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つじこの

一応、本とかの批評のつもり。趣味的な備忘録

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日日日『平安残酷物語』 

「自由の人は何よりも死について思惟することが最も少ない。そして彼の知恵は死についての省察ではなくて、生についての省察である」(注1)。
―このように主著『エチカ』の第四部定理67で断定したスピノザ(Benedictus de Spinoza, 1632-1677)は、一般的には「死」ではなくて「生」の哲学者であると思われている(はずである)。
しかし、そのことは必ずしも彼が死を忌避していたということを意味しない。むしろ、江川隆男が『死の哲学』で主張するところによれば、スピノザこそは死の観念を決定的に歪める者、「死を曲げる者」にほかならない(注2)。というのも、『エチカ』第四部定理39の備考には、次のごとき文章が見出せるからだ。

しかしここで注意しなければならぬのは、身体はその諸部分が相互に運動および静止の異なった割合を取るような状態に置かれる場合には死んだものと私は解していることである。つまり、血液の循環その他身体が生きているとされる諸特徴が持続されている場合でも、なお人間身体がその本性とまったく異なる他の本性に変化しうることが不可能でないと私は信ずるのである。なぜなら、人間身体は死骸に変化する場合に限って死んだのだと認めねばならぬいかなる理由も存しないからである。かえって経験そのものは反対のことを教えるように見える。というのは、人間がほとんど同一人であるとは言えぬほどの大きな変化を受けることがしばしば起こるからである。(注3)

これに続けて具体例として挙げられているのは、記憶喪失に陥って過去の自作をすっかり忘れ去ってしまったという詩人の逸話である。江川は、この第四部定理39備考の文章を、第五部定理39備考に存在する、次のくだりの準備として読むことを提案する。

例えば、幼児あるいは少年のままで死骸に化する者は不幸と言われ、これに反して健全な身体に健全な精神を宿して全生涯を過しうるのは幸福とされる。実際また、幼児や少年のように、きわめてわずかなことにしか有能でない身体、外部の原因に最も多く依存する身体、を有する者は、その精神もまた、それ自身だけで見られる限り、自己・神および物についてほとんど意識しない。これに反してきわめて多くのことに有能な身体を有する者は、その精神もまた、それ自身だけで見て、自己・神および物について多くを意識している。ゆえにこの人生において、我々は特に、幼児期の身体を、その本性の許す限りまたその本性に役立つ限り、他の身体に変化させるように努める。(注4)

とりわけ注目に値するのは末尾の一文の限定条件―「その本性の許す限りまたその本性に役立つ限り」―である。江川によれば、ここでスピノザは幼児期の身体の無能力さを単に脱却すべき必要悪としてのみ把握しているわけではなく、全く反対に、その無能力を何はさておき肯定するところに初めて生じるような「別の身体への変化」として死を考え抜こうとしているのであり、そのような、単に死骸に帰することとは一致しえない(例えば記憶喪失であってもかまわない)死が我々に教えることになるものは、むしろ不死性の経験であるという。

 スピノザが上げた事例は、〔中略〕現実に「死んだまま生きること」あるいは「生きたまま死ぬこと」が選択されていることを示している。死体、死骸への変化は存在する人間身体の最大の変移であるが、死体に変化する以前の死に等しい本性の大いなる変化は、言わばその身体の存在の仕方をその発生的な要素とする本性の変化である。それでも、死によって寸断され、そこから生み出された〈それ以前〉と〈それ以後〉の、仄めかされた身体の同一性やその生は、人格的であれ非人格的であれ、やはり何らかの同一的なものやそれに対応したそのときの記憶によってそれぞれ表わされることだろう。しかし、忘れてならないのは、スピノザにおいては、死体に変化する以前にも到来しうる死という意味での死の観念が提起され、さらにこうした死を通してしか感覚できない〈不死の感覚〉(消極的に言えば、幼児期の身体が死んだ後に、現在の大人の身体を生きているという否定的な感覚。積極的に言えば、現在のより有能な大人の身体の存在のなかでこそ知覚されるような、幼児期の身体の本性の肯定的な感覚)が、つまり一つの死を媒介とした不死の経験論が主張されているという点である。〔中略〕言い換えると、死は、もはや同一性の自己伝達ではなく、むしろ差異の自己表現だということになる。変形の記憶は、過剰に酷使された記憶であり、まさに新たなものを生み出そうとする作用原因についての記憶である。〔中略〕私は、ここでは「永遠」という言葉を用いない。何故なら、実践哲学としては、「不死」の概念の方がより有効だと考えるからである。(注5)

「身体はその諸部分が相互に運動および静止の異なった割合を取るような状態に置かれる場合には死んだものと私は解している」、という『エチカ』第四部定理39備考のいささかぶっきらぼうな表現は、このように第五部定理39備考とあわせて読むことで思いもかけぬ射程を持っていることが判明する。それは、幼児から大人に成長するにしたがって誰もが経験せざるをえない普遍的な死の経験へと、また(逆説的にも)それゆえの「不死の感覚」へと我々を導くのだ。

