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つじこの

一応、本とかの批評のつもり。趣味的な備忘録

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太宰治『新釈諸国噺』 

太宰治の『新釈諸国噺』は、昭和20年1月に単行本として刊行された。言わずと知れた日本の敗戦の年の年頭であり、東京大空襲や沖縄戦の惨禍はまだ先のこととはいえ、太平洋戦争の大勢はすでに決していた時期である。
これは井原西鶴の諸作品を適宜太宰流に換骨奪胎した12の短篇の集成で、目次は下記のとおりである。なお、丸括弧内に示したのはそれぞれの短篇の典拠であり、こうして一覧にしてみると、『西鶴諸国ばなし』に限らず、さまざまな作品を太宰が渉猟していることがわかる。

「貧の意地」(『西鶴諸国ばなし』巻一の三「大晦日はあはぬ算用」)
「大力」(『本朝二十不孝』巻五の三「無用の力自慢」)
「猿塚」(『懐硯』巻四の四「人真似は猿の行水」)
「人魚の海」(『武道伝来記』巻二の四「命とらるる人魚の海」)
「破産」(『日本永代蔵』巻五の五「三匁五分曙のかね」)
「裸川」(『武家義理物語』巻一の一「我が物ゆゑに裸川」)
「義理」(『武家義理物語』巻一の五「死なば同じ波枕とや」)
「女賊」(『新可笑記』巻五の四「腹からの女追ひはぎ」)
「赤い太鼓」(『本朝桜陰比事』巻一の四「太鼓の中はしらぬが因果」)
「粋人」(『世間胸算用』巻二の二「訛言も只はきかぬ宿」)
「遊興戒」(『西鶴置土産』巻二の二「人には棒振虫同然に思はれ」)
「吉野山」(『万の文反古』巻五の四「桜よし野山難儀の冬」)

