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つじこの

一応、本とかの批評のつもり。趣味的な備忘録

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後藤明生『スケープゴート』 

後藤明生(1932-1999)は、並外れて方法論というものに意識的な作家だった。
小説は先行する文学作品の模倣、ひいてはそれへの批評から、決して単一の中心へと収斂することがなく、逆にとめどなく脱中心化を続ける楕円として生成してくるということ、その中では本来何人の立場・観点も他者との関係を通じた相対化を免れることはありえず、とりわけ喜劇的な「笑い」の現象においてそれが顕在化するということ、ロシアと日本の近代文学がともにその出発点において胚胎せざるをえなかった雑種性ないし「分裂=混血」の状態を積極的に再評価すること、これらはみな、後藤が飽くことなく何度も書いたり、話したりしてきたことである。それゆえ自ずと彼の作品においては、筋書を形作る出来事はしばしば自然な因果の連鎖に従わず、「とつぜん」かつ「アミダクジ式」に突発する脱線から生じてこなくてはならないのだし、それを綴る散文も、基本的には内面性の深化とも抒情的な美の追求とも無縁な、というよりもむしろそれらをあえて拒絶するような、まさしく散文的としか呼びようのない妙に乾いた即物性を帯びることになる。
ただ、こういう小説は要約して意味や教訓を抽出するという作業がしにくい以上、割と批評家泣かせのような気がする(没後何十年も経ったわけではないのに、図書館か古本屋で探さないとまとまった形で後藤の作品を読むのが難しいのは、それと関係があるのかどうか)。1990年に日本文芸社から出た『スケープゴート』という短篇集も、太宰治と東北にちなんだ作品が巻頭から三つ続いたかと思えば(「サイギサイギ」、「変形」、「子供地蔵」)、やはり太宰絡みではあるものの東北から離れた表題作「スケープゴート」を挟み、あとは一見脈絡のなさそうなものがやはり三つ並んでいる(「ジャムの空壜」、「XYZへの手紙」、「禁煙問答」)という具合で、いかにもつかみどころがない。
その中で個人的に忘れがたいのは、第一作「サイギサイギ」と同じく、津軽にいるという従姉のS子に宛てて「ぼく」が書いた手紙という体裁の、第二作「変形」である。無理を承知で強引に要約してしまえば、太宰治の紀行文風の小説『津軽』(1944年)―「昭和の津軽風土記(ふどき)」(注1)を書くべく久しぶりに故郷を訪ね、あちこち旅したときの体験がもとになっている―についての、後藤流の批評ということでこのわずか20頁ほどの作品の内容は尽きている。だが、全体の約半分が徹夜明けでうぐいすの啼き声を聞いただの、近所にある遊園地の観覧車だの、某省の下級官舎だの新開住宅街だの、果ては脱稿からゲラ刷りができるまでの経緯についての、職業作家にしてはやけに頼りないあやふやな説明だのといった一見身辺雑記風の記述で占められるとなると、これは尋常ではない。とりわけ、それ自体の様子が「ちょっとした迷路」を思わせる下級官舎の長屋は、「左へ左へとアミダクジ式に折れてゆく」者を「どれもこれもそっくり似ているようで、どこかしら少しずつ違う」家々がひしめく、つまりこれまた迷路じみた新開住宅地へと連れて行くという文章に至って、読む者はここに後藤的な散文の原理そのものへの(かなり露骨な)暗示を感じずにはいられまい(注2)。もちろん、この場合迷路を描写する(迷路に言及する)こと以上に大切なのは、叙述それ自体を入り組んだ迷路に仕立てて、その中で行き先のわからない読者を途方に暮れさせてしまうことであり、この点で例えばアラン・ロブ‐グリエの『迷路』との比較が可能かどうか多少気になるところである。
とはいえ、話者である「ぼく」の無邪気な饒舌は、表向きはそのような人為性を狙っているそぶりもなく、ごく自然な風情でするすると前へ進んでいく。このうわべの自然さが、実は相当な曲者なのだ。それは、それまではまがりなりにも手紙らしい外見から大きく逸脱することはなかった文章の運びに、さりげなく転機を導入するように働くからである。

