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つじこの

一応、本とかの批評のつもり。趣味的な備忘録

モンテーニュ『随想録(エセー)』 

懐疑主義を基調としつつ、古典への深い造詣に裏打ちされた人事百般への幅広い好奇心と、やたらしつこくてしばしば露悪的なくせに不思議といやみのない透徹した自己の分析とを自由闊達にしてどこまでも柔軟な筆致でつづった『随想録(エセー)』が、フランス・ルネサンスの精神をいまに伝える記念碑であり、かつまたそもそも近代におけるこの種の文学(随想、随筆)の嚆矢となった事情については周知のことであるし、著者ミシェル・ド・モンテーニュ(Michel de Montaigne, 1533-1592)の人となりについてもことさら詳しく説明するには及ぶまい。
いわんや、『随想録(エセー)』の全体像を論じてその構造―あるかどうかも怪しい代物だが―を解明するなどということを、ここで企てているわけでもない。
私が書きとめようとしているのはただ、第二巻の第8章「子供に対する父の愛情について」から受けた若干の印象のみである。
この随想は一応、寡婦となってすでに久しいデスティサック夫人に献呈されていて、冒頭からしばらくは、母性愛の鑑とも称すべき彼女の模範的な子育てぶりへの称讃の言葉が続く。ご子息のデスティサック殿も成人の暁にはさぞ深い感謝を奥様に捧げるに違いない、ついては小文がいささかなりとも母君の厚恩についての証言として役立ってほしいものだ……といった調子である。
けれども、やがてモンテーニュの関心の対象は表題のとおりいつの間にか母親から父親へと移ってしまい、この性別の転換をよいことに、むしろ子の側の忘恩を、相手を考えればいささか無遠慮と評したくなるほど執拗に論じ始める。

 もし真に自然的な何らかの法則があるならば、いいかえれば、動物にもわれわれにも普遍的永久的に刻みつけられているような何らかの本能があるならば(これには、異論がないわけではないが)、私の考えでは、それはまず、おのおのの動物が自己を保存しようとし、自己の害になるものを避けようとする心づかいであり、つぎに、子に対する親の愛情がこの序列の第二の位置を占める、と言うことができます。そして、自然は、自然という機械の次代につづく諸部分を拡大し前進させるために、この愛情をわれわれに勧めたように見えますから、反対に、子から父に対しては、愛情がそれほど大きくないとしても不思議ではありません。
 それに、もう一つアリストテレス的なこういう考えもあります。「誰かに対して善を為す人は、自分が愛されるより以上に、その人を愛している。恩をほどこす人は、恩を受ける人より以上に愛している。あらゆる職人は、かりに作品に感情があるとするならば、自分の作品から愛されるより以上に、自分の作品を愛している。というのも、われわれは存在を愛しているからであり、存在は運動と行為のうちに存するからである。したがって、各人は或る意味で自分の作品のなかに存在する。善を為す人は、美しい誠実な行為をなすが、それを受ける人は、ただこの行為を有効ならしめるだけである。ところで、有効な行為は、誠実な行為ほどに、愛せられない。誠実な行為は、それをおこなった人に対して、つねに変わらぬ満足を与えるから、安定しており、恒常的である。有効な行為はすぐに忘れ去られ、消失する。その思い出は新鮮でもなく、快くもない。事物は、われわれにとって苦労が多ければ多いだけ、貴重なものになる。だから、受けるよりも与える方がいっそう困難である。」(注1)