さて、この配列ははたして意図的なものだろうか、それとも単に偶然の産物だろうか。この問いに答えるためには、各作品の内容を一通り検討することが必要であるはずだ。
まず第一作「貧の意地」は、原田内助という貧乏な侍が、無事に年を越せるようにという親戚の好意で十両の金を手に入れ、降って湧いた幸運に気おくれするあまり七人の友人を招き、小判を囲んで宴会を開いていたところ、気がつけば小判は一枚減って九枚しか見当たらず、皆で探し回ってやっと出てきたと思ったらなんと台所に下げた重箱の蓋にも一枚貼りついているのが見つかって……という筋書である。盗った盗られたの紛糾を収拾するために友人の誰かが探すふりをしてこっそり懐の所持金から一両を追加してくれたのは明らかなのだが、意地っ張りの原田が余分な小判を元の持主に突き返そうとして、いくら厳しく皆を問いつめても名乗り出る者はない。結局、その一両は薄暗い玄関の片隅に置いて、帰り際に持ち去ってもらうことにしたところ、七人が帰った後にはみごとになくなっていた、というのが結末である。あえて主題らしきものを抽出するなら、題名どおり、「武士は食わねど高楊枝」的な堅苦しい精神論の戯画化、ということになるのだろうか。何かと国民に痩せ我慢を強いる、戦時下の世相への皮肉もありそうである。
第二作「大力」は、荒くれ者の相撲取りである才兵衛がさんざん両親を心配させるが、とうとう百姓に化けた師匠の計略にかかってあばらを折られて寝たきりになり、なおのこと両親に迷惑をかけるというだけの内容で、話としてはずっと単純である。何とか相撲以外のことに興味を持たせようとして、手を変え品を変え説得を試みる父母と才兵衛の滑稽な掛け合いが楽しい。
第三作「猿塚」は、駆け落ちした貧乏な夫婦の間に生まれた赤ん坊を、ペットの猿が見よう見まねで風呂に入れてやろうとして熱湯で殺してしまい、申し訳なさのあまり後追い自殺に及んだ猿のために塚を作ってから、世の無常をはかなんだ夫婦も揃って出家するというものである。
第四作「人魚の海」は、人魚を射止めたという手柄話を一笑に付した重役を見返すべく、必死で海中の探索を続けるがあえなく溺死した中堂金内(ちゅうどう・こんない)の無念を晴らすため、彼の娘が代わってみごとに仇を討ち、後日人魚の死体が磯に打ち上げられて故人も名誉を回復するに至った一部始終を描いており、「何も見もせず知りもせず、そうしてもっともらしい顔でそれぞれ独り合点して暮している世の俗人たちがうらやましい、あるのだ、世の中にはあの人たちの思いも及ばぬ不思議な美しいものが、あるのだ、けれども、それを一目見たものは、たちまち自分のようにこんな地獄に落ちるのだ」云々という金内の切迫した独白が非常に印象的である(注1)。ここに、藝術家としての太宰の自負、およびそれと表裏一体の社会的な落伍者としての自覚を見るのは至って自然なことであろう。両者の間のせめぎあいは、「此(この)段、信ずる力の勝利を説く」という頼もしい結句に鼓舞されて、自負が決定的な凱歌を上げるとともに終りを告げる(注2)。
第五作「破産」は、たぶん全体の蝶番に相当する重要な短篇である。先代の死後打って変わって放蕩三昧に走った富豪万屋(よろずや)の夫婦が、金が尽きたのを取り戻そうとして両替商を始め、三年間の苦心の末に身代を再建するが、ぎりぎりのやりくりだったために銀一粒が用意できなくて除夜の鐘が鳴り終わらないうちに惜しくも破産に追いこまれる、というのが粗筋で、なぜこれが全体の蝶番なのかは後で証明することにしたい。ちなみに本作には、「俗に三十は男の厄年というからね、」という夫のふざけた台詞の直後に、すかさず作者が地の文で「そんな厄年は無い」と突っ込みを入れる箇所があり(注3)、この破天荒な表現が中学生だった西尾維新をして小説の面白さに目を開かせたという逸話もある(注4)。
第六作「裸川」は、青砥左衛門尉藤綱(あおとさえもんのじょう・ふじつな)なる鎌倉武士が滑川(なめりがわ)に落とした銭十一文を、はした金といえども無駄にはできぬと都合四両も費やして見つかるまで人足たちに探させたが、あとで実は落とした銭は九文だったことに気づき、計略を弄して彼を欺いたふとどきな人足に、罰としてたった一人で再び九文を拾い集めさせた、という内容で、どうやら第一作と同様、体面にこだわるあまり、国民を道連れにしてとめどなく合理的な思考から逸脱していくかのような軍部の姿勢に対するひそかな諷刺が底に流れていそうである。末尾で人足がうそぶく、「せんだって、あなたに差し上げた銭十一文は、私の腹掛けから取り出したものでございますから、あれは私に返してください。」という「ひかれ者の小唄」は、一応「のちのち人の笑い話の種になった」と書いてはあるものの、実際にはなかなか痛快な印象を読者に与える(注5)。まあ、政府や大本営の人たちとしてもいろいろとよんどころない事情があったわけで、国民向けに喧伝した神がかり的な精神主義だのけちな節約術だのの効能をまさか本気で信じてはいなかったろうが、太宰のように人一倍自由な(あるいは―適切な形容かどうか迷うのであるが―しどけない)性格の作家が戦時下の世相のためにどれほど窮屈な思いをしなくてはならなかったかも、ちゃんと考慮に入れて読まないと不公平なはずだ。
第七作「義理」は前作と似ているが、こちらのほうが悲劇的である。乱暴者の若殿の旅行につき合わされた神崎式部は、若殿に取り入って始終彼と息子に嫌がらせをしてくる丹三郎を苦々しく思いながらも、同僚であるその父のたっての頼みで世話を引き受けた経緯があるので、大目に見ていた。ところがあるとき、増水した大井川を前に丹三郎が若殿を焚きつけたせいで、一行は渡河を余儀なくされる。結局臆病者の丹三郎一人が式部父子の護衛の甲斐もなく流れに呑まれてしまい、式部は義理を重んじて、苦渋を忍びつつ我が子にその場で溺死を命じる。これも「貧の意地」や「裸川」と同様、武家風の堅苦しい道徳に対する批判のつもりであろうが、川が舞台である分前者よりは後者に近い。金を落としただけならどうにか喜劇で済むが、命を落とせば取り返しのつかない悲劇が自他を襲う。おそらく太宰は、喜劇的な「裸川」だけでは読者に諷刺の狙いが伝わりにくいと判断して、あえて似たような状況の(しかし悲劇的である点では対照的な)作品を直後に配置したのではないか。
第八作「女賊」は、仙台の大金持の山賊の頭領が都でやんごとない公家の姫君をめとり、彼の没後は未亡人を助けて二人の娘が山賊稼業を続けるが、あるとき美しい絹に目がくらんで姉妹が殺しあう寸前で火葬の煙に接して回心し、母ともども三人で仲良く出家したというだけの話で、あまり太宰らしい工夫はない。「仙台には美人が少く候、と呟いて何やら溜息をつき、山賊に似合わぬ高邁の趣味を持っている男のようにも見えた」頭領が、都で見たこともないような美女に出会い、「シばらスい、と思わず東北訛(なまり)をまる出しにして」呻く様子などはかなり自虐的な調子を感じさせるが(注6)、この手の描写がもっと多ければぐんとおかしみが増したような気がしなくもない。
第九作「赤い太鼓」は第一作(「貧の意地」)とそっくりな始まり方だが、今度は武士ではなくて織物職人の徳兵衛が主人公であり、借金で首が回らない彼の苦境を何とかしてやろうとして仲間たちが醵出してくれた合計百両の金が、宴が果てると跡形もなく紛失していたという状況である。義捐金に協力した十名はなぜか全員女房か近親の女性と一緒に白洲に呼び出され、一日に一組ずつ、赤い太鼓をかついで徒歩で宮参りをしてこいという妙な命令を判官から言い渡される。実はその太鼓の中には人が隠れていて、夫婦の会話に耳を澄まし、人気がない場所にさしかかったのを幸いとばかりに日頃から鬱積していた亭主への不満を爆発させる妻に閉口して、盗んだ百両のありかを教える犯人の言葉を細大漏らさず聞きとめていた……というのが種明かしである。「言った者を、いまここで名指しをするのは容易だが、この者とて、はじめは真の情愛を以てこのたびの美挙に参加したのに違いなく、酒の酔いに心が乱れ、ふっと手をのばしただけの事と思われる。命はたすける。おかみの慈悲に感じ、今夜、人目を避けて徳兵衛の家の前にかの百両の金子を捨てよ。然る後は、当人の心次第、恥を知る者ならば都から去れ。」云々という判決は(注7)、事ここに及んで匿名性を尊重する代わりに当人の自発的な良心をあてにしている点が、粋といえば粋だが甘いといえば甘い。この微温的な調和は、見方によってはまことに日本的な共同体らしい美徳なのかもしれない。
第十作「粋人」は、借金取りに追われたさる粋人がお大尽のふりをして茶屋にしけこむが、懐が寂しいのを見抜かれ、慇懃無礼な扱いを受けてさんざん屈辱的な思いを味わったあげく、押しかけてきた丁稚たちに身ぐるみをはがれるという悲惨な醜態をさらしながらも見え透いた演技を空しく続ける、というもので、ごく短いが確実にひきつった笑いを誘う力がある。気まずく、間が悪く、後ろめたく、やるせない。妻を家に置き去りにして自分ひとり遊び呆ける甲斐性なしの亭主の姿は、『ヴィヨンの妻』や『桜桃』など、太宰ののちの作品にたびたび登場する戯画的な自画像に通じる。
第十一作「遊興戒」は前作を受け継いでか、行き過ぎた放蕩の末路を描き、遊び人に反省を促している。落ちぶれたりといえども人からの施しは受けぬと言わんばかりに遊び仲間だった友人たちの金を拒絶する利左衛門(りざえもん)の意地は、これまた第一作に通じるものがありそうだ。加えて、少額の金の大切さを強調する文脈において、青砥左衛門尉藤綱さまが滑川を渡りし時云々という故事への言及があり、第六作との連携が生まれているのは注目に値する。
第十二作「吉野山」は、一時の勢いに任せて出家してはみたものの俗世への未練を捨てきれない僧侶が、都の知人に宛てて書いた手紙という体裁であり、理想とは程遠い山中のわびしい暮らしについての愚痴、里人の冷たい仕打ちへの不満、旧悪(祖母のへそくり百両をちょろまかしたこと)が露見することへの恐れ、人恋しさに金の算段と、これでもかとばかりに書き手の卑しさ、俗物ぶりをふんだんに盛り込んだ内容となっている。