さて、『平安残酷物語』である。平成に続くという「平安」時代を舞台とするこの掌篇集は、「平安型桃色小蟲」とやらのせいで大人たちは死亡するか身体的・精神的に退化して猿のようになってしまい、幼児はやはり死亡するか怪物に変異してしまった世界で、奇怪な虫たちに生存を脅かされながら気丈にも「貴族」を名乗り、一応たくましく生き延びている引きこもり気味のティーンエイジャーたちの日常を、話者である「こづえ」―たぶん本名は藤原梢(ふじわら・こずえ)のはずだが、単に「こづえ」とのみ呼ばれることのほうが多い―や、その親友である「小春さん」こと砂倉小春(さくら・こはる)に託して描いたもの、とでも要約できるかと思う(しかし批評のためには致し方ないとはいえ、掌篇集の要約なんてつくづく無粋だなあ…)。
もっとも、「こづえ」の話者としての地位も、「小春さん」の脇役としての地位も決して盤石ではない。すでに冒頭の第1章「空腹編」からして、いきなり「こづえに化けた虫であるわたし」が「小春さんに化けた同族の虫」を食べているかと思えば、後者を操って前者を釣ろうとしていた「引きこもり貴族のわたし」―これが本物のこづえであるとは明記されていない―もまた、やはり同様の仕掛けの中の駒にすぎなかったからなのか、訪問者を迎え入れようとして玄関の扉を開けたとたんに、不用心がたたって無残にも「ぐちゃ」っと潰されてしまう(ように読める)という始末であり(注6)、その後もこの小説は何度となく、「わたし」ないしこづえの視点がより大きな文脈の中で不意に相対化されるという状況を反復しつつ、ときには死という荒々しい経験を通じて話者の自己同一性を揺るがし、破壊し、粉砕し続けることになる。まあ、虫たちは人間の知覚や認識そのものを変質させることができるようだし、第5章「通販編」における「わたし」の死は夢の中の出来事にすぎず、また第10章「水泳編」や第16章「お弁当編」で死んでしまう「わたし」が本当にこづえ(藤原梢)なのかどうかは本文だけからは決められない気もするので―ただし、「水泳編」の扉絵にいる少女の水泳帽には「こづゑ」という名が書いてあるし、続篇である第21章「ジョギング編」では明らかに「こづえ」その人が亀(乙姫)の胃袋の中で死を迎えつつある―必ずしも物理的な意味でこづえが何回も死ぬ(そしてそのつど復活する)という不合理な読み方をしなくてもよい。要点はむしろ、機械で自分の複製を大量に作ったり(第4章「増殖編」)、人体の一部を他人と交換したり(第6章「相談編」)、「猿」への退化に抵抗すべく大人の頭脳を花に作り変えたり(第12-15章「花子さん編」)…といった登場人物たちの破天荒な行動からも顕著な、自己同一性の危機という事態のほうであって、「わたし」の一人称的な視点はもっぱらこのような事態の観測者、あるいはむしろ体験者として要求されるのである。ここに、江川隆男の表現を借りるなら、「死体に変化する以前にも到来しうる死という意味での死の観念」としての、現実に「死んだまま生きること」あるいは「生きたまま死ぬこと」の選択、ないし不死の経験というスピノザ的な発想との共通点を認めることは、さほど的外れではないはずだ。自画自賛のようでいささか恐縮だが、「日日日(あきら)は現代のスピノザである」という以前の私の直観はそれなりに正しかったのである(日日日『ビスケット・フランケンシュタイン』)(まあ、そう書いた時点で『平安残酷物語』はとっくに刊行されていたんですけどね…)。ちなみに、仮に第34章「楽屋編」が作中で唯一ありのままの現実を描いている章であると前提するなら、「こづえ」は役者である「梢」が演じるテレビドラマ内の架空の登場人物にすぎず、残りの章におけるおかしな事件もことごとく、実は人工的な演出だったということにして片づけてしまうことが可能になりそうだが、読み進めるうちにやはり異形の怪人や人語を話す巨大な虫が地の文の中に紛れ込んでくること、および他の章では一番の親友であるはずの小春さんが、理不尽にも「見知らぬ女の子」(注7)として「わたし」(梢)の夢の中に押しこめられていることからして、たぶんこの前提は間違っており、むしろ「楽屋編」の全体こそが「こづえ」の見ている夢であると判断すべきだろう。
この不死の経験と並んで、あるいは絡み合いつつ進行しているのが、母と子の主題である。例えば、平安時代の惨禍が到来する以前の、まだ中学生だった頃の出来事を回想していたはずなのに、結末において「わたし」こと「梢」が(なお「こづえ」ではない)、自分が実は孤児であるクラスメイトの黄菜(きな)さんが所有する、母代わりの人形だったことを思い出す…という、第17-20章「仲良し編」のなんとも面妖な筋書は、両者の並行ないし混在の例として考えてよさそうである。もっとも、すでにこの「仲良し編」からもわかるように、『平安残酷物語』において探究される母子関係とは、血のつながりを不可欠の要件とするような生物学的な意味での母子関係のことではなく、逆にそれとの断絶において初めて成立しうるような、虚構的性格のものである。例えば、第22-24章「メイドさん編」では、親のいないこづえが寂しさを紛らわせるためかペットとして飼っている毛虫のガノンドロフが、あえて実の母親ではなくて、彼を「うちの子」とも「わたしの家族」とも呼ぶ(注8)こづえとともに暮らすことを選ぶ。また、こづえと小春さんとの間でも、四月馬鹿がきっかけで一度は恋愛が芽生えかけたかに思えたもののそれは結局成就せず(第26-28章「らぶこめ編」)、その一方で疑似的な母子関係が、一時的とはいえまがりなりにも幸福な調和をもたらすに至っている。すなわち第30-31章「看病編」では、病気のせいで精神が幼児退行を起こした小春さんがこづえを母と思いこむが、こづえはそんな彼女の気持に応えて、「世界でひとりだけの、わたしの愛する、娘ですから」と優しく語りかけてやるのである(注9)。たしかに、残酷な平安時代の幕開けを告げる災難の中で生き別れになった実の母とて別にこづえとの仲が険悪なわけではなく、第32-33章「地獄編」では、自ら娘の身体に埋め込んだ寄生虫の培地を取り出してくれるのだが、これはこづえにしてみれば勝手にひどい目にあわされたかと思うと勝手にもとの身体に戻されたというだけの話であるから―ひさしぶりに母の声が聞けてうれしいのは間違いないにせよ―、これといって感謝すべき理由はない。