ここでことさら「アリストテレス的」と呼ばれている後半の諸論点は、おそらく、「施善者が被施善者を愛することは、よくされたほうのひとがよくしてくれたひとを愛する以上であると考えられる」という文で始まる、『ニコマコス倫理学』第9巻第7章の内容の要約であろう(注2)。
といってもモンテーニュが子という存在に対して何かことさらな悪意や侮蔑の念を抱いているというわけではない。彼としてはただ、「理性だけがわれわれの傾向を導くようにしなければなりません」(注3)という信条に従っているまでのことで、だから赤子や幼児の見せるおよそ理性的でない様子を愛でる世間一般の風潮は、自分には解せないのだ、という。「あたかも、われわれは彼らをわれわれの慰みとして」、ということはつまり「人間としてではなく、猿として、愛するかのごとくです。或る人は、子供たちの幼いときには、気前よく玩具を買ってやるのに、大きくなってから要る出費には、わずかなことにもけちん坊になるのです」(注4)。吝嗇な親、さらには教育熱心なあまり子供に厳しくあたりすぎる親を彼が批判するのも、早すぎる年齢での結婚を戒めるのも(ちなみに適齢は35歳らしい)、ひいては家政を監督することができないほど耄碌した高齢者は潔く家督を子に譲って引退すべきだ、という主張も、みな理性の尊重というこの一点に由来するものだろう。「フランス随一の雷親父」で、本人は倹約に努め、子供にも厳格な服従を強いているつもりでいながら、その実家族全員、召使全員から欺かれ、知らぬ間に財産をすっかり食い荒らされていたという気の毒な老人の例は、モンテーニュをして自らを省みさせ、どうやら、そもそも欺かれないための予防策として、日頃から身近な者に胸襟を開いて接することの大切さを教えてくれる他山の石の役を果たしているようだ(注5)。このような、父親における吝嗇と無分別の同居は、亡夫から遺産の管理を任されたのをよいことに、いつになっても全権を手放そうとしないで我が子を貧窮に追いやる母親という、もう一つの困った事例へとつながってゆく。
モンテーニュがやはり只者でないのは、ここから、いまや機は熟したと判断したからか、先に父子間の問題として論じていた子の側の忘恩を、今度は母子間の問題として論じ直すその手際であり、ひいては、人間の社会のみならず自然界全体に視野を広げつつ、幼く未熟な生き物を対象とする自然的な―それゆえ、一般に不変的と思われている―愛情というものの、およそ理性的でない非合理的な性格と、それゆえの移ろいやすさという論点をそこに重ねてみせる手腕である。

われわれの相続の分配を母親の判断にまかせ、母親が子供たちに対してなす選り好みにしたがってそれをおこなわせるのは、危険なことです。〔中略〕一般に、母親たちは、最も弱い、出来の悪い子供を溺愛します。あるいは、まだ自分の首にぶらさがっているような子供があれば、そういう子供を溺愛するのが普通です。事実、彼女たちは、真に価値あるものを選んでこれをいだくだけの理性的な力をもっていないので、とかく、自然的な印象だけが幅をきかしている方へ、さそわれがちなのです。ちょうど、動物が、自分の子を、乳房にしがみついているあいだしか認知しないようなものです。
 要するに、われわれがこれほどの権威をもたせているこの自然的な愛情も、その根ははなはだ弱いものであることは、経験からして容易に見てとれます。われわれはつねに、きわめてわずかな利益と引きかえに、母親たちの腕のあいだから彼女たち自身の子供を引き離し、われわれの子供の養育を彼女たちに引き受けさせます。われわれは彼女たちに、彼女たち自身の子供を放棄させます。その結果、彼女たちの子供は、われわれならばとうてい自分たちの子供を預ける気になれないようなどこかの卑しい乳母に、あるいは山羊に、ゆだねられることになるのです。われわれは、彼女たちに、彼女たち自身の子供がどんな危険に遭おうとも、これに乳をやることを禁じるばかりでなく、これの世話をすることまでも禁じて、われわれの子供の養育に専念させるのです。しかも、彼女たちの大部分の者には、まもなく習慣によって、自然的な愛情よりもいっそう強い育ての親としての愛情が芽生え、自分自身の子供よりも預かった子供をいっそう大事に育てようという気持が生じてくるのが見られます。私が山羊のことを話に出しましたのは、私の家の近辺では、村の女たちは、自分の乳で子供を養うことができなくなると、山羊のご厄介になるのが普通だからです。〔中略〕これらの山羊は、すぐに子供たちに乳をやるように馴らされており、子供が泣くとその声を聞きつけて、駆けよってきます。山羊は自分の養い児よりほかの子供を差し出されても、受けつけません。子供の方でも、別の山羊では、いやがって乳を吸いません。私は、先日、こんな子供を見ました。この子は、父親が隣りから借りてきたものだった自分の山羊を取りあげられて、別の山羊を当てがわれましたが、どうしてもなつきませんでした。この子はとうとう飢えのために死にました。動物も、われわれと同じように、容易に自然的な愛情を変質させ、退化させます。(注6)

