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つじこの

一応、本とかの批評のつもり。趣味的な備忘録

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ブルクハルト「芸術作品におけるアレゴリー」 

アレゴリー(寓意)は、しばしばシンボル(象徴)との対比において、記号と意味の乖離という特徴によって定義されるようである。例えば、ベンヤミンは『パサージュ論』草稿の中でこう述べている。

自らの意味からはっきりと切り離された記号としての寓意画(アレゴリー)が芸術においての位置を占めるのは、意味するものと意味されるものが一体となっている美的仮象に対する敵対者としてである。(注1)

ここで「美的仮象」と呼ばれているものがシンボルに属することは、『ドイツ悲哀劇の根源』(1928年刊)の中にある、ベンヤミンの別の文章を参照すれば明らかである。

シンボルにおいては、没落が美化されることによって、変容した自然の顔貌が救済の光のなかでつかのま現われるのに対し、アレゴリーにおいては、歴史の死相が硬直した原風景として考察者の目のまえに広がる。(注2)

さらに二つの引用文を合わせたような趣のある断章が、粉砕と保存の同時性(あるいは粉砕の保存だろうか)を告げている。

アレゴリー的志向によって捉えられたものは、生の連関から切り離される。それは粉砕されると同時に保存される。アレゴリーは瓦礫に固執する。アレゴリーは〈凝固した不穏〉のイメージを呈示する。(注3)

意味から遊離して美に対立する記号、未だ救済に与っていない「歴史の死相」、そして「瓦礫」……ベンヤミンのアレゴリー論から、こうして主要な語彙を拾ってくるだけでも、アレゴリー表現がひとたび現役でなくなると、空疎であるとか抽象的であるといった不満を美学から浴びせられなくてはならなかった理由は察しがつこうというものだ(注4)。
では、アレゴリー(寓意)がそれほど不人気でなかった時代においてはどうなのか。文化史家ヤーコプ・ブルクハルトが1887年2月15日に行った講演「芸術作品におけるアレゴリー」は、当代の記念碑や公共建築物の装飾から出発して徐々に諸世紀を遡行してゆき、おおむね古い時代ほど、文学においても造形美術においてもアレゴリーが活発に現れていることを、実例を挙げて検証している。
しかるに古代ローマ、さらにギリシャに至ると、アレゴリーの隆盛ぶりとともに、何かしら妙な事例に出くわすのである。例えば、ギリシャ人はことあるごとに抽象概念の神格化をしたがった、という文脈の中に、こんなくだりが出てくる。

そういうわけで、正義の神としてテミス、ディケ、エウノミアがあり、慎みと憫れみの神としてアイドス、エレオスがあり、平和の神としてエイレネがあるのである。次に、説得の神としてペイトがあるが、これは、民会と個人生活における説得という二重の意味を持っていた。キュロンの党派に対する無道な行為のあとで、アテナイ人は「凶行」と「畏怖の欠如」の祭壇を築いた。コリントスには「強制」と「権勢」の聖域があった。後期マケドニアのある海賊も、自分が停泊した場所に、「不信心」と「無道」の祭壇を築くのを常としていた。(注5)

あいにくここに語られたことどもの真偽を全部確かめるすべを私は持たないのだが、とにかくブルクハルトの言を信じるとすれば、ギリシャ人の神格化癖は見境なしで、対象は肯定的な抽象概念ばかりでなく否定的なものでもかまわなかったようである。いかにも、「正義」や「慎み」の神というなら現代人の感覚でも難なく想像できる。だが、「凶行」や「強制」あたりになると雲行きが怪しくなり、末尾で紹介されるおかしな逸話に至っていよいよついていけなくなる。もちろん、海賊にとっては「不信心」と「無道」はどちらも生業に必要な素質だろうが、それと祭壇との取り合わせがなんともちぐはぐで笑えてくるのだ。
文学作品の場合、このちぐはぐさははっきりと自覚的なものとなる。例えば、グノーシス派の文献におけるアレゴリーの濫用への言及の後、こんな風にブルクハルトは述べている。