 ところで津軽では、まだこんな住宅街は見当りませんか? え? 何? ははあ、わかりました。そんなことより、何かもっと他に重大なことがあるのではないか、というのでしょう? 実はぼくも、そろそろそんな気がしかかっていたところでした。いや、嘘じゃありません。こういうことは、よくわかるものなのです。自分でいうのだから、間違いありません。(注3)

ここにおいて話者の筆致が、名宛人との親密さをよいことに、いきなり目前の相手に語りかける口頭の会話のような調子に変じているのがわかる。ひとたびこのいかがわしさに我々が気づけば、ぬけぬけと読み手の返事を横取りする「そんなことより」云々という文章もたちまちそれに感染し、むしろいかがわしさを増幅する一方であろう。同様に、直後の箇所で、手書きの文字に宿る生命の刻印(それはちょうど、会話における個性的な声や表情に相当する)を抹殺せずにはおかない活字というものに「戦争」を挑む決意を表明し、「消された文字=声=表情というものを、何か別の形、別の方法で復活させなければならない」と主張する「ぼく」のまたしても無邪気な意気込みもやはり、肝心の手書き原稿が活字になるまでのいわば物質的な過程についてのどうしようもない無知ゆえに―「もっとも、いまはすでに、活字は鉛ではなくなりました。と、何だか知ったかぶりで書きましたが、実はそれがどうもよくわからない。本当にさっぱりわからなくなっています」(注4)―、足場を失って宙に浮き、どこにも行き着くことができないまま空回りすることを強いられているようだ。あるいは「ぼく」の主張には、作者である後藤本人の意見が何ほどかは反映しているのかもしれないが、このようにかなり戯画的な相対化を受けている以上、我々読者としても到底素直に賛同することはできないし、すべきでもない。
だが、それではこの話者は単に作者の手で操られるだけの気の毒な道化なのかといえば、必ずしもそうでないあたりが興味深い。大体、この「変形」に続く、やはり書簡体の短篇である「子供地蔵」の名宛人とどうやら同一人物らしい、第四作「スケープゴート」の中で「君」と呼びかけられる相手に対して、この「ぼく」は、「そもそもこの手紙自体が、誰に頼まれたわけでもなく、勝手にぼくが書きはじめ、勝手に続きを書いているに過ぎない」(注5)などとずいぶん思い切りよく内幕を暴露しているのだ。換言すれば、目下自分が書きつつあるものが直筆のまま読み手の目に触れる書簡ではなくて、あくまでも書簡体の小説であることの認識からそう遠からぬところに話者はいるわけで、そうなるとますます、活字のせいで「消された文字=声=表情というもの」の回復とやらに賭ける意気込みがどこまで本気なのか怪しくなってくる。
少なくとも、他の誰とも違う天与の純一な個性と自らが信じるものを自分の中から見つけ出し、そしてその存在をただ周囲に訴えさえすればよいという素朴さをそれが伴っていないのは確実である。なんとなれば、「変形」の白眉は後半を占める『津軽』の批評であり、わけても小説を書くという営みを通じて太宰が不可避的に獲得せざるをえなかった視点、すなわち故郷を外から眺める視点が、自ずと彼を生のままの津軽人とは異なる生き物に変えてしまうことを見抜いた以下のくだりだからだ。なお、K氏とは新潮文庫版『津軽』の解説者である亀井勝一郎のことだろう。

「第二節蟹田の『Sさん』の饗応ぶりは、そのまま太宰の姿だと云ってよい」と解説者K氏はいう。また「太宰の交際ぶりがそうであった」ともいう。事実、K氏は太宰と親交のあった批評家である。しかし果して、太宰=Sさん=津軽人だろうか? あるいは、太宰=N君(太宰と中学同窓で、蟹田から龍飛(たっぴ)岬まで太宰と弥次喜多道中する精米所主人)=津軽人だろうか?
 いや、いや、どうもそう簡単には思われない。太宰はすでに、SさんでもなければN君でもない。これはもちろん、同語反覆をしているのではない。つまり、太宰、Sさん、N君三人としての比較ではない。そうではなくて、津軽人としての比較である。早い話、太宰はすでに津軽人Sさんを眺めているではないか、また、すでに津軽人N君を眺めているではないか、という意味である。そして太宰は、Sさんを書き、N君を書いた。そしてそれがいかに見事な津軽人の肖像であったかはすでに書いた通りであるが、果して津軽人が津軽人を眺めるであろうか? ましてや、書けば、それでもうオシマイなのである。(注6)