自己同一性の危機と、母と子の関係という二つの主題の重なり合いが最も尖鋭化するのは、第8章「母娘編〈罪〉」と、全篇の最後を飾る第36章「母娘編〈罰〉」であろう。両者が対になっていることは題名からしても一目瞭然であるが、問題は「罪」と「罰」がそれぞれ何を指すかである。
まず前者すなわち第8章(「母娘編〈罪〉」)においては、おそらく小学生の頃の「わたし」こと「梢」が、雨の日に学校まで迎えに来てくれた母親に対して生意気な態度を取り、歩きながら『罪と罰』(注10)に読みふけっていると、いつの間にか異界に引きずり込まれてしまい、複眼をぎらつかせる虫(のような怪物)に変貌した偽の母親の手首に噛みついてどうにか逃げ出したものの、死にもの狂いで追いついた本物の母親は「わたし」の見知らぬ女の子の手を引いていて…という悪夢を話者が見ている。これが彼女の実体験に由来する夢なのかどうかはいまいち判然としないが、ともあれこの時点ですでに、「罪」の内実を母に対して邪険に振る舞ってしまうこととして理解することは許されるはずだ。しかしこの章にはまだ続きがある。悪夢から目覚め、来訪者の気配に気づいた「わたし」が玄関の扉を開けるとそこには例の女の子が立っており、意外にも「わたし」を「お母さん」と呼んで謝りながらすがりついてくるばかりか、驚いた「わたし」がふと自分の手首を見ると噛み傷のあとがある。そして恐怖に駆られた話者が、「わたしはお母さんじゃない」という台詞を三度自分に言い聞かせたところで唐突にこの章は幕を閉じるのである。むろん、そのように強く否認せねばならないということは、ある意味で「わたし」と「お母さん」が等しいからこそ必要な処置だろう。ここには、単に母に背く娘に固有の罪悪感だけでなく、ほかならぬ薄情さという一点において頭の中で母との同一化を遂げたせいか―実際、子の側が反抗的な態度を見せれば、親の側もそれにつられてついつい冷たい態度になってしまうというのはよくあることではなかろうか―、母が娘を邪険に扱うことまでが「わたし」の罪として勘定され、それゆえに罪悪感を重くする要因として働いてしまう、という救いのない構図がうかがえる。おそらくおぞましい虫(の手首の傷)による媒介は、あくまでもこの同一化(「わたし」と悪しき母との同一化)が円滑に完成するための補助にすぎない。時系列的にはこの第8章の悪夢の内容が『平安残酷物語』の全章の中で最も古層に位置すると思しいことからすると、「平安型桃色小蟲」による大人たちの駆逐という、全篇の背景そのものを形づくる大事件を「わたし」の罪悪感の巨大な寓意として読むことも、あるいは可能かもしれない。
では『平安残酷物語』全篇の結論に相当するはずの、第36章「母娘編〈罰〉」における「罰」とは一体何なのか。この章は時間的には最も新しく、とうに成人を迎えて結婚し、小学校に通う娘が一人いる「わたし」(こづえ)が話者である。考えてみれば、「平安型桃色小蟲」とやらにすっかり心身を侵蝕されて退場していった大人たちとは違い、そこそこ環境に適応してしまったティーンエイジャーも一年たち二年たつうちに自ずと成長していく以上、いずれは奇怪な虫の跋扈する平安時代にも成人の夫婦が出現して家庭を営むようになるのはしごく当然の成行だったのだ(もっとも、こづえを「梢」と呼ぶ実の母をはじめ、中には「猿」のようになってしまわなかった大人もいることはいるのだが、非常に影が薄く、ひっそりと下水道に隠れ住んでいるようだ)。盲点を突かれる小気味よさがあるとはいえ、すでに第13章の末尾には、このような時間の作用についての省察がそれとなく書きこまれていた。