以上、大急ぎでそれぞれの短篇を要約してみたが、全体を貫いて流れる何らかの要素がここから見えてくるのではなかろうか。
他の方の賛同が得られるかどうか、正直やや心もとないのだが、私なりに各篇で最も重要な役割を果たしていそうな概念を抽出してみれば―順に、「意地」(「貧の意地」)、「変装」(「大力」)、「模倣」(「猿塚」)、「美に寄せる信念」(「人魚の海」)、「信用の破綻」(「破産」)、「硬直した精神論の滑稽さ」(「裸川」)、といったところではないか。第七作「義理」の教訓はそのまま「義理」でよいと思うが、もちろん作者は我々の人生を束縛する義理というものの重圧を批判的に相対化しているのであって、称賛しているわけではない。「女賊」は少し苦しいが、絹欲しさに相手を殺そうとしていたことを姉妹が同時に告白しているので、いわば「欺瞞の放棄」とでも呼ぶべきものが、作中の山場を作っていると判断してよさそうだ。また「赤い太鼓」の場合は、興味深いことに、「外面と内面との食い違い」という性格を、犯罪と捜査の双方が共有している。残る三作はいずれも「虚栄」を扱っているのであろうが、虚栄が虚栄と見抜かれてもなお当面は世間的に機能し続けるか(「粋人」)、すでに本人以外にとっては意味を失っているか(「遊興戒」)、本人すらとっくに恥も外聞もかなぐり捨てているか(「吉野山」)、という違いはある。
こう考えてくると、『新釈諸国噺』に収められた12の短篇に共通する原理の正体、その輪郭がおぼろげに浮き上がってくるような気がする。おそらく、我々はそれを「虚構」という名で呼ぶのが至当なのである。たしかに、いわゆるメタフィクションやヌーヴォーロマンほど形式的に洗練された手際がうかがえるわけではない。しかしそのことはむしろ、太宰がこの一連の作品群において、「意地」や「義理」や「虚栄」のようにもっと生々しい、虚構の社会的な諸相を把握することに成功している、ということを意味する。藝術家としての自負が比較的純粋な形で露呈した「人魚の海」ですら、うわべの構図としてはあくまでも重役に対する雪辱という、対人関係が問題になっているのだ。
いまや冒頭の問い、すなわち本作を構成する各篇の順序は意図的なものか否かという問いには、肯定的な答えによってはっきりと決着をつけることが可能である。第一作から第四作までは、このような呼び名が許されるとすれば「機能する虚構」が主題であるのに対して、第五作は「機能しなくなる虚構」が主題であり、以後第六、七作は「奉仕を強要する虚構」、第八、九作は「種明かしされる虚構」、そして第十、十一、十二作は「形骸化する虚構」とでも、まとめることができるのではないか。このうちすでに書いたように第五作が蝶番もしくは転換点に相当するのは、この「破産」のみが、虚構に直接的な打撃が加わる様子をつぶさに描いているからだ。「商人は表向きの信用が第一、右から左と埒(らち)をあけて、内蔵はからっぽでも、この年の瀬さえしっぽを出さずに、やりくりをすませば、また来年から金銀のあずけ入れが呼ばなくってもさきを争って殺到します、長者とはこんなやりくりの上手な男の事です」などと得意げに演説をぶつ万屋の主人が、一瞬で絶望の底に突き落とされる結末のくだりを読んでみよう。