この犀利な批評眼は、とても前半で卑近な事物の身辺雑記に没頭していた話者と同じ人物によるものとは思えない。ということはつまり、津軽人にして津軽人ならざる作家太宰治の分裂について考え、書く、その話者(「ぼく」)自身が分裂しているのだ。そして、それこそは作者である後藤の計算が然らしめた結果なのだろう。もちろん、以下の引用文を読めば誰しも納得がいくように、前半から後半への転換は不自然さを目立たせることなく上手に処理されていて、何気なく読んでいればうっかり素通りしてしまいそうである。

 これはずいぶん珍しいことです。いや、このハイツに越して来て八年ですが、はじめてではないだろうか? 鳥の声といえばこの辺では鳩(これはずいぶん群がってます)か、せいぜい雀くらいです。それに、梅の木も見当りません。いや、待てよ、一本か二本はこのハイツの中にもあるのかも知れませんが、とにかく、うぐいすの啼き声ははじめてです。それにしても、本当にホーホケキョと啼くんですね、うぐいすというのは! え? 何? いや、もちろん、うぐいすの啼き声をきくために早起きしたのではありません。徹夜です。そして、ついでに白状しますが、実は『津軽』を読んでいました。そして、それをわざわざ白状するのは、ぼくが『津軽』を読み返したのは、他ならぬこの手紙を書くためだったからです。それにしても、ずいぶん長いものだったんだなあ、これは。前に読んだときのことは忘れましたが、こんなに長いものだとは思わなかった。(注7)

とはいえ、ここにきてまたしても文体が遂げる、手紙の本分を忘れた会話風の調子への急変もさることながら―「え? 何?」というのは先の引用文にもあったが、手紙のつもりでこの作品の文章をたどってきた注意深い読者なら、この二度目の不意打ちに今度こそ面食らって、苦笑交じりに「え? 何?」と尋ねたいのはこちらのほうだ、くらいの軽口を叩きたくなったとしてもおかしくないし、他方でそれと同時に、そのような自分の反応をあらかじめ本文に先取りされてしまっているという事態に、かすかな居心地の悪さというか不気味さをも覚えるのではないか―、一応本題であるはずの『津軽』批評がこうも遅れて、まるでことのついでのように脱線的な調子で始まるのは、考えてみればなんとも奇怪な、人を食った話ではあるまいか。それにしても、言うに事欠いて文字通り「ついでに白状しますが」とは…このそらとぼけの大胆さ、ふてぶてしさには、息を呑んで恐れ入るほかない。
おそらく、そのようにして劇的な迫力や深刻ぶった大仰さへの用心深い警戒を怠ることなく、気がつけばいつの間にやら話者と太宰が並行的に得体の知れない何かに変身しおおせているというところに、まさしく「変形」なる題名をつけられたこの短篇の真骨頂があるのだ。それこそは、始まり(起源)も終わり(目的)も知らず、もっぱら中間(milieu)でのみ突発してはあらぬ方向に逸脱していくというドゥルーズ的な生成変化(devenir)の過程の、文学における好例ではないか。

生成変化の線は、それが結びつける複数の点によっても、またそれを構成する複数の点によっても規定されない。生成変化の線は、点と点のあいだをすりぬけ、中間でのみ芽を吹くばかりか、最初に識別された点に対しては垂直方向に、隣接する点や離れた点のあいだに局限されうる関係に対してはこれを横断する方向に疾走するのだ。点は常に起源である。ところが生成変化の線には始まりも終わりもなく、出発も到着も、また起源も目的もない。〔中略〕生成変化の線には〈中間〉があるのみだ。〈中間〉とは平均値ではなくクイックモーションであり、運動の絶対速度だ。生成変化は常に〈中間〉にあり、これをとらえるには〈中間〉をおさえるしかない。生成変化は一でも二でもなく、一と二の関係でもなく、二つの〈あいだ〉であり、二つのものに対して垂直をなす境界、あるいは逃走や転落の線である。(注8)