 時間だけが足りない。平安に限らずに、いつの時代でも、子供の無限の未来を、可能性を奪うのは―無慈悲で残酷な時間の流れなのだ。(注11)

けれども、「自己の本性の必然性によってのみ存在し・自己自身のみによって行動に決定されるものは、自由であると言われる」(注12)と断定してはばからず、常識的な自由意志の地位を平然と単なる錯覚へと格下げした(注13)スピノザの哲学者としての真骨頂は、かかる可能性の枯渇から出発して、あるいはむしろ可能性そのものに抗いつつ、子どもになること、ないし子どもへの生成変化の必然性を説き始めるところにある。少なくとも、江川隆男が『死の哲学』で試みたようにスピノザにおける死の、ないし不死の経験を考える者はそう主張することができる。

 スピノザのように死を捉えることによって何が実現されるのか。それは不死の経験である。悲しみの原因となるようなものとの遭遇をなるべく避けることはできるかもしれないが、それでも結局は死を恐れて出会いを有機化していること、糞を捏ねていることに変わりはない。人間は、死の生成をそのまま不死の経験にすることができないとすれば、存在のなかでの出会いの有機化の経験を超えることはできないだろう。本性の変化、本質の変形を通してしか伝達されない不死の経験。どんなに立派な親でも、可能性の世界しか子供に提供できないなら、その子供は、必ずやそんな親の生き方に抗して、自己の身体の本性の許す限り、またその本性に役立つ限りで、別の人物や事物のうちに可能性とはまったく異なった必然性という様相を必死に見出そうとするだろう。そうでなければ、この世界にそもそも子供は存在せず、子供は単なる思考上の存在にすぎないことになる。「子供たちはスピノザ主義者である。(……)スピノザ主義とは哲学者が〈子供に‐なること〉である」。しかし、可能性を語りだしたとき、子供は成人を迎えるのだ。これに対して、大人がそうした可能性という運命に抵抗する仕方で或る必然性を主張し始めるとき、〈子供になること〉が生起するのである。子供の本性である残酷性に賭けてみよう。本質のドラマという出来事が現に存在する身体に生じ、この身体の分身としてのみ存在しない身体をその本質の変形という相のもとで備給し始めるのである。(注14)

もしも『平安残酷物語』の作者が、私が書いたように「現代のスピノザ」なのだとすれば、「無慈悲で残酷な時間の流れ」(第13章)によって生物的に成熟した大人は、その過程において一つの死を経験しなくてはならなかったこと、および可能性の枯渇の中で生きるそのような大人が、なおもある種の必然性によって子どもになること、という二つの事態を、この第36章の中に発見できてもおかしくないはずである。事実、話者は先立つ第35章「別離編」における親友の病死を―おそらくは思春期の終焉を画する出来事として―思い出しつつ、「小春さんが亡くなって、わたしの魂もいちど死んだのだと思います」(注15)と述べており、前者に関しては何ら疑問の余地はない。だが、後者すなわち子どもへの生成変化については、いささかの検討が必要である。
「わたし」ことこづえが、雨が降りしきるなか小学校に娘を迎えに行くと、娘は不機嫌そうな表情で『罪と罰』を読みながら出てくる。第8章「母娘編〈罪〉」の状況の反復は誰の目にも明らかだろう。違いといえばただ、やはり帰宅の途中で異界に巻き込まれた後の「わたし」の対応である。

