物に例えるなら本来狐に近いはずである。それが、ハムスターかはたまた子猫か、いずれにしても狐からはほど遠い御坂美琴ともども狸のように見えてくるというのは、どうでもよい事情のようでいて意外とsobaさんの創作活動の核心に通じているのではないか。要は、自分が描く登場人物たちに、どんなに些細なものであろうと本格的な邪悪さや不和の種が影を落とすことに、この人は耐えられないのであろう。欺瞞や騙しの類は、頭から排除されるわけではないにせよ、決して最後まで貫徹されるには至らない、というわけだ(実際、策略を弄して美琴よりも先に当麻を捕まえ、自ら彼女に仕掛けた勝負を制した食蜂は、しかしそれ以上は何ら陰謀らしいことをするわけでもなく、ただただ愛する彼との性行為に無我夢中で没頭するのみである。この拍子抜けするような一途さが、精緻な絵柄との対照でなんとも微笑ましい)。何たる潔癖な、底抜けの善良さであることか。小説家であればとてもそれではやっていけないはずだが、エロ漫画家は勝手が違うのだから、気が変わるまでは是非ともこの朗らかな藝風を貫いてもらいたいものだ。確固たる意志の力と繊細この上ない技術的な配慮の積み重ねとが初めて可能にする平和の楽園というものは、創造の秘密に無関心な部外者が想像するほど安易でも、ましてや退屈でもない。そういえば先に言及したみやもとゆうやDr.Pの漫画も、本質的な意味で悪の存在する余地がないという点では同様である。身の程知らずにも日本のエロ漫画の未来を憂えるような調子で書き始めたときの気分はどこへやら、私はもう、こういう人たちの作品が現に存在しているという揺るぎない事実のありがたみにいまさらながら気づいて、ただただ呆然としている。
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※美琴(左図)といいユキカゼ(右図)といい、sobaさんの絵柄を経由するとなぜこうも狸じみてくるのか…

苦言というほど大したものではないが、最後に二点だけ、それでも『好色豊蘭』の読後に気になったことを申し添えておくと、第一に陰茎と亀頭に同質のトーンを貼るのは、みやもとゆうもしていることで最近の流行なのかもしれないが、両者の色合いが全く同じというわけではない以上不可解な処置である。第二に、乳房への執着が表紙から予想されるよりも控えめで、あまり顕著でない。やはり姉かそれに準じる年上の女性が相手でないと遠慮が邪魔をして、心置きなく甘えまくるような状況を作りにくいということか。だが、『奇蹟の跡に薫る』からも同様の傾向がうかがえるのは、一体どうしたわけだろう。以前、偉そうに「需要がある以上当然とはいえともすれば乳房を偏重しがちだった女体の描写」(SAZ『柳生振感』)などと書いた身としては、いかにも手のひらを返すようではなはだ恐縮なのだが、この点については、やはり一つの焦点として乳房なら乳房という局所的な対象への明確な執着が作中に存在したほうが、漫画として形が整いやすいように思う。もちろん、商業誌ならばまだしも同人誌の場合にどんな作品にするかは作者の勝手で、読者の側からとやかく注文をつけられる筋合いではないのだが…もしかしてsobaさんは、自作の漫画の中でさんざんおっぱいをいじりすぎたせいで、とうとうことさら揉んだり吸ったり挟ませたり(何を?)しなくても、張りがあって柔らかそうな極上の乳を描くだけで満足できてしまう仙人のような境地に達したのだろうか。突飛な想像だが、そう考えるとまたしても笑いがこみあげてくるのが抑えられない。これが人徳というものか。


(1)ただし、普通のエロ漫画の描き方をまだ引きずっているような構図が随所に見つかるのは、ご愛嬌というものかもしれないが改善の余地があると思う。いくら女性の登場人物が挑発的に股間を開いてみせたところで、結局ライトエロ漫画では「その部分」は完全な空白(白塗り)として印刷されてしまうのだから、性的な魅力と無縁である以前に、そもそも人体の視覚的印象として著しく不自然になるほかない。ZUKI樹あたりを参考に、挿入後に男性が腰を振る動作を長めに描くなどして、極力性器の描写に頼らないで済む性交の表現を模索してはどうだろうか。
(2)かねて私は、日日日の『のばらセックス』(講談社、2011年)を漫画化するなら第II章「ずっと薔薇色のわけがない」の適任者は鈴木狂太郎だと思っていたが、この作品から察するに無望菜志にお願いしても面白くなりそうな気がする。
(3)あくまで私個人の勝手な価値観だが、男性の登場人物が醜すぎる、ないし醜さがあまりに目立つエロ漫画は好みでない。ただし、この場合の醜さとは、どの読者の目にも見苦しく映ることを作者が意図したと思しい、もっぱら容姿に関わる度外れなそれを指す。したがって、なにも絶世の美男子以外は見たくないという狭量なわがままでもないし(それはそれで肩がこる)、また、例えば月吉ヒロキの『独蛾』(茜新社、2008年)のような、とりたてて醜悪な容姿の人物は登場しないにもかかわらず、男性の性欲の「汚らわしさ」の表現に成功している毒々しい作風については、むしろ大歓迎である。

(4月24日の追記)今日書店を覗くと、藤ますの単行本『君がため心化粧』(ワニマガジン社)が並んでいた。したがって、まだしばらくは出そうにないという私の適当な予想は―ありがたいことに―もののみごとに外れたわけである。
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