実際、徹夜であれこれ調べながら『津軽』を読み返していたという「ぼく」は、太宰があからさまに故郷との別離を嘆き、感傷的な憧憬の念に浸ろうとするくだりに対しては「これではまるで餡入りの室生犀星です」・「ここのところは『津軽』の中で最悪の部分だと思います」(注9)と酷評する一方で、津軽半島の最北端にある龍飛の小部落に太宰と同行のN君が足を踏み入れる場面については、「太宰ガリバー」への唐突な変身を絶賛しているのだ。

 しかし、です。あのN君と一緒に、海岸の強い風に吹きまくられながら龍飛(たっぴ)にたどり着くところ、あそこはうまいなあ。いや、実際、これが先の「餡入り室生犀星」と同一人の文章だとは信じられないくらいです。嘘だと思うなら、もう一度読み直してご覧なさい。いや、やっぱり太宰の実力は大したもんです。実はちょっと引用(新潮文庫の九十三ページの終りあたりから九十五ページの終りあたりまで)しようかと思いましたが、止めて置きます。もちろん、あんな文章と比較されたのではこちらがたまらないからですが、それにしても龍飛の部落を「鶏小屋」と間違えたというのには、オソレ入ったなあ! この式でゆくと、先に書いた某省下級官舎なんか、さしずめ(どこかの外国人じゃありませんが)「兎小屋」か、せいぜい「犬小屋」というところでしょうが、しかし、津軽半島極北の海に、いまにも転げ落ちそうな恰好でへばりついている小部落に足を踏み込んだ瞬間の、太宰のおどろきは、目に見えるようです。実際、ゲートルを巻いた太宰の大足が、いきなりぬうっと目の前にぶらさがって来たような気がしました。つまり、「餡入り室生犀星」からとつぜん「太宰ガリバー」への変貌です。(注10)

注目すべきは、先の酷評に際しては対象とする文章を『津軽』から五行ばかり具体的に引用していた(注11)話者が、今度はそれをしていないということだ。もちろん、「あんな文章と比較されたのではこちらがたまらないから」とあるように、表向きの理由は太宰の名文に対する畏怖なのだし、ほかにも、そこそこ長くて分量があるので引用に適さないとか、「変形」の読者各位に自ら『津軽』を手に取ってくだんの名文を賞味する楽しみを残しておきたいとか、いろいろと附随的な理由を想像することは可能だろう。ただそれでも、ここ以外では宇野浩二かはたまたニコライ・ゴーゴリか、ともかく饒舌すぎるほど饒舌な流儀で息つく間もなく言葉を吐き出してきた話者が、ここにきて急に節約に走っているのは面妖であり、いささか気にかかる。この疑問は、話者の関心がもっぱら変身ないし変形という瞬間的な出来事に集中していて、誰が何から何に変わるのかという点にはさほど重きを置いていないし、かつそのような無頓着さという姿勢に読者をも知らず知らずのうちに巻き込もうとしていると考えるとき、ようやくいくらか氷解するように思えるのだ。小説作品としての「変形」は、そのとき、たしかに太宰治作『津軽』という起源から派生しつつ、矢印か道路標識のごとくそちらの方角を指すことに終始しているはずなのに、その一方で参照先の素性に関してはほとんど白紙に近い情報しか教えてくれないという底意地の悪い不均衡によって、虚構的な性格の不思議な自律性ないし無償性を獲得する。それはあたかも、『津軽』の話者が描く、龍飛の手前で見た風景ならざる風景、全く人の気配のしない非人間的な荒涼たる海岸のように、我々を当惑させてやまない。

 二時間ほど歩いた頃から、あたりの風景は何だか異様に凄(すご)くなって来た。凄愴(せいそう)とでもいう感じである。それは、もはや、風景でなかった。風景というものは、永い年月、いろんな人から眺められ形容せられ、謂(い)わば、人間の眼で舐(な)められて軟化し、人間に飼われてなついてしまって、高さ三十五丈の華厳(けごん)の滝にでも、やっぱり檻(おり)の中の猛獣のような、人くさい匂(にお)いが幽(かす)かに感ぜられる。昔から絵にかかれ歌によまれ俳句に吟ぜられた名所難所には、すべて例外なく、人間の表情が発見せられるものだが、この本州北端の海岸は、てんで、風景にも何も、なってやしない。〔中略〕絵にも歌にもなりやしない。ただ岩石と、水である。(注12)