「われわれならばとうてい自分たちの子供を預ける気になれないような」とある箇所の「われわれ」とは、貴族という意味だろう。それはさておき、ここまでくると、母性愛の鑑だったはずのデスティサック夫人への冒頭の賛美はもはや跡形もない。特に、「一般に、母親たちは、最も弱い、出来の悪い子供を溺愛します。〔中略〕事実、彼女たちは、真に価値あるものを選んでこれをいだくだけの理性的な力をもっていないので」云々だの、「しかも、彼女たちの大部分の者には、まもなく習慣によって、自然的な愛情よりもいっそう強い育ての親としての愛情が芽生え、自分自身の子供よりも預かった子供をいっそう大事に育てようという気持が生じてくるのが見られます」だのというくだりの辛辣さは、訓戒として常識的に許される範囲を明らかに逸脱しており、筆者の狙いがどうであれ、女手一つで一生懸命子育てに励んできたらしいけなげな夫人を愚弄せんばかりの失礼な内容であろう。とはいえ、ひとたび思考が走り始めるとこんな風になかなか止まれないで突き進んでしまうところも、これはこれでモンテーニュの個性なのである。夫人には悪いと思いながらも、私は読んでいて思わず引きつったような苦笑いを誘われた。
モンテーニュの暴走はまだ終わらない。というのも、自然な親子関係が愛情のよりどころとしてあてにならないとすれば、我々は一体何を頼めばよいのか、という問いが残っているからだ。絶対に我々を裏切ることのない親子関係というものがはたしてあるのか、あるとすればそれは一体何か。ここでおそらく、彼が「アリストテレス的」と名づけてすでに紹介している、「あらゆる職人は、かりに作品に感情があるとするならば、自分の作品から愛されるより以上に、自分の作品を愛している」という考え方が伏線として効いてくる(注7)。モンテーニュは、文藝に代表される創作活動に読者の注意を促すのだ。

 ところで、われわれが自分の子供たちを愛するのは、われわれが彼らを生み出したからであり、それゆえにこそ、われわれは彼らを「別のわれわれ自身」と呼ぶのだ、というこの単純な理由からすれば、もう一つ、われわれから生み出されるもので、しかもそれに劣らぬ価値をもつものがあるように思われます。事実、われわれが霊魂によって生み出すもの、われわれの精神の所産、われわれの心情と才能との所産は、身体的な部分よりもいっそう高貴な部分によって生み出されるものであり、それだけにいっそうわれわれ自身のものです。この生殖において、われわれは父であると同時に母であります。この種の子供は、われわれにとって、ずっと高価についています。もしそこに何か善いものがあれば、それはいっそう多くわれわれに名誉をもたらします。なぜなら、われわれの一方の子供たちの価値は、われわれ自身のものであるよりも、むしろはるかに多く彼ら自身のものだからです。そこでは、われわれの持ち分はごくわずかなものです。けれども、他方の子供については、その美点も魅力も価値もすべてわれわれ自身のものです。それゆえ、この子供は、一方の子供よりも、もっと生き生きとわれわれを表現し、われわれを語ってくれるのです。(注8)

自然的な親子関係に対して人工的なそれが有する優位、それは、我々がいわば自分自身から外に出る必要がないことであり、換言すれば我々自身の内なる変容、それも性的ですらあるほど徹底的な変容ないし両性具有化、あるいはむしろ両性への分裂―「この生殖において、われわれは父であると同時に母であります」―である。ただし興味深いことに、作品が作者を愛し返す、とは明言されていない。アリストテレス的な愛の非対称性、すなわち、作品が作者を愛する以上に作者は作品を愛するという(忘恩に関する)命題は、いまだ健在なのである。ただ、動物と人間に共通する自然的な愛の移ろいやすさを確認し終えたいまとなっては、人間にのみ固有なこの人工的な愛、ないし創作の喜びは、ただ愛することだけで我々を満たしてくれるような、そういう自律性・自足性の面から眺められることになるのだ。見返りを受けとることを何ら期待しない、気前よく与える一方の愛、それをまさにいま自分が一冊の本を書きつつあるという状況に重ね合わせるとき、もう誰にも吾輩の筆を止めることはできないとばかりに、モンテーニュは敬愛する古人たちをも巻き添えにしつつ、さらなる逆説の中へと飛びこんでいく。