 いつしか周りは、腐臭に満ちた禍々しい路地裏になっていました。
 吸いこまれたか。雨のときは多いですね。娘が、ぎゅっと身を強張らせます。よく見ると、娘ではありません。大きな複眼をもつ、とても不快な生き物。幻覚か。ほんとうに入れ替わったのか。判断できません。困ったものですね。
「お母さん!」
 誰かが追いかけてきます。
「お母さん、私を置いていかないで!!」
 落としてしまったのでしょう、後方に『罪と罰』を転がして、泥まみれで、うちの娘が追いかけてきます。わたしは振りかえり、それを確認しながらも、そのまま歩いていく。面倒くさい。堪えられない。母親でいること。大人でいること。人間でいること。
「待ぁてぇ」
 無視されているのがわかったのか、追いかけてきた娘が変貌しました。この路地裏に巣くっていたのでしょうか、人間と同じ大きさとそれ以上の凶暴さをもつ、昆虫めいた怪物となって、背中の翅を震わせています。見下ろすと、青ざめた娘が、わたしの手をぎゅっと握りしめていました。
 さて。どちらが娘だか。
 獰猛に唸り、迫ってくる怪物に、わたしは溜息をつきます。
 幸いなことに、わたしの腕は二本ありますから。
「おいで」
 娘だか怪物だかに、手をさしのべました。首を傾げ、怪物は歩み寄ってきます。手を握りしめると、その姿は娘になりました。同時に、左右の娘が悲鳴をあげます。あっちが本物だ偽物だ、怖いよ助けてお母さん、耳を塞ぎたかったのですが、それも不可能ですし。
 路地裏をでて、子供は面倒だなぁ、と思いながら自宅に向かいます。
 ひとりもふたりも同じです。
「雨に濡れたら風邪をひきますよ。さっさと帰って、温かいものを食べて、明日にそなえて早く寝ましょう。くだらない遊びをしている暇はないのですよ」
 叱られたふたりの娘は、見つめあって、困ったように俯きました。
 そんな娘だか怪物だかを引きずるようにして、わたしの帰る場所へ。(注16)

一読して明らかなように、ここで子ども(娘)になるのは「わたし」自身ではなくて「昆虫めいた怪物」である。とはいえ、すでに第8章「母娘編〈罪〉」において判明したところによると、娘である「わたし」は母との同一化に際して虫(のような怪物)を経由するのだし、その姿で―少なくとも手首に関しては怪物の身体の名残をとどめたままで―「お母さん」と呼びかけられていたのである。とすれば、この第36章(「母娘編〈罰〉」)における怪物の変身が、いまや現実に母となった「わたし」の変身でもあると考えることは、ある程度根拠のあることではなかろうか。第一、天気(雨)や小道具(『罪と罰』)の反復も、そう考えることを促している。ただし、すでにこの引用に先立って書いておいたように、怪物に対する「わたし」の態度そのものはもはや幼い頃と同一ではない。手短にその相異を表現するなら、どうやら「わたし」は、平安時代では珍しくなくなった自己同一性の混乱を十代の頃からたびたび自ら経験して慣れっこになっているせいか―実際、彼女は「母親でいること。大人でいること。人間でいること」等の、「何々であること」という自己の定義を遵守し続けることがもたらす、堪えがたい倦怠感を表明してはいなかったか―、もはや本物(人間)と偽物(怪物)の区別にも、両者の上下関係にもこだわっていないようなのだ。このふてぶてしさが、人類が滅亡の危機に瀕している平安時代の大人の度量というものであろうか。
おそらく、第8章(「母娘編〈罪〉」)における「罪」の内実が、母親への反抗や、悪しき母との同一化による「わたし」の過剰な罪悪感であったことを引き継いで、第36章(「母娘編〈罰〉」)になると、今度はそのような罪深い「わたし」への報復として娘の真正性が脅かされなくてはならないのだが、いかめしい題名とは裏腹に、「わたし」ないしこづえの側のいい加減さ―「ひとりもふたりも同じです」―ゆえにこの「罰」は到底「罰」たりえず、結局引用文に書いてあるとおり彼女は怪物との共生を選び、二人ではなく三人で帰路に就くことになる。もっとも、ほとんどの読者は『平安残酷物語』を読み終えるにあたって、このいい加減さを欠点として却下するのではなく、逆に肯定的に評価しようとする衝動を自己の内に感じずにはいられないはずである。
「神」は「絶対に無限なる実有、言いかえればおのおのが永遠・無限の本質を表現する無限に多くの属性から成っている実体」(注17)として定義すべきで、そのように定義された「神」は「自然」全体の異名にほかならぬ唯一の実体であり(注18)、それゆえ「すべて在るものは神のうちに在る、そして神なしには何物も在りえずまた考えられえない」(注19)のだから、いわゆる個物(個々の人や物)はみな「神の属性の変状(アフェクティオ)、あるいは神の属性を一定の仕方で表現する様態(モードス)」(注20)であるという一点において平等である、と理解するスピノザからドゥルーズが引き出そうとしている、「存在の一義性」の概念がここで我々にとって参考になるのではないかと思える。ドゥルーズによれば、存在の一義性が意味するものは決して差異の抹殺ではなく、むしろ分離接続詞(「または」)が表すような、分離そのものの肯定、発散そのものの肯定(分離としての総合)でなくてはならない。