なるほど、「絵にも歌にもなりやしない」このどうしようもない散文性は、それでも『津軽』においては、人間の侵入を拒む自然の酷薄さという、まだしも理解可能な文脈の中に辛うじてとどまっているが、『津軽』の模倣と批評として生成してきた後藤明生の「変形」においては、そのような抜け道はもはやない。「ぼく」の手で短冊状に切ったトレーシングペーパー、ついでそれが尽きた後はなんと細かくちぎった文庫本そのもののカバーをこれでもかとばかりに詰め込まれた『津軽』は、非人間性、もとい非文学性としての物質性のこの過剰な逆流の結果として、文庫本ならざるものへと無残に「変形」してしまうのだ。もちろん、「ぼく」としてはなにも本の形態の破壊が狙いではなくて、あとで再び参照するための心覚えとして挟み込んだわけだが、本人が自分から認めているように―「これでは夜が明けるのも当然でしょう。ま、お蔭でホーホケキョがきけたわけですが、われながら実にバカなことをしたものです。何故なら、余り挟み過ぎて、どこが何だかわからなくなってしまったからです。頭の悪い中学生が、参考書の全部に赤線を引くようなものです」(注13)―、記憶を助けるという当初の意図は、逆説的にも、まんべんなく遂行された作業の徹底性それ自体を通じて結局袋小路にさまよい込み、ただ本の物質的な厚みを増やしただけで終わっている。

 左様、そのカバーをむしっては挟み、むしっては挟みしたところの文庫本です。その結果、どこが何であるのかわからなくなってしまった文庫本です。繰返しますが、どうぞこの間抜けな従弟の愚行を笑って下さい! 実際この文庫本は(いまぼくは、そいつを左手に持ってこれを書いていますが)、もはや文庫本ではない。これは、あなたの間抜けな従弟の(一晩がかりの)愚行をぎゅうぎゅう詰めにされて(見れば見るほど)奇怪な形にふくれ上ったところのナニモノか、なのであります。(注14)