 エピクロスは、死に臨んで、はげしい疝痛に苦しめられながらも、自分が世に残した学説の美しさのうちに最大の慰めを見いだしたということですが、もし彼に子供があったならば、それらがみなよく生まれ、よく育ったとしても、はたして自分の生んだたくさんの著作から得たほどの満足を、子供たちから受けることができたでしょうか? また、自分のあとに、出来ぞこないの、悪く生まれついた子供を残すか、それとも、愚劣で無能な著作を残すか、いずれかを選ばなければならないとするならば、彼はむしろ、否、彼ばかりでなく、そのような才能をもっている人なら誰でも、後者よりも前者の不幸を負うことを選ぶのではないでしょうか? 聖アウグスチヌスが(たとえばの話ですが)、われわれの宗教が非常な恩恵を蒙っている彼の多くの著作を埋めるか、それとも、彼に子供があったとして、その子を埋めるか、と詰め寄られたとして、もし彼がわが子を埋める方を選ばなかったならば、おそらく不敬虔のそしりをまぬがれないでしょう。
 私だって、妻と交わるよりも、ミューズと交わることによって、完全によく出来た一人の子供を生む方が、はるかにましだと思わないわけではありません。
 私は、ここに見られるとおりの、この子供に、私の与えるものを、ことごとく思いきりよく与えます。われわれが身体的な子供に与えるのと同様です。私がこの子に与えてやったわずかの財産は、もはや私の自由にはなりません。彼は、もはや私の知らないことを、十分に知ることができますし、もはや私の手もとになくなった私のものを、保つことができます。私は、必要なときには、まるで他人のように、彼から借りてこなければならないでしょう。私は彼より賢明であるにしても、彼の方が私よりも豊かです。(注9)

「ここに見られるとおりの、この子供」、すなわち『随想録(エセー)』という書物は、それこそ我を忘れるほどに作者が全てをつぎこみ、絶え間なくそして惜しみなく自分自身を与え続けてきた結果、とうとう我々の「身体的な子供」、もしくは自然的な子供と同様、親(作者)の側の―モンテーニュの場合、父の側ということだ―虚脱と引きかえに、我々から独立した生き物同然になってしまったのだという。自律性・自足性を求めて自然的な生殖活動とは縁を切るところから始まったはずの創作活動が、そのあげく自然的な子供の再出現と、その子供への自立性の譲渡という地点でその歩みの頂点に達しなくてはならないこと、これが逆説の核心である。この随想が、自然的な親子関係における忘恩とはいかにも対照的な、作者を愛し返す作品という奇蹟の典型例であるピュグマリオンの伝説への言及で終わるのは―「彼は絶世の美女の像を刻みましたが、自分のこの作品に対する熱烈な愛に狂おしいまでに身を焦したので、ついに神々もその狂気をあわれみ、この像に生命を吹きこんだということです」(注10)―、そういうわけで至って当然の成行きなのだ。なるほど、書き手はピュグマリオンの狂気を、表向きは現実の親子関係における近親相姦願望に相当する「邪(よこし)まな狂おしい情念」(注11)の一例として批判的に見ているようだけれども、このように論の運びに注意すれば、実はその批判の背後に隠れているのは、「我が子の忘恩を恐れる者はすべからく創作の分野に活路を求めよ。狂うほどに熱中していればいずれ思いがけない奇蹟が起きて、汝の愛が生ける我が子同然の作品から感謝によって報いられる日も来ないとは限らないから……」という勧告であるように私には思えてならない。具体的な説明はどこにもないにもかかわらず、話題の選択と配置自体が読者をしてすんなりとそのような思考の理路に想到せしめてしまうところが、『随想録(エセー)』という書物の懐の深さであろう。二言目には自らの無学や怠惰を恥じ入り、自分の書くものには高尚さが欠けていると嘆いてみせるモンテーニュだが、こうしてみると文筆家としての力量はやはり侮りがたい以上、そのような態度はあくまでも謙遜もしくは韜晦として受けとめておくのが正解なのだろう。
たぶんモンテーニュの逆説的な叡知は、「愛(amour)」を「自分が持っていないものの贈与(le don de ce qu'on n'a pas)」と定義した上で、男性と違って女性はファルスの所有者ではないがゆえに、女性の享楽にはそもそも彼女自身が持たざるものを与え、それが欲望の原因になるという―自己原因(causa sui)の概念に比すべき―創造的な性格があるのだ、と言うときのラカン、ひいては彼が唱えた「昇華が一つの創造という外見を生産するのはつねに女性への同一化によってである〔c'est toujours par identification à la femme que la sublimation produit l'apparence d'une création〕」(注12)という命題を、あるいはまた、「エクリチュールには女性への生成がある。それは女性『のように』書くことではない。〔中略〕女性が必ずしも作家であるというわけではない。そうではなく、男性であれ女性であれ、自らのエクリチュールのマイノリティへの生成があるのだ」(注13)というドゥルーズの主張を予告する先駆的な例として読まれてよいのではないか。