ルキアノスは抽象的人物を大量に登場させることによって、多くの箇所において自分がこのグノーシス派の人たちの同時代人であることを示している。ただしどこか他のところに登場する非難の神モモス自身が「徳」、「自然」、「運命(ヘイマルメネ)」、「偶然(テュケ)」等々のような抽象概念を嘲笑し、ゼウスにあつかましくもこう尋ねている、あなたはこうした女性たちをかつてご自分で見たことがあるのですか?と。(注6)

もちろん大切なのは、「非難の神モモス自身が」という点であろう。抽象概念の神格化・擬人化という点では皆同じ平面に位置しているに決まっているが、「徳」や「自然」が仲間の存在すら疑わしくするような中傷を振りまくのは、それこそ不道徳で不自然なことだからできるわけがない。しかしこの説明ではまだ不徹底ではないか。こうした行儀の悪さが非難の神の特権であると考えるのではなく、むしろ順序を逆転すべきではないか。つまり、おそらくは諸々の寓意的神格の間で、どれか一つだけが一時的に意味との癒着から離脱して突出してくるばかりか、残りの連中からも軒並み生命を剥奪してしまうという構図そのものが先行していて、だからその意地悪な記号の名がモモスであることは自由な理由ではなくて必然的な帰結にすぎない、と考えるべきではないか。その場合、モモスの嘲弄は、いわばアレゴリーのアレゴリーである(寓意というものの振舞自体を寓意的に形象化している)。
してみれば、記号と意味の乖離という原理がもたらす「凝固した不穏」は、アレゴリーがアレゴリーである以上古代においても健全で、それどころか使用範囲が広い分だけなおさら人目につかずにいないのだ。
この不穏さがいっそう甚だしくなるのは、ブルクハルトが講演の結びで、アンティオケイア市(セレウコス朝シリアの首都)の寓意である青銅製の女性像に言及するときである。

 大へん迷信深かった後代のアンティオケイアの人たちはある言い伝えを囁き合った。アレクサンドロス大王の最も強力な部将たちの一人セレウコス王がこの都市を建設したとき、人々はこの都市の将来の幸運を揺るぎないものとするために人柱を建てようとしたという。建設されることになっていた都市の真中で、予定されていた日の日の出のときに、浄めの神官アンピオンが美しい処女アイマテを犠牲に捧げた。その後彼女の姿は青銅像に造られ、「運(テュケ)」として、すなわちこの都市の神格化された表現として据えられたのであった。
 このようなわけで、きわめて文化の高い時代にあさましい迷信の犠牲になり、そのあとで神格化された不運な少女の姿がたぶんあのような見事な彫刻像の形で生き続けているのであろう。こうした伝説が生まれるもっと罪のない根拠を探してみよう。有名な美人がいて、彫刻家がその女性の故郷の町の女神像を造ることになったとき、彫刻家はその美人を典型として使うということがしばしばあったかもしれない。こうしてその女性は幸福に、また名誉を享けて一生を終えることが許されたのである。(注7)