存在の一義性とは、唯一の同じ存在があるということではない。反対に、存在者は、常に分離の総合によって生産されるから多様で異なっており、存在者自身が、分離し発散していて、諸々の離接肢(membra disjoncta)である。存在の一義性の意義とは、存在が〈声〉であるということ、存在が自ら語るということ、しかも、存在すると語られるところのすべてを存在が唯一の同じ「意味」で自ら語るということである。存在すると語られるところのものは、まったく同じなのではない。しかし、存在すると語られるところのすべてのための存在が同じなのである。したがって、存在[=存在すること]は、きわめて多種多様な事物に起こるすべてのための唯一無比の出来事として到来する。存在は、すべての出来事のための端的な出来事(Eventum tantum)として、あらゆる形態のための極端な形態として到来する。あらゆる形態は、この極端な形態の内で、分離したままであり、その分離を保持し分岐させる。存在の一義性は、分離の総合の肯定的使用、最高の肯定と混じり合う。(注21)

このように、存在の一義性は個々の存在者の間の多義性をそのまま肯定することと不可分であるから、むしろ「存在」そのものを差異として把握してもかまわないほどである。

存在は差異について言われるという意味において、存在こそが、《差異》なのである。そして、わたしたちが、一義的ではない或る《存在》において一義的である、というわけではなく、反対に、わたしたちが、わたしたちの個体性が、或る《存在》において、つまり或る一義的な《存在》に対して多義的なままである、ということだ。(注22)

そしてスピノザこそは、このような存在の一義性の思想に、13世紀のドゥンス・スコトゥスについで、ただしスコトゥス的な「中立性」とは縁を切ることで飛躍的な完成をもたらした哲学者として顕彰されるべきなのである。というのも、スピノザにとっては、実体すなわち「それ自身のうちに在りかつそれ自身によって考えられるもの」(注23)はただ一つであり、そして実体の諸属性間の実在的区別は数的区別ではなく―「属性とは、知性が実体についてその本質を構成していると知覚するもの、と解する」(注24)―、また諸個体間の数的区別は様態的区別にすぎない―「様態とは、実体の変状、すなわち他のもののうちに在りかつ他のものによって考えられるもの、と解する」(注25)―からだ。

彼は、一義的存在を中性的なあるいは無差異的なものと考えるかわりに、一義的存在を純粋な肯定の対象に仕立てあげる。一義的存在は、唯一の普遍的なそして無限な実体と溶けあって一つになっている。すなわち、一義的存在は、《神即自然》として定立される。〔中略〕諸属性は、質的に互いに異なるもろもろの意味として実在的にふるまう。しかも、それらの意味は、ただひとつの同じ〈指示されるもの(デジニェ)〉としての実体に関係するものである。そして、この実体はといえば、それは、その実体を表現する諸様態に対して存在論的に一なるひとつの意味としてふるまい、それらの様態は、個体化のファクターあるいは強度的で本質的な度として、その実体のうちに存在するのである。そのようなわけで、様態は力(ピュイサンス)の度として規定されてよいのであり、また、様態にとって、おのれのありったけの力(ピュイサンス)とおのれの存在とを限界そのもののなかで展開するという「義務」が生じるのである。したがって、諸属性は、実体と諸様態が同じ本質をもたないにもかかわらず、その実体と諸様態に対して絶対的に共通である。他方、存在それ自体は、実体と諸様態が同じ意味をもたず、同じ仕方では(〈ソレ自身ノウチニ in se〉と〈他ノモノノウチニ in alio〉)その存在をもたないにもかかわらず、存在は、実体と諸様態について唯一同一の意味で言われるのである。実体が、もろもろの属性の本質に即して、それら属性のすべてによって等しく指示されるかぎり、また、実体が、もろもろの様態の力(ピュイサンス)の度に即して、それら様態のすべてによって等しく表現されるかぎり、あらゆるヒエラルキー、あらゆる卓越性は否定されるのだ。一義的存在が中性化されなくなり、そして表現的になり、ひとつの真の肯定的な表現的命題へと生成するのは、まさにスピノザによってである。(注26)

外見や知能や価値観は違っても、こと「存在する」という一点においてはいかなる個体(実体を表現する様態)も他をさしおいて優越を主張する資格を持たない。「リアルなもの、可能なもの、不可能なものに共通である最小の存在」とも、「あらゆる出来事のための唯一の出来事」ともドゥルーズが呼ぶ(注27)、かかる一義的存在の概念を念頭に置いたとき初めて、『平安残酷物語』の結末で「わたし」(こづえ)が下す、「昆虫めいた怪物」と娘の間で待遇に差をつけようとせず、あべこべに三人で仲良く帰宅するというなんとも不精な選択もすんなりと納得できるものになるのではなかろうか。
いや、むしろ、「一義的なものが純粋肯定の対象へと生成するためにスピノザ哲学にただひとつ欠けていたのは、実体を諸様態のまわりで回らせること、すなわち一義性を永遠回帰における反復として実現すること、これであった」(注28)というドゥルーズの留保を考慮するなら、第8章(「母娘編〈罪〉」)における帰宅中の事件を、俳優を入れ替えつつ反復する第36章(「母娘編〈罰〉」)の成行をニーチェ的な「永遠回帰」の実例として読むことで、『平安残酷物語』を『エチカ』の改訂版に変えてしまうことすら、あるいは不可能ではないのかもしれない。それというのも、ドゥルーズによれば、スピノザ哲学における実体と諸様態との間の無差異という問題を改善するには、前者(実体)がもっぱら後者(諸様態)についてのみ言われるようにする必要があり、そしてそのことは結局、永遠回帰を要請することと変わらないからだ。