(1)モンテーニュ『ワイド版 世界の大思想II-02 モンテーニュ 随想録(エセー)上』(松浪信三郎訳、河出書房新社、2005年)319頁。
(2)アリストテレス『ニコマコス倫理学(下)』(高田三郎訳、岩波文庫、2004年第43刷)127-130頁。
(3)モンテーニュ『ワイド版 世界の大思想II-02 モンテーニュ 随想録(エセー)上』(前掲書)320頁。
(4)同上。
(5)同書326-329頁。
(6)同書332-333頁。
(7)なお、対照的な例として興味深いものに、新プラトン主義の実質的な開祖として知られる三世紀の哲学者プロティノスが書いた、「三つの原理的なものについて」という論文がある。というのもこの論文の第6章には、『中公バックス 世界の名著 15 プロティノス ポルピュリオス プロクロス』(田中美知太郎責任編集、中央公論社、1995年第6版)所収の訳文(田中による)を拝借すると、「すべて生まれたものは生んだものを慕い、かつこれを敬愛するものであって」云々という記述があるのみか(159頁)、さらにこれに先立つ箇所―万有の根源としての一者と、この一者から直接に生じた知性との間、また知性と知性から生じた魂との間には、それぞれ後者が前者の言論的表現(ロゴス)ないし現実的に営む作用に相当するという関係が成り立つ。そしてこれは対等な関係ではなくて模範と影像との関係であり、したがってあくまでもそれぞれの場合に前者(知性に対する一者、魂に対する知性)が泰然自若として上位にあるのに対して、これを不可欠の対象として求める後者(一者に対する知性、知性に対する魂)が下位にあることは動かないという―に付された訳注(同書599頁)を参照すると、このように言論的表現(ロゴス)が十分に独立的でない、単なる外面化ないし発現として規定される結果、プロティノス哲学においては発現せぬままのもの(可能的なもの)が優位を占めることの指摘に続けて、「それはアリストテレスの考えとは逆に、現実の作用や活動よりも、それらの作用や活動の能力―アリストテレスの考えでは可能―の方が、それのもとにある根本者として、かえって優位におかれていることを意味する」と書いてあるからである。
(8)モンテーニュ『ワイド版 世界の大思想II-02 モンテーニュ 随想録(エセー)上』(前掲書)333頁。
(9)同書334-335頁。なお、モンテーニュはあくまで仮定の話として書いているようだが、アウグスティヌスには実際にアデオダトゥスという名の息子がいた。誕生は372年のことで、キリスト教に回心するよりもずっと以前、青年期のカルタゴ遊学中に授かった私生児である。
(10)同書335-336頁。
(11)同書335頁。
(12)Jacques Lacan, La logique du fantasme: séminaire 1966-1967, Paris, Éditions de l'Association Lacanienne Internationale, 2004, p.245-246.
(13)ジル・ドゥルーズ、クレール・パルネ『ディアローグ』(江川隆男・増田靖彦訳、河出文庫、2011年)78頁。
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