前段から検討していこう。おそらくここでは、ドゥルーズが整理したアレゴリーの三要素を三つとも確認することが可能である。第一に、「イメージあるいは形象化」があり、この際「形象化されたものは、シンボルの場合のように決して一つの本質や属性ではなく、一つの出来事であって、出来事として一つの歴史や系列にかかわる」(注8)。それゆえ、他のどの都市でもなくアンティオケイア市が、任意の時点ではなく建設時に人柱を必要とするのだ。それはこの都市にとって、単に歴史の出発点で起きたばかりでなく、歴史の出発の条件ですらあるような出来事である。第二に「記入あるいは文」があり、「これは主語と属性に分解されるような一つの判断ではなく、『近くから、かつ遠くから』のように、命題全体が述語になっている」(注9)。さて、まさしくアンティオケイア市は「人柱である」ような誰かを探し求めており、この述語が然るべき主語を追い求めるのである。第三に「所有者あるいは固有名」があり、これが命題を包み込み、命題によって定義される個体的主語である。つまり、例えば「アレゴリーはわれわれに〈美徳〉をもたらすが、これは決して美徳一般ではなく、マザラン枢機卿の美徳であり、枢機卿の所有物なのである。もろもろの〈元素〉さえも、ルイ十四世や他の誰かへの所属のもとで現前する」(注10)。ちょうどそれと同様に、白羽の矢を立てられた伝説上の乙女にはアイマテという名前がついており、一見すると余計とも思えるこの処置ゆえに結果は「運(テュケ)」一般ではなく、ほかならぬ彼女のそれと化す。
しかしアイマテ個人の「テュケー」(一応私としては原音主義で語尾を伸ばしたい)とは、一体どういうことか。元来このギリシャ語は偶然的なめぐりあわせということであり、文脈次第で幸運・不運いずれをも指すらしい。後段ではっきりとブルクハルトが「不運な少女」と呼んでいることからもわかるように、人柱になるということは、彼女にとっては頼みもしないのに自分の身に降りかかってきた「不運」であり、よしんばドゥルーズが考えるように「所有物」だとしても、彼が引き合いに出している「美徳」の類とは少々勝手が違う。他方で神官以下市民たちにとっては、アイマテ像はアンティオケイア市の「幸運」の寓意以外ではありえない。アレゴリーの通則によれば記号と意味の関係は恣意的であり、したがって偶然的ということになるわけだが、ここではおそらくこの関係の強引さ・脆弱さが―「テュケー」もしくは偶然というものの両義性によって―個人の不運が全体の幸運のアレゴリーでなくてはならないという並行的な事態の中に反映しているのだ。アイマテ像が、ブルクハルトが講演の締めくくりに持ってきたくなる程度には模範的な寓意であるのは、おそらくそのことと無縁ではない。やはりベンヤミンが、身体の寓意化は死体に帰着すると考えていたことを、ここで参照しておくのは有益であろう。

身体のアレゴリー化は、死体に即してのみ、精力的に貫徹できるのである。悲哀劇の登場人物たちが死ぬのも、彼らがただ死体となってのみ、アレゴリーの故郷に入るからである。不死となるためではなく、死体となるために、彼らは滅びる。(注11)

しかしながら、アレゴリー表現の宿す原理的な不自然さは、都市の永続的な繁栄と個人の一回限りの死との間の、どうしようもなく不釣り合いで対照的な連結を、ほかならぬその対照性ゆえに追い求めさせてしまう罪作りな元凶であると同時に、死体の誕生を通じて両者間の暴力的なまでの落差ないし齟齬をも、図らずも露呈させ、告発せずにはいない。このとことん逆説的な性格ゆえに、ベンヤミンはアレゴリーの行き着く最終的な急転回についても言葉を費やすことを余儀なくされるのである。

というのも、まさしくすべて地上のものが瓦解して廃墟と化す滅亡の陶酔の幻想においてこそ、アレゴリー的な沈潜の理想というより、むしろその限界が露呈するからである。髑髏が転がる場所は、アレゴリー的な図像の型として当時のおびただしい銅版画や記述から取りだすことができるが、そのような場所の絶望的な混乱状態は、たんにあらゆる人間存在の荒涼を示す寓意画であるにとどまらない。そこでは、有為転変のはかなさが意味されアレゴリー的に描き出されているというより、むしろ、その有為転変のはかなさがみずから意味を指し示しながら、アレゴリーとして差し出されているのである。すなわち、復活のアレゴリーとして。(注12)

生けるものを死体に変えるアレゴリーの力がそのまま、ただし十分徹底的に考え抜かれた場合に限ってではあるが、今度は当の死体を復活の予兆に変える。先の引用文の後段でブルクハルトが「もっと罪のない根拠」を提案しているのも、必ずしも意識してではなかったにせよ、これとほぼ同じ思考の理路をたどった結果であるに違いない。
たぶん、ブルクハルトがそれほど哲学者肌の人ではなかったことを思うなら、ざっと40年間を隔てたこの符合は、ともすれば過度に思弁的な晦渋さが内実を見えにくくしてしまうベンヤミンのアレゴリー論の、それなりに普遍的な射程を見定める上で役に立つかもしれない。