「ごめん。」と門に人の声。
 眼のするどい痩せこけた浪人が、ずかずかはいって来て、あるじに向い、
「さいぜん、そなたの店から受け取ったお金の中に一粒、贋の銀貨がまじっていた。取かえていただきたい。」と小粒銀一つ投げ出す。
「は。」と言って立ち上ったが、銀一粒どころか、一文だって無い。「それはどうも相すみませんでしたが、もう店をしまいましたから、来年にしていただけませんか。」と明るく微笑んで何気なさそうに言う。
「いや、待つ事は出来ぬ。まだ除夜の鐘のさいちゅうだ。拙者も、この金でことしの支払いをしなければならぬ。借金取りが表に待っている。」
「困りましたなあ。もう店をしまって、お金はみな蔵の中に。」
「ふざけるな!」と浪人は大声を挙げて、「百両千両のかねではない。たかが銀一粒だ。これほどの家で、手許(てもと)に銀一粒の替(かえ)が無いなど冗談を言ってはいけない。おや、その顔つきは、どうした。無いのか。本当に無いのか。何も無いのか。」と近隣に響きわたるほどの高声でわめけば、店の表に待っている借金取りは、はてな? といぶかり、両隣りの左官屋、炭屋も、耳をすまし、悪事千里、たちまち人々の囁きは四方にひろがり、人の運不運は知れぬもの、除夜の鐘を聞きながら身代あらわれ、せっかくの三年の苦心も水の泡、さすがの智者も矢弾(やだま)つづかず、わずか銀一粒で大長者の万屋ぐゎらりと破産。(注8)