そのような条件が満たされうるのは、存在は生成について言われ、同一性は異なるものについて言われ、一は多について言われる等々となるような、より一般的なカテゴリー上の逆転という代償を支払う場合だけである。同一性は最初のものではないということ、同一性はなるほど原理として存在するが、ただし二次的な原理として、生成した原理として存在するということ、要するに同一性は〈異なるもの〉の回りをまわっているということ、これこそが、差異にそれ本来の概念の可能性を開いてやるコペルニクス的転回の本性なのであって、この転回からすれば、差異は、あらかじめ同一的なものとして定立された概念一般の支配下にとどまっているわけがないのである。ニーチェが永遠回帰ということで言わんとしたことは、まさに以上のことに他ならない。永遠回帰は、《同一的な》ものの回帰を意味しえないのだ。なぜなら、永遠回帰は、同一的なものとは反対に、すべての先行的な同一性が廃止され解消されるような世界(力(ピュイサンス)の意志の世界)を前提にしているからである。還帰するということは、存在するということであるが、しかしもっぱら生成(なる)について言われる存在(ある)なのである。永遠回帰は、「同じもの〔自体〕」を還帰させるわけではない。そうではなく、還帰するということは、生成するものについて言われる唯一の《同じ》ものを構成するということである。還帰するということ、それは、生成それ自身について言われる〈同一的に‐なる〉ことなのである。還帰するということは、したがって、唯一の同一性ではあるが、二次的な力(ピュイサンス)として言われる同一性、差異について言われる同一性であり、異なるものについて言われる同一的なもの、異なるものの回りをまわる同一的なものなのである。差異によって生産されたそのような同一性こそが、「反復」として規定されるのである。したがってまさに、永遠回帰における反復の本質は、同一的なものを差異から出発して考えるところにある。(注29)

このような永遠回帰の運動によってこそ存在の一義性は「現実的な実在化」をみるのであり(注30)、ひるがえって個々の存在者に目を移すなら、この場合もはや本物と偽物との間の整然たる序列は成り立たず、逆に「コピーに対するオリジナルの優位を否認すること、影像(イマージュ)に対する範型(モデル)の優位を否認すること」、換言すれば「見せかけ(シミュラクル)と反映の君臨を賛美すること」が避けがたく帰結してくるのである。

すなわち、永遠回帰を厳密に理解するなら、永遠回帰は、〈もの〉はいずれも還帰することによってでしか存在しないということを意味し、〈もの〉はそれぞれ、背後にオリジナルも起源さえも控えていない無数のコピーをコピーしているものであるということを意味するのである。だからこそ、永遠回帰は、「パロディー的」だと言われるのだ。永遠回帰は、それが存在させ(そして還帰させる)ものを、見せかけ(シミュラクル)であるもの(エタン)〔存在者〕として性質づける。永遠回帰が《存在》(非定形なもの)の力(ピュイサンス)であるとき、見せかけ(シミュラクル)は、存在するもの―「存在者(エタン)」―の真の特徴あるいは形式になる。諸事物の同一性が崩潰するとき、存在は逃げだして一義性へと至りつき、異なるもののまわりを回り始める。存在するつまり還帰するものは、先行的な既成の同一性をまったくもっていない。〈もの〉は、その〈もの〉を八ツ裂キにする差異へ追いやられ、さらにはこの差異のなかに折り込まれているすべての差異へと追いやられて、それらの差異を通過してゆくのである。(注31)

たしかに、『平安残酷物語』の終わり近くで話者である「わたし」(こづえ)が漏らす、「何があっても動じずに、ずる賢く図太く、同じことを繰りかえして、生きていく」(注32)という決意は、断じて同じものを帰還させることなどあるはずがない、「差異について言われる同一性」としての永遠回帰的な反復に関するドゥルーズの説明と比べればいささか不徹底かもしれないし、また、たとえ「残酷と感染」(注33)という旗印は共通しているようでも、江川隆男(『死の哲学』)が考えているような、人間の本質そのものを変形してしまう試みに匹敵するほど野心的な実験がこの小説からまざまざとうかがえるわけでもない。しかしそれでも私としては、虫と娘を、あるいは虫に見える娘と娘に見える虫を平然と引き連れて帰路に就く彼女の姿に、存在の一義性の、ひいては「見せかけ(シミュラクル)と反映の君臨」としての永遠回帰の伝道者を見たいという、抗しがたい誘惑に駆られるのである。つまりは―日日日に限らず、小説家の執筆活動は哲学者の正しさを例証せんがためではないという当たり前の真理は重々承知した上で―あえて『平安残酷物語』を、本格的なスピノザ主義の小説の嚆矢にして、早くもスピノザ哲学の欠点を正しく補うための方針(「永遠回帰」)をも予見しえた稀有の書として読みたい、ということなのだ。