(1)ヴァルター・ベンヤミン『パサージュ論 第2巻』(今村仁司・三島憲一訳、岩波現代文庫、2003年第2刷)442頁。
(2)ヴァルター・ベンヤミン『ドイツ悲哀劇の根源』(岡部仁訳、講談社文芸文庫、2001年)262頁。
(3)ヴァルター・ベンヤミン「セントラル・パーク」、『ベンヤミン・コレクション1』(浅井健二郎編訳・久保哲司訳、ちくま学芸文庫、2004年第2版第5刷)374-375頁。
(4)ヘーゲル『美学 第二巻の上』(竹内敏雄訳、岩波書店、1965年)979-981頁。
(5)ヤーコプ・ブルクハルト『ブルクハルト文化史講演集』(新井靖一訳、筑摩書房、2000年)433頁。
(6)同書439頁。
(7)同書440頁。
(8)ジル・ドゥルーズ『襞―ライプニッツとバロック』(宇野邦一訳、河出書房新社、1998年)218頁。
(9)同上。
(10)同上。
(11)ヴァルター・ベンヤミン『ドイツ悲哀劇の根源』(前掲書)353頁。
(12)同書379頁。
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category: ブルクハルト

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「西尾維新論のために」 

群像新人文学賞に応募していた評論が落とされた。
はっきり「落ちましたよー」と連絡がきたわけではないが、受賞作の中に見当たらないのだから、そう考えるほかない。
規定字数の倍以上あったので、おそらく読んでももらえなかったのではないかと思う。
残念といえば残念だが、応募規定を守らなかったのはこちらなのだから仕方ない。

しかしこのまま闇に葬ってしまうにはあまりに惜しいので、若干加筆修正してブログで公開することに決めた。
題して「西尾維新論のために」である(ちなみに応募時の題は違う)。

本来人間の評価は棺を覆うてから定まるものであるからして、快進撃を続ける現役の作家に対してあまり断定的な決めつけをするのはいささかはばかられるし、それに私は『新本格魔法少女りすか』を個人的な事情で読むことができない(もちろん本を入手できないという意味ではない)ので、あくまでも「…論」ではなく「…論のために」である。
しかしながら、内容に関しては自信を持っている。
これ以上の西尾維新論があれば読ませてみろ! と言いたい
…ま、審査委員というか下読みの人が、隅々まで読んだ上で落とした可能性だって否定はできないので、こんな風に見栄を切るのはちょっと気恥ずかしいが。それに文体の生硬さはいかんともしがたい。

一応執筆の動機について説明しておくと、みなさん「西尾維新=無意味な言葉遊び」という先入見に囚われすぎじゃありませんか、という疑問があったのである。
言葉遊びが無意味だというなら、勅撰和歌集だろうが唐詩選だろうがシェイクスピアだろうがラブレーだろうがレーモン・ルーセルだろうがジェイムズ・ジョイスだろうがヌーヴォー・ロマンだろうが、伝統的な詩や現代文学の大部分が等しく「無意味」だということになってしまって味気ないことこの上ないし、しかもこれほどまでに異なる諸作品が「等しく」無意味でなくてはならないとすれば理不尽感も半端ない。こんな粗雑な先入見を押しつけてしまえば、相手が西尾であれ誰であれ結果が不毛なのは目に見えている。第一裁判所の判決文とか企業の契約書とかに比べればあらゆる文学活動が「無意味な言葉遊び」に決まっているのであって、だから個別の作家を判定する場合にこんな標語をいくら振り回したところで得るものは少ないし、この意味での無意味さの中に最初から何ら価値を見出せない人なら、そもそも小説を読もうとするのが間違っている。
そこで私は、西尾維新の代表作として『きみとぼくの壊れた世界』や『化物語』を選んで、到底上記の先入見だけでは計り知れない、豊かな―現代日本の小説家ではほかにほとんど類例がないほど豊かな―哲学的含蓄がそこに認められることを証明せずにはいられなかったし、その過程で小森健太朗、小泉義之、福嶋亮大の諸氏による既存の西尾維新論に対して強い違和感を覚えずにはいられなかった。
もちろん、あれこれ細かい部分については異論もありうることだろうが、とにかく端的な無意味さという先入見が不十分なことだけは、これを読めば誰しも同意せざるをえまい。それどころか本音を明かせば、西尾維新は公平に見て現代最高のモラリストだと私は考えているのである。願わくば私以外の方々にとっても、この論文が同様の判断を下すための十分な根拠か、あるいはせめて真摯な検討の材料を提供する呼び水たらんことを。