このように万屋の破産はあくまでもふとしたきっかけ(浪人の訪問)のせいで起きた計算外の異常事態であり、本来なら年越しを乗り切ることさえできれば、無事に信用は保てるはずだったのである。たしかに、いかなる虚構もその本性からして真ではないものであるから、何かの拍子で雲散霧消することはありうるが、それでもこの場合は特別である。なぜなら、先立つ四作品では、虚構は様態こそさまざまでありながらも、とにかく機能するという一点においては変わりがなかったし、これ以後の七作品では、虚構は所詮虚構(建前)とわかってはいてもなお人間を右往左往させるか(「裸川」・「義理」)、虚構性の暴露(種明かし)が何らかの希望に通じているか(「女賊」・「赤い太鼓」)、あるいは所詮虚構にすぎないという見くびりを浴びながら効力を喪失していくか(「粋人」・「遊興戒」・「吉野山」)であるのに対して、「破産」における瞬間的な信用の瓦解は桁違いの劇的な事件性を発散しており、虚構ゆえの落命(「猿塚」・「人魚の海」・「義理」)よりも不条理さの点でははるかにまさっているからである(猿が人間の物真似をすれば失敗をやらかすことも、悔しさのあまり正気を失った侍が一人で海中に潜れば溺れ死ぬことも、臆病者が増水時に渡河に挑めば流されてしまうことも、気の毒には違いないがみな容易に予想がつくことだ)。いずれにせよ、虚構の正体が判明し、そのことが原因となってただちに当事者の身の破滅が生じるという出来事を描いているのは、全篇を通じてこれのみである。
我々は虚構の力に畏怖や讃嘆を捧げることも、軽蔑や罵倒を投げつけることもできる。どちらが適切な反応であるかは状況しだいであり、また何より、それが一体いかなる虚構であるかによって決まることである。ただしこの二通りの反応が成り立つためには、虚構はときとして信用を失って虚構であること(真でないこと)が暴露され、その暴露が多少の差はあれ衝撃的な効果を周囲に波及させていくものである、ということがあらかじめ事実として確認されている必要がある。この前提を欠けば、肯定するにせよ否定するにせよ、およそ虚構を虚構として評価するということがそもそも不可能なはずだ。「破産」は位置の上で厳密に中央ではないが、他のどの短篇をもさしおいてこの役目を模範的に果たしていることから、私としては本作を『新釈諸国噺』の要と考えたいのである。登場人物のふざけた台詞に対して、地の文でいきなり作者が顔を出して「そんな厄年は無い」とさも楽しげに突っ込みを入れるような型破りの表現も、虚構性というものに関する、強い、ほとんど過剰なくらい明晰な意識を、太宰が本作の執筆にあたって抱いていたことの証左ではなかろうか。突っ込みとはすなわち不真面目な注釈であり、前言の撤回もしくは換骨奪胎による活気の招来である。このような自由な(あるいは、しどけない)創作態度の中に、古典のもじりという『新釈諸国噺』を貫く方法論は最も尖鋭に顕在化しているはずである。


(1)太宰治『お伽草紙』(新潮文庫、2009年改版71刷)116頁。
(2)同書121頁。
(3)同書129頁。
(4)「西尾維新longlong interview 『戯言以前 戯言以降』」(おーちようこ構成・文)、『西尾維新クロニクル』(宝島社、2006年)83頁。
(5)太宰治『お伽草紙』(前掲書)148-149頁。
(6)同書165-166頁。
(7)同書194-195頁。
(8)同書134-135頁。
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