(1)スピノザ『エチカ(下)』(畠中尚志訳、岩波文庫、2005年第45刷)79頁。
(2)江川隆男『死の哲学』(河出書房、2005年)111頁。
(3)スピノザ『エチカ(下)』(前掲書)53頁。
(4)同書133頁。
(5)江川隆男『死の哲学』(前掲書)114-115頁。
(6)日日日『平安残酷物語』(講談社、2011年)19-20頁。
(7)同書308頁。小春さんは続く第35章「別離編」で、齢17にしてあえなく病没する。
(8)同書90、227頁。
(9)同書282頁。
(10)もちろん『罪と罰』はフョードル・ドストエフスキーの代表作で、いわゆる五大長篇の一つだが、『平安残酷物語』の本文中にこのロシアの文豪の名は見当たらない。おそらくこの小道具で重要なのは題名だけであることがその理由だろう。
(11)日日日『平安残酷物語』(前掲書)126頁。
(12)スピノザ『エチカ(上)』(畠中尚志訳、岩波文庫、2005年第50刷)38頁(第一部定義7)。なお「自由である」には傍点が付してあったが、引用に際して省いた。
(13)同書75-76頁(第一部定理32)、173-174頁(第三部定理2備考)。
(14)江川隆男『死の哲学』(前掲書)115-116頁。引用に際して傍点が付してある箇所を太字に改めた。なお、「」内はジル・ドゥルーズとフェリックス・ガタリの共著『千のプラトー 中』(宇野邦一・小沢秋広・田中敏彦・豊崎光一・宮林寛・守中高明訳、河出文庫、2010年)からの引用(196-198頁)である。
(15)日日日『平安残酷物語』(前掲書)320頁。
(16)同書325-326頁。揚げ足を取るようで気が引けるのだが、「あっちが本物だ偽物だ」という箇所は読んでいて少し引っかかる。どちらの「娘」の言い分も、「あっち(相手)が偽物でこっち(自分)が本物だ」ということ以外ではありえないはずだからだ。もしかするとこの箇所は、二人のわめき声がすっかり混ざりあってしまい、「わたし」(こづえ)にはうまく聞き分けられないことを表現しているのかもしれない。
(17)スピノザ『エチカ(上)』(前掲書)38頁(第一部定義6)。
(18)スピノザ『エチカ(上)』(前掲書)52頁(第一部定理14)、『エチカ(下)』(前掲書)9頁(第四部序言)。
(19)スピノザ『エチカ(上)』(前掲書)53頁(第一部定理15)。
(20)同書70頁(第一部定理25系)。
(21)ジル・ドゥルーズ『意味の論理学 下』(小泉義之訳、河出文庫、2007年)13-14頁。ただし引用に際して、« membra disjoncta »の訳語を「解体された体」から「諸々の離接肢」に改めた。
(22)ジル・ドゥルーズ『差異と反復 上』(財津理訳、河出文庫、2007年)117頁。
(23)スピノザ『エチカ(上)』(前掲書)37頁(第一部定義3)。
(24)同上(第一部定義4)。
(25)同書37-38頁(第一部定義5)。
(26)ジル・ドゥルーズ『差異と反復 上』(前掲書)119-121頁。引用に際して、原文中の傍点が付してある箇所(「なかで」)を太字に改めた。また丸括弧内の「〈ソレ自身ノウチニ in se〉かつ〈他ノモノノウチニ in alio〉」の「かつ」を、「と」に改めた(そうでなければ実体と諸様態の存在の仕方を対照していることになるまい)。
(27)ジル・ドゥルーズ『意味の論理学 下』(前掲書)15頁。
(28)ジル・ドゥルーズ『差異と反復 下』(財津理訳、河出文庫、2007年)350頁。引用に際して、原文中の傍点が付してある箇所を太字に改めた。
(29)ジル・ドゥルーズ『差異と反復 上』(前掲書)121-122頁。引用に際して、原文中の傍点が付してある箇所(「生成した」)を太字に改めた。
(30)同書124頁。
(31)同書190頁。ただし« impliquées »の訳語を「巻き込まれている」から「折り込まれている」に改めた。
(32)日日日『平安残酷物語』(前掲書)326頁。
(33)江川隆男『死の哲学』(前掲書)92頁。
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category: 『平安残酷物語』

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