この、入念な注釈よろしくほとんど全ての頁に介入しているらしい無数の紙片は、その由来からすれば文庫本『津軽』にとって決して無縁ではなく、むしろある意味ではこの文庫本そのもの(カバー)であり、おまけに注釈と同じく『津軽』の内容についての読解を助けてくれるはずだったのであるが、にもかかわらず、実際には何ら読解に役立たない無用の長物(いわば注釈の偽物)でしかないばかりか、もっぱら挿入されることで本を異形の物体―「(見れば見るほど)奇怪な形にふくれ上ったところのナニモノか」―に変えてしまう異物としてのみ作用している。これが、結局のところ「変形」と題された小説それ自体への暗示でもあらねばならないことは、いましがた引用したのがこの作品を締めくくる文章であることからも、ひいてはまた書き手の立場から考えてみれば、質的にはともかく少なくとも分量的にはまさしくこの短篇こそが「(一晩がかりの)愚行」と呼ばれるにふさわしそうなことからも(「愚行」かどうかはいざ知らず、長さないし字数に注目するかぎり、一晩徹夜して書いたという想定は、それ以下の期間よりも現実味の点で勝るのはもちろん、それ以上の期間よりも饒舌で軽快な文体の印象と相性がよい)、ほぼ明らかではなかろうか。きれいな円のように完結しているはずの先行する名作(例えば、『津軽』なら『津軽』)に寄生し、それを徐々に脱中心化させて楕円状に歪めてしまう物質的な分身―後藤にとって、書くべき小説とはおそらく何はさておきそのようなものであり、そのかぎりにおいて決して美しくも有用でもあってはならなかった。かくも執念深く、憑かれたように散文による虚構というものの無償性を探究し続けた作家の生を思うとき、私は、どうかするとこの自分もまた、「繰返しますが、どうぞこの間抜けな従弟の愚行を笑って下さい!」という促しに誘われて、痙攣的な笑いに貫かれながら正体不明の陽気な「ナニモノか」に変形していくような心地がするのだ。
先には「やはり太宰絡みではあるものの東北から離れた表題作」と判断した第四作「スケープゴート」も、こうして改めて考えてみると、いかにも後半こそ戦争文学の一種として分類できそうな太宰のある作品(「十二月八日」と題された短篇小説で、これは太宰の妻の日記という体裁を装いつつ、大東亜戦争の開戦の報に接した彼女の無邪気な感慨を描いている)の批評であるものの、前半に関しては先立つ三つの短篇と同様、やはり「ぼく」が講演かたがた東北地方に観光旅行に出かけた折の体験が素材ないし機縁なのであるから、正確を期するためにはむしろ東北から離脱してゆくとでも評すべきだったのだろう。これはとりもなおさず、一冊の本としての『スケープゴート』を構成する全部で七つの短篇の、ちょうど真ん中に位置するこの表題作は、実はそれ自体が、我々が検討し終えたばかりの「変形」のように前半と後半に分裂した変身の過程にほかならぬということではないか。そしてそのことによって、この書物は表題作を間に挟んで、全体がこれまたそれぞれ三つの短篇を含む前半(「サイギサイギ」、「変形」、「子供地蔵」)と後半(「ジャムの空壜」、「XYZへの手紙」、「禁煙問答」)に分裂することになる―少々穿ちすぎかもしれないが、もう一歩踏み込んで、そう主張することすらあるいは可能なのではないか。その意味で、『スケープゴート』の中の各篇の配置についての、「いかにもつかみどころがない」という私の印象は、そのつかみどころのなさが作家の巧妙な作為が働いた結果であるという条件さえ追加するなら、あながち的外れでもなかったのだ。思い起こせば、ドゥルーズは生成変化の地位について、始まりも終わりも知らぬ中間的な性格のものとして論じていた。それがいかに的確な認識であるかはすでに我々が第二作「変形」の構成からも察知しえたとおりであり、ついでこの第四作に至っていよいよ明らかだが、それと同時に、ここで起きるのがあくまでも本全体の「中間」化という出来事である以上、たとえその出来事の起点にほかならぬ表題作といえども決して単一の不動なる中心としての威厳を要求できそうにないことまでが、さながら楕円から楕円への楕円状の遍歴にも比すべき両作品の呼応から立証されてしまうのは、いかにも後藤明生らしい。

ところで、附録の小冊子として読める対談「小説のディスクール」において、蓮實重彦が第三作「子供地蔵」の中の寒暖計(カメレオン・サーモメータ―)の描写に触れつつ、「こういうものが出てくると、文章は崩れるんだとおっしゃっていますけれども、あえてそれに逆らって、まだ美文を書いている人がいるのに、後藤さんは崩れるほうを受け入れておられる(笑)」と評しているのは、誰か特定の作家のことを思い浮かべていたのだろうか。もう少しあとの箇所での、「たとえば今の古井(由吉)さんの小説でも、ある程度美文調になる」という同氏の発言を思い合わせると、あるいはちょうどこの対談の時点で『新潮』に連載中だった、古井の小説『楽天記』の中の気圧計の描写への示唆というかあてこすりなのかもしれない。後藤・蓮實両氏の対談は1990年6月2日のことで、一方気圧計の描写は、『新潮』1990年5月号に「楽天記・その五」という副題とともに掲載された「雛祭り」の章の冒頭に現れる。以上、些細なことのようだが、少々気になったので一応書きとめておくことにした。


(1)太宰治『津軽』(新潮文庫、2011年119刷)31頁。
(2)後藤明生『スケープゴート』(日本文芸社、1990年)32-33頁。
(3)同書34頁。
(4)同書35頁。
(5)同書90頁。
(6)同書45-46頁。
(7)同書37-38頁。
(8)ジル・ドゥルーズ+フェリックス・ガタリ『千のプラトー 中』(宇野邦一・小沢秋広・田中敏彦・豊崎光一・宮林寛・守中高明訳、河出文庫、2010年)279頁。引用に際して、原文中の傍点が付された個所(「あいだ」)を太字の表記に改めた。
(9)後藤明生『スケープゴート』(前掲書)48頁。
(10)同書48-49頁。
(11)同書46-47頁。
(12)太宰治『津軽』(前掲書)115-116頁。
(13)後藤明生『スケープゴート』(前掲書)39頁。
(14)同書51頁。
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