以下、内容(全5章)のおおまかな予告です。
第1章「哲学と虚構」は、虚構と哲学の一般的な関係を簡単に規定しつつ、『きみとぼくの壊れた世界』をライプニッツ哲学の文脈の中に位置づけることの正当性とともに、そのような一般的な位置づけにとどまらぬ、より詳細で具体的な検討が必要なゆえんを示すことに費やされる。
第2章「隠喩と換喩」ではヤーコブソンの失語症論を参考に、櫃内様刻が隠喩を、病院坂黒猫が換喩を体現する登場人物にほかならないことを立証しながら、『きみとぼくの壊れた世界』の山場の綿密な分析を行う。おそらく論文の全体を通じてことのほか読み応えのある章になっているはずである。
第3章「実存と倫理」では一転して、前の章の成果を戯言シリーズや『化物語』にも広げ、随時ライプニッツを参照しながら、西尾の作品から抽出できる最も根本的な構造とは何であるかを問うことで、最小限の実存の肯定という概念を提示し、あわせて日本文学史におけるその意義をも考察する。最大の成果は「倫理の存在論化」の発見である。
第4章「換喩と隠喩」では再び『きみとぼくの壊れた世界』の分析に取り組み、第2章で得られた知見のさらなる裏づけを発掘することに努める。隠喩から換喩へという移行を考慮することで、作品の結末に関して少なからず意外な見通しが開けるはずである。たぶんこの章が、今後この小説を読む人にとっては最も啓発的なのではないか。
第5章「虚構と哲学」は先立つどの章よりも、哲学的に充実している。この章は最善説(オプティミズム)、不完全性定理、関係の理論、心身相関等の主題を扱いつつ、ライプニッツの形而上学に潜む倫理的な射程の解明を進めているが、それは同時に、『きみとぼくの壊れた世界』の中のまだ手つかずだったいくつかの問題について、どれほど厳密さにこだわる読者の要求をも満足させられるだけの解答を与えようとする試みと表裏一体でもある。というより、前者のごとき読み直しは後者の試みに後押しされて初めて可能になるのである。例えば、一人称の話者を務める様刻がうろ覚えの知識で「後期クイーン問題」の定義を確認しようとする文脈において地の文に現れるのが、「ゲーデル問題」ならぬ「ゲーテル問題」でなくてはならないのは一体なぜか(注1)、また重力(引力)に関する謎かけの答がわからなかった彼が、あっさりと正解を教えてくれた妹から聞かされる頓知のような談義にはいかなる意味を認めるべきか(注2)、こうした疑問にも私は一応筋の通った説明を見出しえたと信じる。哲学の研究書に慣れた人の目には、ミシェル・セールやルイ・クーチュラなどの応用が斬新なものに映るかもしれない。「存在論の倫理化」の発見とともに、いまや西尾維新の小説がライプニッツの哲学の小説版であり、ライプニッツの哲学が西尾維新の小説の哲学版であることが最終的に判明する。

というわけで、本論文は西尾維新とライプニッツの関係が気になって仕方がない人(何人いるんだろう?)にとっては、必読の文献であると信ずる。もっとも、結果的にライプニッツ入門のような体裁にもなったので、もっぱら哲学的な関心から読むこともたぶんできる(念のためにことわっておくと、この両名を連想によって結びつけるというだけならば小森健太朗に先例があるものの、私のほうがはるかに詳細で充実した結論に達しえているはずである。この対照は、私の場合は参考にできる西尾作品の数が、主として『クビシメロマンチスト』に依拠するほかなかった彼と比べて格段に多いという単に量的な事情の然らしめるところであるには違いないが、小森の主張はそもそも『クビシメロマンチスト』論としても破綻していると思えたので、論文中のある注で批判しておいた)。参考文献表をご覧になれば一目瞭然であろうが、Ohad NachtomyやLloyd StricklandやDennis Plaistedによる、近年の欧米のライプニッツ研究を渉猟しているという点も、私の論文の特色の一つではないかと思う。

前置きはここまで。
それでは、ひとつ読んでみようかという物好きな方は以下のGoogleドキュメントよりどうぞ。結構長いよ(10万字以上ある)。

「西尾維新論のために」

感想・意見・文句等ございましたらコメント欄にお書きください。


(1)西尾維新『きみとぼくの壊れた世界』(講談社、2007年)235-236頁。
(2)同書320頁。

category: 西尾維新

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