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つじこの

一応、本とかの批評のつもり。趣味的な備忘録

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日日日『のばらセックス』 

ブログを始めて一件目の記念すべき記事
(続くといいなあ)。

日日日(あきら)の『のばらセックス』(講談社BOX、2011年11月1日)が猛烈に良かったので、
誰にともなく宣伝。今年出た日本語の小説の中でこれがいちばん倫理的に真摯な気がする。

「ファックからピースへ」という基本の流れが堅実で(ペニスからヴァギナへってことか?
そういえば冒頭の章では男根崇拝教が、末尾の章では女陰崇拝教が出てくるし)、
途中いろいろ起きてもきちんと収斂している。
こういうの読むと、「兄弟が団結して父に対抗する」(フロイト)とか、
「女性なるものは存在しない」(ラカン)とか、
「オリジナルとコピーの序列の消滅」(ボードリヤール)とか、
「エロティシズムとは死に至るまでの生の称揚である」(バタイユ)とか、
「女子供への生成変化」(ドゥルーズ)とか、
なんかいかにもなことを言いたくなる人がいそう。
で、そういう命題を持ち出すのは別に間違ってないと思うけど、はまりすぎててむしろ味気ない。野暮だ。

「人肉処理者」のモデルはスコットランドのソーニー・ビーン一族か。
坂本三兄弟の逢(父を代理する権力者)、緒礼(性別不確定な愛欲の塊)、綿志(学者肌で冷静)とは
超自我とエスと自我のことじゃなかろうか。
自己のみの意志で「女性になる」生成変化はたしかに終幕に至って世界的な規模で実現するけど、
それに先立ってすでに「殺人鬼のシャンソン」の章末の交合が予告しているのではなかろうか
(まるで男性のように張形でソプラノ君の肛門を犯すのが日課だったおちば様が彼を説き伏せて、
半ば強引に自分から性器同士の結合を敢行していることに注意したい。
「ね、あたしが処女だって言ったら信じる……」という台詞は、
幼少時に実父から強姦されたことからも、前の章の内容からも物理的な意味では嘘でしかありえず、
要はそれらを自身の正式の性体験に数えたくないおちば様が、
今日この場で処女でなくなるのであればよいのにと願っているのだろう。
一方ソプラノ君はおちば様の女性器よりも血肉のほうに性的興奮を覚えていて、
行為の意味もいまいち実感できてなさそう。
互いの関心はズレているのに、二人きりの秘め事の戦慄すべき美しさよ)。
利用価値の高い存在を懐妊することを求められてもりもり心身を凌辱されるおちば様は、
意に沿わぬ編集者の要求を呑まされる作家の姿を連想させないか。
中指云々のネタ元は佐々原憂樹の『しゃるうぃーげーむ?』か。
そうした諸々の疑問よりも、なんで日日日にこんなものが書けたのか、
という結構不遜な問いのほうが私にはだいじで切実だ。
オスという生き物の滑稽で醜悪な哀しさをこれでもかこれでもかと抉り出すこんな小説を、男の身で。

たぶん虚構をつむぐ者に不可欠の資質として、
愛することへの情熱に劣らず、愛して傷つくことへの執念というものを考えるべきなのだ。
一般に虚構作品のもつ可能性は、この一見して倒錯的な欲望に人がどこまで真剣に酔えるのかで決まる。
『のばらセックス』の読者は、その限界が確実に押し上げられる場に立ち会うことになる。
こんな小説があるなら日本文学はまだまだ大丈夫。
すてきなポルノグラフィを読んだよ!
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